とりあえず80歳へ  『古希からの田舎暮らし』も10年目になろうとし、喜寿も過ぎてゆき、さて……。

定年後は田舎志向。69歳のとき三木市で「田舎暮らし」をはじめました。田舎にとけ込もうと心掛け、菜園をたのしむ日記です。

〈土手の草刈り・2017〉がスタートしました。

2017-04-24 00:21:04 | 日記
 畑仕事がいそがしくなります。デッキの〈楕円テーブルづくり〉ばかりにかまけておれません。
 きのうは南側土手の下半分と道路沿いを刈りました。「足場をつけて土手の草を刈るようになって10年目。今年はまだいけそうだ」と思いながら。
           
 畑のそばの山も美嚢川の川向こうの山山も、若葉でふっくらしています。秋の色づいた山山と今の季節がいちばんいい。ボチボチですが今年も畑をつくれそう。しあわせです。

「高柳芳夫」という人は1931年(昭和6年)生れで85歳になる作家です。作品を読んだことはありませんが、2016年6月号の『オール讀物』という雑誌に書いておられる一文を読んで、「過酷な境遇に置かれる人」の厳しさに慄然としました。引用します。

 私は、きっちり20年勤めて外務省を辞め(年金を受給できる。42歳)、大学のドイツ語の教師となって生活を確保し、3作目『プラハからの道化師たち』で乱歩賞を受賞した。 …… その後次第に執筆の依頼も増え、ほぼ10年間しゃにむに書きまくった。
 忙しい年月だった。とにかく大学との二股稼業だ。それに当時はパソコンはなく、原稿は手書きである。暇のあるとき、あるいは深夜書きなぐった原稿を妻が浄書する。悪筆でメチャクチャな文章を暗号のように解読して書き直してくれる。それに私の文章は一発で決まらない。何度も書き直すから、例えば500枚の長編なら2,3000枚は浄書するということになる。
 その妻が心臓病で倒れた。  ……  手術は6時間かかり、人工弁を埋め込んだ。2,3年は調子よかったが、ほどなく寝たきりになった。私は一人で介護した。食事、掃除、洗濯はもとより、風呂、排便、となんでもやった。小説など書く暇はない。そのうち痴呆も出て、訳の分からぬことを言い、夜ベッドから落ちる。排泄物でベッドを汚す。私は夜も昼も眠れず、突然の激しい耳鳴りで思考能力を失った。あちこち病気が出て倒れそうになるのを堪え介護した。そんな介護が15年間続いた。
 世間には、介護に疲れ、寝たきりの妻や夫を殺して自分が殺しました、と自首する高齢者が少なくない。そんなニュースを聞くたびに、胸が痛んで仕方がない。私も、妻を殺すことを何度も考えたからである。
 介護は辛い。まさに地獄である。しかし介護の辛さだけなら耐えられる。耐えられないのは、どんなに介護しても病人は快復しない。介護すればするほど、病人の命を先送りし、苦痛を先延ばしするだけ、むしろ介護は拷問だ、無意味だ。この意識に取りつかれたら絶望だ。私は毎夜、幽霊のように変わった妻の寝姿を見ながらこの絶望と戦った。
 妻が死んだとき、私は魂の抜けたような虚脱感に襲われ、歩行も不安定になり一週間ベッドに転がっていた。それから2年間、いろんな病気を発症して入退院を繰り返したが、ようやく回復してきた。 
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