バイブルサロン

礼拝説教、聖書を読んで感じた事

イエス様の不思議な体

2016-04-03 17:18:57 | 礼拝説教
2016/4/3礼拝説教
【テーマ】  復活
【説教題】 「イエス様の不思議な体」
【聖書箇所】 ルカ24:36-49
  24:36 これらのことを話している間に、イエスご自身が彼らの真ん中に立たれた。
24:37 彼らは驚き恐れて、霊を見ているのだと思った。
24:38 すると、イエスは言われた。「なぜ取り乱しているのですか。どうして心に疑いを起こすのですか。
24:39 わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしくわたしです。わたしにさわって、よく見なさい。霊ならこんな肉や骨はありません。わたしは持っています。」
24:41 それでも、彼らは、うれしさのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物がありますか」と言われた。
24:42 それで、焼いた魚を一切れ差し上げると、
24:43 イエスは、彼らの前で、それを取って召し上がった。
  24:44 さて、そこでイエスは言われた。「わたしがまだあなたがたといっしょにいたころ、あなたがたに話したことばはこうです。わたしについてモーセの律法と預言者と詩篇とに書いてあることは、必ず全部成就するということでした。」
24:45 そこで、イエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、
24:46 こう言われた。「次のように書いてあります。キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、
24:47 その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。
24:48 あなたがたは、これらのことの証人です。
24:49 さあ、わたしは、わたしの父の約束してくださったものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。」

○ 先週はイースターでした。イエス様が復活されたのは日曜日の朝で、多くのプロテスタント教会はその日を記念して、「主の日」と呼び、「主日礼拝」と言ったりしています。日曜毎にイエス様の復活を感謝するのです。さて、そのイエス様の復活から、「復活の体ってどんな体なのだろう」と考える人は少なくありません。私たちもいずれ復活の体をいただけるというのですから、無関心ではいられません。

Ⅰ.霊とは?
A.幽霊と思い込んだ
1.復活されたイエス様が弟子たちの真ん中に立たれた時、弟子たちは 24:37 彼らは驚き恐れて、霊を見ているのだと思った とあります。彼らの言うこの「霊」は何でしょうか? 日本人的に言えば、「幽霊」でしょうね。つまり、イエス様が死んで幽霊となって出て来たということでしょうか?
2.弟子たちがイエス様より先に舟で向こう岸に行こうとしていた時、向かい風でなかなか進めませんでした。そこにイエス様が登場した時のことです。 マタイ14:26 弟子たちは、イエスが湖の上を歩いておられるのを見て、「あれは幽霊だ」と言って、おびえてしまい、恐ろしさのあまり、叫び声を上げた。 とあります。幽霊を信じていたのでしょうか。

B.霊には肉や骨はない
1.復活のイエス様を見て、取り乱している弟子たちに対して、イエス様は 24:39 わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしくわたしです。わたしにさわって、よく見なさい。霊ならこんな肉や骨はありません。わたしは持っています と言われました。霊には肉や骨はないのです。その考えは当たり前かも知れません。
2.霊は原語では「息」とも「風」と訳せる言葉です。アダムは神の息を吹き込まれて生きるものとなりました。(創世記2:7 神である【主】は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は生きものとなった。) 霊は見えないのです。復活のイエス様は幽霊ではありません。

Ⅱ.復活の体とは?
A.私たちの体とは全く違う
1.では復活されたイエス様の体はどのような体なのでしょうか? イエス様は弟子の差し出した焼き魚を食べられました。明らかに霊ではないということです。霊なら食べることはできないのです。
2.しかも 24:36 これらのことを話している間に、イエスご自身が彼らの真ん中に立たれた ということが気になります。弟子たちのいた家というのは、ユダヤの指導者達を恐れて誰も入って来れないようにしっかり戸締まりしていたのです。突然、彼らの真ん中に立たれたのです。そういう体です。私たちの体とは全然違いますね。

B.死なない体
1.今までに生き返った人はたくさんいるそうですが、みんな死にましたし、死にます。しかし、死なない体に生き返った人はイエス様だけです。それが復活です。
2.イエス様が単に生き返っただけなら、十字架の釘の跡、鞭の傷、茨の冠の傷、とてもではないですが、元気でいられるはずがありません。ということは、復活の体というのは痛みも無く、時空間にも支配されない体であり、しかし、食べたりすることができるとは、私たちの次元も問題無く生活できるからだということでしょう。

Ⅲ.私たちはどうなる?
A.私たちもイエス様と同じようになれる
1.イエス様は私たちのひな型ですから、私たちもイエス様と同じ復活の体をいただけるのです。痛みや苦しみも無い体をいただき、脳までが新しくなるというのは、悪しき判断も無くなるということです。
2.前に語ったことですが、罪を犯さなければ死ぬことはなかったのです。イエス様の復活の体は死なない体です。つまり、罪とは無関係になった体です。それが私たちの体となるのです。

B.私たちは証人になる
1.イエス様を信じてすぐに復活の体、完璧な体をいただくのではありません。しかし、それまでの間、私たちは不完全なこの体に完璧な神様「聖霊」をいただくのです。
2.私たちがもしクリスチャンになった時点で復活の体をいただければ、人々はビックリして、見て信じるかと思います。しかし、それは「信仰」ではないようです。この不完全な体、クリスチャンであろうとなかろうと同じです。しかし、両者には大きな違いがあります。「聖霊」が内住されているか、されていないかです。

● キリスト教信者を増やしたければ、イエス様は復活した時、あちこちにその体を見せて回ったでしょうし、神としての性質も見せて回られたでしょう。しかし、それは「信仰」にはならないのです。

★ イエス様が復活してくださって、弟子たちにその体を見せてくださった。その不思議な体が私たちにも与えられるとはははなんと幸いでしょうか。
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 週の初めの日の出来事 | トップ | キリストの弟子の行い »
最近の画像もっと見る

あわせて読む