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礼拝説教、聖書を読んで感じた事

舟の右側に網をおろしなさい

2017-04-23 16:41:32 | 礼拝説教
2017/4/23礼拝説教
【テーマ】  復活のイエス・キリスト
【説教題】 「舟の右側に網をおろしなさい」
【聖書箇所】 ヨハネ21:3-14
  21:3 シモン・ペテロが彼らに言った。「私は漁に行く。」彼らは言った。「私たちもいっしょに行きましょう。」彼らは出かけて、小舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。
21:4 夜が明けそめたとき、イエスは岸べに立たれた。けれども弟子たちには、それがイエスであることがわからなかった。
21:5 イエスは彼らに言われた。「子どもたちよ。食べる物がありませんね。」彼らは答えた。「はい。ありません。」
21:6 イエスは彼らに言われた。「舟の右側に網をおろしなさい。そうすれば、とれます。」そこで、彼らは網をおろした。すると、おびただしい魚のために、網を引き上げることができなかった。
21:7 そこで、イエスの愛されたあの弟子がペテロに言った。「主です。」すると、シモン・ペテロは、主であると聞いて、裸だったので、上着をまとって、湖に飛び込んだ。
21:8 しかし、ほかの弟子たちは、魚の満ちたその網を引いて、小舟でやって来た。陸地から遠くなく、百メートル足らずの距離だったからである。
21:9 こうして彼らが陸地に上がったとき、そこに炭火とその上に載せた魚と、パンがあるのを見た。
21:10 イエスは彼らに言われた。「あなたがたの今とった魚を幾匹か持って来なさい。」
21:11 シモン・ペテロは舟に上がって、網を陸地に引き上げた。それは百五十三匹の大きな魚でいっぱいであった。それほど多かったけれども、網は破れなかった。
21:12 イエスは彼らに言われた。「さあ来て、朝の食事をしなさい。」弟子たちは主であることを知っていたので、だれも「あなたはどなたですか」とあえて尋ねる者はいなかった。
21:13 イエスは来て、パンを取り、彼らにお与えになった。また、魚も同じようにされた。
21:14 イエスが、死人の中からよみがえってから、弟子たちにご自分を現されたのは、すでにこれで三度目である。

○ 「復活」という事実は人類史上たった一度だけのできことですから、科学的検証というのは難しいものです。ですから、「信仰」をいただいて、新たな目で見ることをしないと信じられないでしょう。復活されたイエス様と出会った弟子達もなかなか心はスッキリしていませんでした。その弟子達がガリラヤ湖へと向かいました。

Ⅰ.復活のイエスを見てもわからない
A.弟子達は漁に出た
1.弟子達はイエス様の言葉の通り、ガリラヤに来たのですが、イエス様とすぐには会えませんでした。そこで彼らは漁に出ました。しかし、網をおろしても何も捕れなかったのです。
2.ペテロはかつて漁をしても何も捕れなかった時のことを思い出したのではないでしょうか? ルカ5:3 イエスは、そのうちの一つの、シモンの持ち舟に乗り、陸から少し漕ぎ出すように頼まれた。そしてイエスはすわって、舟から群衆を教えられた。 5:4 話が終わると、シモンに、「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい」と言われた。 5:5 するとシモンが答えて言った。「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。」 5:6 そして、そのとおりにすると、たくさんの魚が入り、網は破れそうになった。 

B.弟子達はわからなかった
1.復活されたイエス様は弟子達にそのお姿を現してこられたのですが、なかなか復活のイエスだとわからないのは、イエス様が特別に輝いていたわけでもないからでしょう。しかし、その手や脇腹の傷跡は間違いなく十字架の時のものですから、イエス様が復活されたことは間違いないのです。
2.今回も弟子達は岸部に立たれたイエス様がわからなかったのです。エマオ途上の弟子二人が、イエス様とわからないまま歩いていたのも考えさせられます。私たちもイエス様だとわからないことがないでしょうか?

Ⅱ.舟の右側に網をおろしなさい
A.あの日のことが思い出された
1.イエス様によって召し出されたあの日を思い出していたかもしれないペテロは、イエス様から 「舟の右側に網をおろしなさい。そうすれば、とれます。」 という言葉が心に響きながらも悶々として網をおろしたと思います。その瞬間、大漁の感触。同時にあの日のことが鮮明に思い出されたのではないでしょうか?
2.そして、 21:7 そこで、イエスの愛されたあの弟子がペテロに言った。「主です。」すると、シモン・ペテロは、主であると聞いて、裸だったので、上着をまとって、湖に飛び込んだ。 となるのです。あの日も、自分が何と罪深い人間かと思い知らされた日でした。今度もペテロは自分の不信仰、罪深さを感じながらもイエス様に向かったのです。

B.御言葉に従った時に何かが起こる
1.なぜ、「舟の右側」なのでしょうか? 左側でもよかったのではないでしょうか? あの日は 「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい」 であって、右側とかではありませんでした。
2.モーセに杖を上げさせると紅海が分かれたり、その杖で岩を打たせると水が湧き出たり、カナの婚礼では水を入れさせるとぶどう酒に変わったり、神(イエス様)が言われた通りにすると何かが起こったのです。
3.ここに理屈や科学的根拠とかいうものを越えた「信仰」の世界があります。神の御言葉に従うということです。従う決心をするということです。

Ⅲ.網は破れなかった
A.大漁なのに破れない
1.久しぶりに漁をして、何も捕れなかったあの虚しい心が、イエス様の言葉に従って網をおろしたところ、大漁の感触がやって来ました。ペテロだけではなかったでしょう。一気に、イエス様と共に歩んできた日々の喜びがよみがえってきたでしょう。まさに信仰の復活です。それも新しい信仰に!
2.普通なら破れてしまう網が破れませんでした。出エジプトをしたユダヤ人の服も靴も、荒野の40年間は破れなかったのです。神の守りはこうしたところにもあったのです。御言葉に従うと何か不思議なことも起こるのです。

B.イエス様と共に食する
1.最後の晩餐で食べたパンとぶどう酒はイエス様の十字架を思うものでした。ここガリラヤ湖畔での朝の食事はパンと魚。あの5つのパンと2匹の魚を思い出させるようなひとときではないですか。でもあの時は大勢の人に分け与えるのに必死だった弟子達です。今日は落ち着いてイエス様と共に食しています。
2.153匹の魚に意味があるのかどうかわかりません。しかし、この一連の出来事は彼らの頭にイエス様と共に過ごした楽しく劇的な日々がよみがえらせたことでしょう。

● 私も時々呼ばれた先で証をしますと、その時のことやイエス様の恵みがよみがえってきて嬉しくてたまらなくなるのです。証をすべきですね。救われた証、献身の証、数々の恵みや試練の証をすべきです。

★ 私たちもイエス様の十字架によって救われた者です。そして、今や目には見えませんが、共にいてくださる復活のイエス・キリストが私たちに「舟の右側に網をおろしなさい」と言われているのです。「なぜ左じゃダメなんだ!」なんて言っていないで、網をおろそうではありませんか。
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