気ままな旅日記

スコットランドの蒸留所を巡ったり、日本の世界遺産を見学したり、気ままな旅の日記です。

京都

2011-07-08 22:57:00 | Weblog

久しぶりに京都へいきました。9日にTOC道場に出席するので、一日早く京都へ来ました。

京都は以前、父が立命館の先生をやっていたので、年に数回来ていました。

夏の京都はとても暑い。まず、京都駅からバスで五条坂でありて、清水寺に行った。清水の舞台は迫力がある。緑がきれいに映えて、すばらしい。

清水寺から二年坂を歩いた。石畳みの路地は風情がある。途中で舞妓さん3人と出会った。京都に来た感じ。ねね様が秀吉のために建てたといわれる高台寺を訪問。ねね様が埋葬されている。

その高台寺の向いにあるのが秀吉の死後にねね様が住んでいた円徳院だ。ここは、茶室が一般に公開されていて、お茶を出してくれる。800円で一杯いただいた。小さな入口に入るとなんだかタイムスリップした感じ。京都に行ったときは、ぜひ訪問する価値があるでしょう。

そのあとは、円山公園を通って青蓮院に行った。青不動の絵が有名。畳の上でのんびりと庭を眺めているととても落ち着く。日本人でよかったなと思いました。

夜は、日立情報時代の友だちの富村くんと食事。祇園でもリーズナブルな値段の「侘助」というお店。東京の乃木坂にも姉妹店がある。京野菜やいろんな小皿が出てきてとても美味い。

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GRAIL開店まで

2011-06-20 20:06:13 | Weblog
GRAILが今日で6周年になりました。
そこで振り返ってGRAIL開店までの道のりを振り返ってみようかと思います。

私が小学生の頃、1972年から3年間、父の仕事でイギリスのウィンブルドンに住んでいました。父は新聞社の記者をしていて、ロンドンで特派員として働いていました。私は当時小学校1年生ですが、日本人学校は週末しか授業がなかったので、平日は地元のウィンブルドンの小学校に通っていました。英語がよくわからず苦労しました。よく金曜日になると学校の給食でフィッシュ&チップスが出た記憶があります。街でもテイクアウトのフィッシュ&チップスを新聞紙にくるんで食べていました。

また、私が社会人になって1999年から2001年まで2年間、イギリスのロンドンで証券会社のIT部で働いていました。このころは、酒が飲める年だったので、会社帰りにイギリスのパブによく会社の仲間と行っていました。イギリスというと階級社会というイメージですが、パブは「パブリック・ハウス」といわれるように地域のコミュニティの役割をしています。ここでは、階級社会はなく、老若男女みなお客さん同士でお酒を飲んで話しをして盛り上がっています。
そんなパブの典型的なメニューがフィッシュ&チップスです。白身魚に小麦粉を卵、ビールで溶いた衣をつけて油で揚げたものとじゃがいもを棒状に切って油で揚げたチップスと合わせて供します。この場合のチップスは、薄く切ったポテトチップスではなくフライドポテト(アメリカ英語のフレンチフライ)です。

2001年に日本に帰国して、しばらく経った2004年に、弟の三郎と大学でラグビーをやっていた下薗くんと出会いました。下薗くんはイギリスのパブをチェーンでやっているHUBで店長をやり、当時は浦安にあったプラネットハリウッドでマネージャをやっていました。シェフの高石くんも同じく、プラネットハリウッドでシェフをやっていました。
みんなで話し合い、イギリスのパブを西麻布でやろうという話しになりました。ちょうど、西麻布でBowmoreというスコッチバーが閉店してその場所が空いていました。私もときどき会社の仲間とそのBowmoreに行ってました。オーナーの島村さんには、そこで25年スコッチバーをやって、スコッチのうんちくをよく聞かせていただきました。島村さんは、25年前にスコットランドのアイラ島に行ってBowmoreの蒸留所を訪れて、スコッチにはまったそうです。

