バイブルサロン

礼拝説教、聖書を読んで感じた事

狭き門

2016-08-07 17:24:41 | 礼拝説教
2016/8/7礼拝説教
【テーマ】  イエス・キリストだけが救い主
【説教題】 「狭き門」
【聖書箇所】 マタイ7:13-14
 7:13 狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。
7:14 いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。

○ ようこそお出でくださいました。今日の説教題は「狭き門」ですが、教会の門は狭かったでしょうか。
 「狭き門」から想像するのは、ある人はアンドレ・ジッドの小説でしょう。またある人は「○○大学合格は狭き門」というように、受験の大変さを思い浮かべるでしょう。

Ⅰ.滅びに至る門は大きい
A.努力が必要なんだろうか?
1.今日の聖書の言葉は「狭い門は天国行き、広い門は地獄行き」と言っています。しかし、私はふと、イエス様を信じるだけで救われるという「大乗仏教」並のそれこそ「広い門」では無いかと思ったのです。
2.しかし、小さい門、狭い道ということは、イエス様の救いはそう簡単に与えられず、かなりの努力を要する、修業を積まなければ救われないような言葉に聞こえます。
3.ルカの福音書を見ますと ルカ13:23 すると、「主よ。救われる者は少ないのですか」と言う人があった。イエスは、人々に言われた。 13:24 「努力して狭い門から入りなさい。なぜなら、あなたがたに言いますが、入ろうとしても、入れなくなる人が多いのですから。 とあるのです。 努力して という言葉が印象的であり、またひっかかります。

B.みんなで地獄に行けば恐くないのか?
1.ある牧師がこんなことを書いておられました。--多くの人がしていることが常識的に正しいと思われています。一人目の人がチラシを受け取ると、あとの人も受け取ります。しかし、一人目の人が受け取らないと、あとの人も受け取りません。このことから人は、回りの人のしていることを判断の基準にしていることがわかります。「赤信号みんなで渡ればこわくない。」という言葉があります。これも、みんながしているなら大丈夫、みんながしていることは正しい、という考えです。先の「赤信号みんなで渡ればこわくない。」には続きがあるそうです。それは、「でも、赤信号、みんなで渡ればみんな死ぬ。」--というものです。
2.人は様々な判断基準を「多数」に置いているのではないでしょうか? つまり「大きな門」「広い道」に安心するわけです。みんながしている、みんながしない、「みんな」という言葉が重要になるということです。「皆さん、これをお買いになります」と言われると買ってしまう人。「みんな知っているよ」と言われて、ドキッとしてしまう人がいるのではないでしょうか。
3.バブルの時も、リーマンショックも、「みんながやっている。みんなが買っている」という変な安心感があったのです。そうすると突然崩壊の日が来たのです。「その日」というのは突然来ます。本当に地震のようなものだと思います。未だに予知できないのですから。

C.「みんな」が正しいわけではない
1.ガリレオが地動説を唱えたときの有名な話があります。その当時、人々は天体は地球を中心にして動いているという「天動説」でした。多くの人がそう信じていました。しかし、ガリレオは太陽を中心に地球も回っていると言ったがために裁判にかけられ有罪になったのです。そのときガリレオの言った「それでも地球は動いている」という言葉は有名です。後になって、ガリレオの考えが正しかったことがわかりました。このことからも、大勢の人が言っているから正しいという考えがおかしいことがわかります。
2.イエス様の裁判の時、裁きをくだすピラトはその時集まっていた「みんな」が言った「十字架にかけろ」に負けてイエス様を十字架刑にしたのです。もちろんこの時の「みんな」の判断は間違いでした。自ら救い主を亡き者にしたのですから。なんと滅びに至る門は大きいことでしょうか。

Ⅱ.イエス様が門
A.イエス様だけ
1.なぜ「狭き門」になるのでしょうか? ヨハネの福音書14章6節にこうあります。 14:6 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。 と、天国に行く道はイエス様だけと言われているからではないでしょうか? 
2.独善的、排他的に聞こえて受け入れにくいのではないでしょうか? でも、そこまで言われるイエス様をまず調べてみてください。

B.それでもついて行く
1.このたとえ話をなさったのは、イエス様がユダヤの王様になってくださると思って集まった弟子達や群衆に対してです。彼らは、病気を治したり不思議を行ってくださるイエス様が王になれば、苦しい仕事をしなくてもすみ、病気になっても簡単に治してもらえ、それが神の国と思ったのです。
2.そういう人々に向かってイエス様は「狭い門」と言われたのです。確かにイエス様を信じるだけで救われるのですが、信じるというのは、自分の思うようでなくても信じ続けるということです。
3.クリスチャンになればイエス様によって病気も治してもらえ、経済も祝され、仕事も、進路も、家族のことも全てはバラ色と思っていたら、とんでもない、試練の連続、病気は治らない、宝くじも当たらないなど。それでも「イエス様だけだ」と信じてついて行くということです。

C.狭い羊の門
1.イエス様は別の例え話でこう語られました。 ヨハネ10:9 わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます。 イエス様が「門」です。羊の門は小さいのです。悪い動物が入らないように小さいけれども、そこには羊飼いが、羊の名を呼びながら見守りながら入れているのです。天国の門はイエス様です。
2.天国の門ではイエス様があなたの名前を呼んで待っておられるのです。信じて入るならもちろんそこは天国です。

● マタイ19:24 まことに、あなたがたにもう一度、告げます。金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。」 とイエス様がいわれた話があります。狭いどころか針の穴です。町に着いた旅人が門が閉まっていて入れないとき、荷物を全部捨てれば滑り込むようにして入ることのできる小さな穴が城壁の一部に開けてあったそうです。財産いっぱいの金持ちはそこを通れないですが、荷物を捨てて身一つになれば通れるのです。ラクダは通れるそうです。

★ イエス様だけが救い主という「狭い門」ですが、そこを入った人は「いのち」に入っているのです。

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