バイブルサロン

礼拝説教、聖書を読んで感じた事

とりなしの祈りのすばらしさ

2016-10-16 18:03:52 | 礼拝説教
2016/10/16礼拝説教
【テーマ】  祈りの応援
【説教題】 「とりなしの祈りのすばらしさ」
【聖書箇所】 ローマ15:30-33
  15:30 兄弟たち。私たちの主イエス・キリストによって、また、御霊の愛によって切にお願いします。私のために、私とともに力を尽くして神に祈ってください。
15:31 私がユダヤにいる不信仰な人々から救い出され、またエルサレムに対する私の奉仕が聖徒たちに受け入れられるものとなりますように。
15:32 その結果として、神のみこころにより、喜びをもってあなたがたのところへ行き、あなたがたの中で、ともにいこいを得ることができますように。
15:33 どうか、平和の神が、あなたがたすべてとともにいてくださいますように。アーメン。

○ 長かったパウロのローマ教会への手紙もいよいよ終わります。今日のテキストにはパウロの祈りのリクエストがあります。私もたくさんの手紙を書きましたが、親しいクリスチャンには祈りのリクエストを書くものです。私もその人のために祈っているけれど、私のためにも祈って欲しいからです。祈り合える関係はとてもすばらしいと思います。

Ⅰ.共に祈って欲しい
A.イエス・キリストによって
1.私たちは祈りの最後に「イエス・キリストのお名前によってお祈りします」と言いますが、それは、どうしてでしょうか? 本来私たちは天の神様に祈ることもできないような者だったのです。それが、イエス様の十字架のお陰で私たちの罪は赦されて神の子とされました。ですから天の神様を「お父様」と呼んで、親しくお話しすること(祈ること)ができるようになったのです。
2.しかし、今日のテキストでパウロが 私たちの主イエス・キリストによって というのはそういう祈りの最後の言葉ではなく、ローマ教会の人達に自分のことを祈って欲しいと願っているわけで、その願いはイエス様の願いでもあるのだというほどに強くお願いしている言葉です。
3.私たちは自分の願いが単に自分の欲から発していることなのか、イエス様の導きによって起こった願いなのかわかっているでしょうか?

B.聖霊の愛によって
1.また彼は また、御霊の愛によって切にお願いします と彼らの祈りを期待しています。私たちの祈りは自分勝手な思いで祈っていることもありますが、私たちの内に住んでおられる聖霊は、私たちの思い以上に祈らせてくださるお方だということもご存知と思います。
2.パウロはローマ教会の人達がそのように聖霊に導かれて祈ってくれることを願っているわけですが、同時にパウロ自身も聖霊の愛でローマ教会を愛してこの祈りのリクエストを出していることを言っているわけです。

C.ともに力を尽くして
1.「祈ってくれ!」とだけ言うのは無責任でもあります。しかし、自分だけが祈るのもまた教会として不健全です。 私とともに力を尽くして神に祈ってください という祈りこそ健全な教会の祈りではないでしょうか。
2.パウロは会ったこともないローマ教会の信徒達を愛しているのです。信頼しているのです。祈り合えるのはそういう仲間だからです。とりなしの祈りを共にすることができる関係、それこそ教会なのです。

Ⅱ.とりなして欲しい
A.不信仰な人々から救い出され
1.パウロにはエルサレムに献金を届ける仕事がありました。その大事な献金を盗まれないことももちろんですが、エルサレムやその周辺にはパウロを嫌うユダヤ人もいたわけです。クリスチャンとなったパウロを殺そうと狙う人達もいたわけです。こういう人達から守られるようにと願っています。
2.福音宣教の大事な仕事をする時に必ずといってよいほどそれを妨げようとする働きがあります。それは不信仰な人からであったとしても背後には悪魔が働いていることが多いのです。私たちのとりなしの祈りはそうした悪の力をイエス様の血潮で阻止するための祈りなのです。

B.奉仕が受け入れられるように
1.またエルサレムに対する私の奉仕が聖徒たちに受け入れられるものとなりますように と、クリスチャンであってもパウロの働きを全面的に認めている人ばかりではありません。エルサレムを遠く離れて異邦人の地で伝道しているパウロを理解してくれているかわからないものです。
2.パウロはとても強い人のように思えますが、エルサレムの聖徒たちのことでさえ心配したのです。いかにとりなしの祈りが必要かということです。私たち弱い者が「頼む、祈ってくれ!」と言わずにおれないのではないでしょうか。

Ⅲ.共にいこいを得ることができるように
A.とりなしの祈りの結果を見る
1.最後にとりなしの祈りは必要だというだけで無く、とりなしの祈りをすることは その結果 があります。彼らのとりなしの祈りのおかげで、パウロが 喜びをもってあなたがたのところへ行き と、ローマに行けるようになるのです。この手紙の時には、パウロはローマに囚人という立場で行くことになるとは思ってもみなかったでしょうが。
2.もう一つの結果は あなたがたの中で、ともにいこいを得ることができますように と、ローマ教会の信徒との交わりで憩うということです。

B.教会は憩いの場
1.15:30 私とともに力を尽くして は「共に戦う」という意味でもあります。時に祈りは戦場です。命をかけた戦いでもあります。その戦いに共に加わって欲しいというのです。
2.そうした命をかけた戦いの中でも、神様のもとにあると私たちはいこいを得ることができます。教会はそういういこいの場であるということです。

★ パウロがローマ教会に願ったように、私たちも互いにとりなしの祈りをしあう仲です。
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 終末に向かってまっしぐら | トップ | よろしく! »
最近の画像もっと見る

あわせて読む