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礼拝説教、聖書を読んで感じた事

熱い神の思い

2015-10-12 05:31:17 | 礼拝説教
2015/10/11礼拝説教
【テーマ】  召命
【説教題】 「熱い神の思い」
【聖書箇所】 ローマ11:25-36
  11:25 兄弟たち。私はあなたがたに、ぜひこの奥義を知っていていただきたい。それは、あなたがたが自分で自分を賢いと思うことがないようにするためです。その奥義とは、イスラエル人の一部がかたくなになったのは異邦人の完成のなる時までであり、
11:26 こうして、イスラエルはみな救われる、ということです。こう書かれているとおりです。
  「救う者がシオンから出て、
  ヤコブから不敬虔を取り払う。
11:27 これこそ、彼らに与えたわたしの契約である。
  それは、わたしが彼らの罪を取り除く時である。」
11:28 彼らは、福音によれば、あなたがたのゆえに、神に敵対している者ですが、選びによれば、父祖たちのゆえに、愛されている者なのです。
11:29 神の賜物と召命とは変わることがありません。
11:30 ちょうどあなたがたが、かつては神に不従順であったが、今は、彼らの不従順のゆえに、あわれみを受けているのと同様に、
11:31 彼らも、今は不従順になっていますが、それは、あなたがたの受けたあわれみによって、今や、彼ら自身もあわれみを受けるためなのです。
11:32 なぜなら、神は、すべての人をあわれもうとして、すべての人を不従順のうちに閉じ込められたからです。
  11:33 ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。そのさばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう。
11:34 なぜなら、だれが主のみこころを知ったのですか。また、だれが主のご計画にあずかったのですか。
11:35 また、だれが、まず主に与えて報いを受けるのですか。
11:36 というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。

○ 神学生になって何度か「私は牧師にふさわしくない。神学校をやめよう」と思って、弓山校長の家に向かいました。その時、いつも心に響いたのが、 11:29 神の賜物と召命とは変わることがありません。 でした。これはユダヤ人に対して言われた言葉ですが、私もこの言葉で励まされたのです。

Ⅰ.神様の愛は深すぎる
A.ユダヤ人は愛されている
1.ある人たちは「新約の時代は異邦人の時代・教会の時代で、もうユダヤ人は関係無い」というようなことを言いましたが、今日のテキストを見ると、パウロは 11:26 こうして、イスラエルはみな救われる、 と言っているのです。神様はユダヤ人を見放してはおられないのです。
2.パウロは面白い言い方をします。 11:28 彼らは、福音によれば、あなたがたのゆえに、神に敵対している者ですが、選びによれば、父祖たちのゆえに、愛されている者なのです。 律法によって生きてきたユダヤ人にとって、イエス様の十字架による救いという福音はあり得ないことになり、敵対関係でした。
3.しかし、そんなユダヤ人もアブラハムの子孫であり、神様の選んだ民族なのです。神様に愛されているのであって、決して見放されてはいません。

B.私たちも愛されている
1.では、私たちはどうなのでしょうか? 異邦人ですから、選ばれた民ではありません。しかし、私たちも神様に愛されています。それはユダヤ人が特別に選ばれた理由を考えればわかります。全ての人を救うために神様は神様と神様のお考えを教えるためにユダヤ人を選ばれたのです。つまり、私たちを救うためにユダヤ人を用意してくださったわけです。
2.ところが、ユダヤ人までもが不信仰に陥ったのです。このままでは、またノアの大洪水のようなことが起こるところでしたが、神様は二度とそういうことは行わないと約束されたので、少数でも信仰を持ち続けている者を用いてくださいました。
3.それによって私たちのところにまで福音が届いたのです。そして、その福音は「イエス様を信じることで救われる」というものですから、異邦人は信じて救われたのです。

C.賜物が与えられ、召命がある
1.神の賜物と召命とは変わることがありません。 と、神様が言われたということは、ユダヤ人は神様から賜物をいただいていることですし、その働きのために召されているということで、それは神様がユダヤ人を信じておられるということではないでしょうか。
2.親が子どもを信じるように、神様はユダヤ人を信じておられます。それが愛です。ユダヤ人には神様からの賜物が与えられており、それは消え去りも、取り去られてもいないのです。賜物は信仰と共に働くのです。
3.異邦人も救われたということは、私たち異邦人にも「賜物」が与えられており、神様の「召命」もあるということです。私たちも愛されており、信仰によって「賜物」が与えられているのです。そして、神様の召命もあるのです。

Ⅱ.神様の計画は偉大すぎる
A.疑問だらけの神
1.神様が全知全能だということはほぼ誰もが知っていることです。また、全知全能で無ければ神では無いのです。ただ私たちはその偉大な神を、小さな私たちの頭で理解できる程度に小さくしてしまうのが常です。
2.「神が何でもできるなら、最初から人間を罪を犯さないようにつくるべきだった。なぜ、罪を犯してしまうようにつくったんだ?」とか、「神がいるなら戦争なんて起こるはずが無い」とか、「神がいるならどうして格差、差別がおこるようなことをしたんだ」とかいう疑問は昔から消えることがありません。
3.それは神様のことを知らないから出てくる言葉です。しかし、神様を理解できる人もいないので、こうした疑問が続くのも仕方が無いと思います。また、こうした疑問に答えることのできる人が果たしているのでしょうか?

B.あわれみ深い神
1.11:30 ちょうどあなたがたが、かつては神に不従順であったが、今は、彼らの不従順のゆえに、あわれみを受けているのと同様に、 とありますように、「不従順」という良くないことを引き起こしてしまったユダヤ人ですが、それによって神様は私たち異邦人をあわれむことにされました。
2.これはあわれみですから、異邦人が神様の基準に達したので、救われたというわけではありません。ユダヤ人から異邦人に神様が愛の乗り換えをなさったのでもありません。異邦人はやはり、全く基準外でした。しかし、異邦人はイエス様を信じたのです。
3.前にパウロが異邦人クリスチャンに「誇ってはならない」と言いましたが、確かに誇れるようなことは何も無いのです。ただ、一方的な神のあわれみだったのです。

C.愛だらけの神
1.今日のキー聖句である 11:29 神の賜物と召命とは変わることがありません。 は、ユダヤ人が不従順(不信仰)になろうが、神様の愛は全く変わらないことを意味しています。
2.神様は不従順になったユダヤ人も、不従順だった異邦人も共に愛し続けておられたのです。「わが子だから」という親のように、信じて、見捨てはされなかったのです。

● 最初に私のことを言いましたが、こんな私に 神の賜物と召命 といったものがあるのでしょうか? 弓山喜代馬校長の家に向かう時にこの御言葉が私の心に迫ったのですが、その時の私には、私にどんな「賜物」があるのかはわかっていませんでした。いや、未だにわかっていない気がします。しかし、あの時「召命」はわかったのです。「確かに間違い無く、神様は私を牧師として召しておられる」ということです。私は 11:33 ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。そのさばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう。 の御言葉をそのまま感じます。

★ 神様は、イエス様を信じるあなたにも間違い無く「賜物」を与え、神様の働きのために召しておられるのです。

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