とりあえず80歳へ  『古希からの田舎暮らし』も10年目になろうとし、喜寿も過ぎてゆき、さて……。

定年後は田舎志向。69歳のとき三木市で「田舎暮らし」をはじめました。田舎にとけ込もうと心掛け、菜園をたのしむ日記です。

夜中に一人で『こころ旅』しました。

2016-10-18 05:15:11 | 日記
 NHKのBS放送で、火野正平が自転車で走る『こころ旅』という番組をやっています。
 視聴者のリクエストで全国の思い出の地をまわるのですが「子ども時代の思い出」が圧倒的に多い。今週は我が郷里・鳥取県。見逃してなるものかと待ち構えて見ています。
 今朝は、いつものように深夜に起き出して、グーグルの「ストリート・ビュー」でぼくの思い出の地を見ていました。
 ぼくの「子ども時代の思い出の地」はあちこちあるから時間がかかります。ぼくの記憶に残る地をあげてもかなり。生まれたところは鳥取市の宇部神社の前だそうですが、これは記憶がありません。
 父が朝鮮の小学校に赴任することになり、ぼくら(母と3人の幼児)も行ったのですが記憶はなし。母の病気で家族は昭和18年に内地に一時帰国しました。(病気が治っても、戦況がわるくなり、もう朝鮮に戻れませんでした)
 だから記憶に残る最初の思い出の地は鳥取県東伯郡舎人村方地です。この地で舎人国民学校にあがりました。
 日本は戦争に負けて父の引揚げ ⇒ 日野郡黒坂町久住の分校に赴任 ⇒ 家族も日野郡の山奥に行きました。
 小学校5年生になったとき、父が鳥取県東伯郡竹田村の木地山分校に赴任 ⇒ ぼくらは本校のある穴鴨の官舎に。
 小学校6年生の4月、敗戦後に生まれた妹・伸子が亡くなり、ぼくらは倉吉町に出ました。
 敗戦国日本は外地からの引揚げ者でふくれあがり、住宅難のときでまず三明寺の神社の裏家に住みました。次に余戸谷町の水道山のふもとに。中学3年生のとき葵町・賀茂神社のそばの市営住宅に。中学・高校とここで。その後山陰本線の上井駅近くに家を建てて移住。
 
「ストリート・ビュー」で見ると名残りの残っているところ、まったく変わってしまったところといろいろです。ぼくにとって「今どうなっているか」はどうでもいい。「記憶の手掛かり」を見て何ともいえない「甘酸っぱいような気持ち」にひたりました。
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