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礼拝説教、聖書を読んで感じた事

十字架につけられた神

2017-08-06 16:58:47 | 礼拝説教
2017/8/6礼拝説教
【テーマ】  キリストの死
【説教題】 「十字架につけられた神」
【聖書箇所】 イザヤ53:4-7
53:4 まことに、彼は私たちの病を負い、
  私たちの痛みをになった。
  だが、私たちは思った。
  彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
53:5 しかし、彼は、
  私たちのそむきの罪のために刺し通され、
  私たちの咎のために砕かれた。
  彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、
  彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
53:6 私たちはみな、羊のようにさまよい、
  おのおの、自分かってな道に向かって行った。
  しかし、【主】は、私たちのすべての咎を
  彼に負わせた。
53:7 彼は痛めつけられた。
  彼は苦しんだが、口を開かない。
  ほふり場に引かれて行く羊のように、
  毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、
  彼は口を開かない。

ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、

○ 使徒信条の第5回目です。この直前の言葉はイエス様の誕生のことで、一気に死の話になります。その間のイエス様の子ども時代、青年時代も飛び越えています。実際聖書にそのような時代のことはわずかしか記録されていないのです。今日はイエス様の死の話です。

Ⅰ.裁判
A.ポンテオ・ピラト
1. ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け とありますが、ポンテオ・ピラトとは誰なのでしょうか? こんな大事な使徒信条の中に名前が出てくるのはマリヤとこのポンテオ・ピラトだけです。マリヤはわかりますが、この不信者ポンテオ・ピラトの名前が出てくるとは、どれ程有名な人だったのでしょうか?
2.彼はローマ皇帝のもと、紀元26〜36年まで、パレスチナに駐在した5代目の行政長官で、総督とも呼ばれました。ピラトはその政治的手腕が買われ、問題の多いパレスチナを委ねられました。皆が嫌がるこの地で、ピラトはユダヤ人たちを痛めつけることで、ストレスを発散させていたと言われます。残忍な人であったけれども臆病でイエスの裁判ではユダヤ人の言いなりになっています。晩年彼は自殺したと言われています。

B.イエスに罪は無い
1.その残忍なピラトはイエスを罪に定めようとはしませんでした。むしろピラトは「イエスに罪は無い」と言ったのです。ところが、祭司長や律法学者が民衆をあおり、ユダヤ人の王と言ったとしてローマ帝国に対する反逆罪で裁かれるようにしむけるのです。
2.正当な裁判ならばイエス様に罪は見出されず、即解放されるはずだったのです。いわゆる冤罪ですが、ピラトはそれがわかっていても罪の無いイエスを処刑することを認めてしまったのです。しかし、裁判長であるピラトがイエス様に罪を認めなかったという歴史的事実は見逃せません。

Ⅱ.十字架
A.十字架刑を受け入れたイエス様
1.処刑を宣告されたイエス様は当時のローマ帝国の処刑方法である十字架刑に処せられます。しかし、その十字架の前にローマ兵によって恐ろしいむち打ちの刑も受けられたのです。このむち打ちだけで死ぬ人もいたそうです。
2.昔のクリスチャンたちはこのようにして罪の無いイエスが殺されたことを認めています。しかも、その十字架刑が聖書に預言されていたことを認めるのです。ピラトやユダヤの祭司長たちにより殺されたものの、それはイザヤの預言にあるように、 神に打たれ、苦しめられたのだと いうことです。
3.イエス様がこの冤罪事件を受け入れられたのはまさにこういう預言、つまり神様のご計画を知っておられたからです。しかも、イエス以外に私たちを救うことのできる人はなかったのです。

B.私の身代わりである十字架
1.「十字架につけられ」という短い文で告白する信仰は、ただ冤罪事件としての十字架ではなく、「身代わりの死」です。イエス様は「私に罪は無い」と裁判の席で訴えることもできたのに、 53:7 にあるように口を開かれなかったのです。
2.十字架というのは罪の無いイエスが殺されたというだけのものではありません。アダムから始まった全ての人間の罪の総決算であり、個人的には「私」の罪の解決のためなのです。

Ⅲ.埋葬
A.神が死ぬ
1.十字架でイエス様は死なれました。 死にて葬られ、陰府にくだり と告白しているとおりです。間違いなく、墓に収められたのです。ただ、この後に続く復活がありますが、幻影や作り話では無く、本当に墓に葬られたということです。
2.墓に葬られたということはその肉体が滅んだことを示すのですが、イエス様は滅びる身体をもってこの地上で過ごされた神です。この肉体を持った神ということが理解に苦しみ、学者達は今も議論しています。が、本当に神が人となられたのです。

B.神が陰府に降る
1.陰府というのはどういう所でしょうか? この陰府というのは「ハデス」というギリシャ語で、全ての死者が集められる地下の住居と考えられていました。またサタンのために備えられた場所とも言われています。
2.燃える火の地獄のような所だとして、そこにイエス様も行かれたのかが不思議ですが、ダニエルの友人3人が燃える火の炉に投げ込まれてもなんの害も受けかなったように、イエス様もそういう場所に行っても害を受けないのは間違いないでしょう。私たちは行ってはいけません。

★ イエス様は受けなくてもよい裁きを受けて、十字架で死なれ、墓に入れられ、陰府に降られました。それは私たちが受ける裁きでした。そのすべてをイエス様が身代わりに受けてくださったのです。それによって信じる私たちは裁きを受けず、恐ろしい陰府を体験せずにすむようになったのです。身代わりのイエス様を信じようではありませんか。

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