BAでインド到着。予定時刻より3時間遅れだった。ロンドンからの出発が遅れたためだ。
インドはロンドンと打って変わって、暑い。30度くらいあるんじゃないか。
デリーの空港から車で30分くらいで市内のメトロポリタン・ホテルに来た。ここは、前は日航ホテルだったそうだ。JALのリストラの一環で売られたようだ。
ホテルでバークレイズの元同僚だったVik Lallと奥さんたちと合流する。彼は今回のインドの旅程をコーディネートしてくれた。見学コースから車の手配やホテル、レストランまでいろいろと調べてくれた。
今回のインドの旅は5日間、デリー、アグラ、ジャイプルを回る。いわゆるゴールデン・トライアングルと言われている。デリーとアグラでは、北インドのムガル帝国の栄光と衰退の歴史を見て、ジャイプルでは、ラジェスターンやアンベール王国の歴史を見ようと思う。
ムガル帝国は中央アジアを征服していたティムール帝国の末裔のバーブルが矛先を変えてインドに来たのが始まりだ。1526年にデリー王朝を破ってムガル王朝を建てた。彼らはインド人ではなく、モンゴルやトルコ系だった。
バーブルの息子がフマユーン(1508-56)。フマユーンの墓がデリーにある。次の皇帝がアクバル(1542-1605)。彼がムガル帝国を拡大していった。彼の最大の功績は、ヒンドゥー教とイスラム教とキリスト教の民衆をまとめて、人民からの人望を得たことだろう。嫁もきちんと3人それぞれヒンドゥー教とイスラム教とキリスト教の妃を迎えた。そして、アクバルは、現在もアグラで残っている世界遺産のアグラ城やファテーブル・スィークリーをつくった。
アクバルの息子のジャハーン・ギール(1569-1627)がペルシャ出身の妻ヌール・ジャハーンを迎えたが、政治を妻に任せたので、ムガル帝国はペルシャ文化を多いに受け入れた。
次のシャー・ジャハーンがアグラにあるタージ・マハールを建築したことで知られている。この時代がムガル帝国の絶頂だったらしい。
シャー・ジャハーンの晩年は息子たちの権力争いがおきて、シャー・ジャハーンはアグラ城に息子によって幽閉されてしまう。その後は、イギリスなどのヨーロッパ勢力に押され、領土はデリー周辺だけになってしまう。
そして、1858年に最後の皇帝バハードル・シャー2世が反イギリスの「セポイの乱」に加担した罪に問われて、ムガル帝国は名実ともに滅亡した。
Red Fort
デリーでは、まずこの第5代皇帝シャー・ジャハーンが建てたレッド・フォート(ラール・キラー)を見学。赤い城壁で囲まれたお城は壮健だ。これは、当時皇帝が政治を行っていた場所で、一般謁見の間、貴賓謁見の間などある。
Jamma Masjid
ここからすぐ近くにJamma Masjidという巨大なモスクに行った。ムガル帝国の時代はお城の近くに必ずモスクがある。これは、インド最大もモスクだそうだ。
モスクを出ると混沌とした屋台が並んでいた。食べ物、牛や鶏肉をさばいている店などがあって、物乞いもウロウロしている。中にはなんの役に立つのかわからないようなガラクタを売っている屋台もあった。
Humayun's Tomb
ムガル帝国第2代皇帝フマユーンのお墓に行った。これは、シャー・ジャハーンがタージ・マハールを建てたときに参考にしたとだけあって、タージ・マハールを小さくした感じ。インド・イスラム建築の傑作といわれているだけあって、とても美しい。