バイブルサロン

礼拝説教、聖書を読んで感じた事

神を試してよいのか

2017-07-23 18:31:57 | 礼拝説教
2017/7/23礼拝説教
【テーマ】  試す祈り
【説教題】 「神を試してよいのか」
【聖書箇所】 マラキ3:10
 3:10 十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、
  わたしの家の食物とせよ。
  こうしてわたしをためしてみよ。
  ──万軍の【主】は仰せられる──
  わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、
  あふれるばかりの祝福を
  あなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。

○ 「神様、明らかに御言葉をくださったら献身します」「あの人が今度ここに来たら、伴侶となる人だと信じます」「宝くじが当たったら教会に献金します」のような祈りをしたことはないですか?

Ⅰ.神を試すようなことを言った人
A.ギデオンの場合
1.ギデオンは神様から「勇士よ」と言われて、イスラエルを敵から守るリーダーとして働くことを示されました。しかし、彼は勇気がなく、すぐには自分がそのような働きをすることが信じられなくて、神様に 士師記 6:37 今、私は打ち場に刈り取った一頭分の羊の毛を置きます。もしその羊の毛の上にだけ露が降りていて、土全体がかわいていたら、あなたがおことばのとおりに私の手でイスラエルを救われることが、私にわかります。」 と神様にしるしを求めています。しかも、その通りになると次は 6:39 ギデオンは神に言った。「私に向かって御怒りを燃やさないでください。私にもう一回言わせてください。どうぞ、この羊の毛でもう一回だけ試みさせてください。今度はこの羊の毛だけがかわいていて、土全体には露が降りるようにしてください。」 と、またしるしを求めました。すると、そのとおりになったので、彼は自分が召されていると信じました。
2.この話から、私たちもそのように神様にしるしを求めてよいのでしょうか?

B.ペテロの場合
1.もう一つの例はどうでしょうか? ペテロが湖の上を歩く話です。 マタイ14:28 すると、ペテロが答えて言った。「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください。」  もし、あなたでしたら と、ペテロは湖の上を歩いてくる方がイエス様だと確信できていないような言葉です。イエス様のそばにいた弟子でさえ、イエス様を理解するには時間がかかっていたのです。
2.ここではイエス様はそのペテロの言葉に応じておられます。 14:29 イエスは「来なさい」と言われた。そこで、ペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスのほうに行った。 と。ということは、このような願い、神様を試すような祈りもかまわないということでしょうか?

C.イエス様の場合
1.最高の祈り手としてのイエス様を見てみましょう。死んだラザロを生き返らせるところです。 ヨハネ11:41 そこで、彼らは石を取りのけた。イエスは目を上げて、言われた。「父よ。わたしの願いを聞いてくださったことを感謝いたします。 11:42 わたしは、あなたがいつもわたしの願いを聞いてくださることを知っておりました。しかしわたしは、回りにいる群衆のために、この人々が、あなたがわたしをお遣わしになったことを信じるようになるために、こう申したのです。」 イエス様は感謝を述べられました。その理由が42節にあります。人々が信じるためです。
2.死人が生き返るという奇跡を起こしてくださいと願われたイエス様ですが、イエス様は神様を試すような願いではなく、イエス様の願いを即聞いてくださると信じ切っている言葉を語られたのです。人々がイエス様を信じるための願いでした。

Ⅱ.神が私たちを試しておられる
A.単に献金のことだろうか?
1.今日のテキストのマラキ3:10は有名です。聖書の中で唯一、神様が「試してみよ」と言われている箇所だそうです。それが、私たちの十分の一献金の元ともなっている聖書箇所ですから、このことはよく問題にもなり、このことが原因で教会を辞めるという人も出てくるような御言葉です。
2.しかし、これは私たちが神様を試すというより、私たちの方が試されているのだということに気づいてください。私たちは神の愛に触れて信仰生活を送っていくと、「全てを献げます」と言い表して献身するのでは無いでしょうか。「十分の一を献げます」とは言わないのです。そうです。神様はわずか十分の一のことで私たちの献身を試しておられるのです。

B.私では無く、神だと信じること
1.ギデオンは確信が無いために羊の毛を濡らして欲しいと願いました。神様は彼の弱さを知っておられ、確信をもって神の召命を受け入れるように彼の願いを聞いて不思議を起こしてくださいました。神が羊の毛を濡らすことは簡単なことです。そして、私たちを聖霊で満たすことも簡単な方です。
2.ギデオンは自分のような者がイスラエルの救いのために立つことができるか、羊の毛がバプテスマされる程度のことでは無いと、彼はまだ信仰が持てなかったでしょう。そこで地面だけ濡らすことも願ったのですが、「自分では無く、神だ!」と信じるべきなのです。
3.しかし、ギデオンが神様にしるしを求めた、神を試すことを許されたことは私たちにも大きな励みでは無いでしょうか。もちろん試さない方が良いに決まっています。

C.試みない方が良いに決まっている
1.私たちが悩むのは神様を試みてはならないという言葉があるからではないでしょうか。それは、 マタイ4:7 イエスは言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない』とも書いてある。」 です。しかし、この言葉はサタンの誘惑に対して語られたイエス様の言葉なので、私たちの言葉とは根本的に異なるのです。が、それでも神様を試すというのは問題です。
2.イエス様がラザロをよみがえらせた祈りの時、イエス様は神を信じておられたのです。しかもそれが神の御心であることを確信しておられたのです。イエス様のようにはいきません。だから、弱いまま神にぶつかっていけば良いのです。

● 恐縮ですが、私の献身の証。何度もしていますが、私は中学校の教師を続けたかったのです。しかし、迫りを受けた時、「どうしても反論できない御言葉をください」と祈って1ヶ月。それが与えられたのです。

★ 敢えて「神を試すような祈りをしましょう」とは言いませんが、そういう言い方しかできないような時、ギデオンやペテロのように神様に申し上げてよいのでは無いでしょうか? 神はあなたに期待してあなたを試みておられます。従いますか。
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 祈りとは何か | トップ | アブラハムの祈り »
最近の画像もっと見る

あわせて読む