そして、2005年になり、イギリスのパブをやるには本場のイギリスのパブに行って、本物を見て体験しないといけないという話になりました。そこで、5月にイギリスのロンドン、スコットランドのアイラ島、スペイサイドの蒸留所やパブをスタッフ全員で巡ってきました。昼間はスコッチの蒸留所でシングルモルトをいただき、夜はパブを回ってビールやパブ料理を食べてきました。

スコットランドはみんな気さくな人たちが多くて、私たちが東京でイギリスのパブをやるんだというと、みんなすごく感激して協力してくれました。シェフの高石くんはイギリスやスコットランドのパブのシェフとすっかり意気投合して、キッチンにも招待されて、パブフードのレシピを教えてもらいました。スコットランドやイギリスのパブでいろんなフィッシュ&チップスを食べました。タラやなまず、カレイなどのいろいろな白身魚があります。
そして、2005年6月20日にBritish Pub GRAILを開店しました。




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facebook

2011-04-09 22:25:14 | Weblog

最近、日本でもフェースブックはやってきましたね。ミキシーとかtwitterとかソーシャルネットワークが流行ってきました。

今年の3月時点でフェースブックの日本の登録者数が300万人だそうです。私も高校時代にアメリカのテキサス住んでいた同級生とつながって、なんだか感動しました。向こうでも日本の震災の報道を見て気にかけてくれてたようです。世界がひとつになったような気がしました。

ところで、うちのお店もフェースブックのページを作りました。いろいろとスタッフがお店の情報を発信してます。

よかったら見てみてください。また、タイトルの横の「いいね」を押すとファンにもなって発信した情報を見れるようになるので、やってみてください。

GRAIL 
http://www.facebook.com/grailbar

 

ON THE SPREE http://www.facebook.com/onthespree

 


 

 


 

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Ho Chi Minh, Vietnam

2011-03-15 20:36:02 | 世界一周

 インドのデリーから3時間遅れで出発した。香港経由でホーチミンに行く予定だ。3時間も出発が遅れたので、香港からホーチミンに行く乗り換え便に間に合わず、予定より4時間遅れの16:30香港発、18:05ホーチミン着の便になってしまった。

 

ホーチミンは高校、大学の同級生の朝賀が駐在員として滞在している。あと、ウェークボード仲間の村田も去年からホーチミンで働いている。

 

ホーチミンは、かなり蒸し暑い。夜はベトナム料理を近くのレストランでいただいた。インドでは今までインドカレーばかり食べていたので、やはり、アジアは日本食に近く、美味い。

朝賀の家に泊めてもらって、朝からベトナム戦争のゲリラ戦が展開されたクチとメコン河クルーズにでかけた。

クチはベトナムの解放軍が米軍に対してゲリラ戦を展開していたところで、250kmにもおよぶトンネルをつくって、農家の家、会議室、キッチン、ダイニングルームなどが地下にあって、1960年から75年まで続いたベトナム戦争でアメリカに勝つひとつの要因となった。ベトナム解放軍が自国の解放と独立を目指して、ベトナム全国民がそれを助けて、アメリカと戦った様子がうかがえる。

トンネルの中にも入ったが、かなり狭い。中腰でやっと動けるくらいだった。これだけのトンネルや施設を作ったのは印象的だ。ベトナム国民がみんな一致団結して、ベトナムの独立を勝ち取ったという感じだ。

 

ランチは、メコンというレストランでベトナム料理をいただいた。メコン河でとれた象の耳魚のから揚げ、エビなど美味しかった。

 

午後はメコン河のクルーズに行った。ミトという町から船に乗って、島に渡った。ここでジャングルのようなところにお土産屋、キャラメル屋、はちみつ屋、フルーツ屋などが立ち並んでいる。ここは、年中温暖な気候で果物は豊富でおいしい。お昼はみんなハンモックの中で寝ている。こういう所では、自給自足の生活できるのだろう。だから、ベトナムの人はのんびりとした人が多いのだろうか。メコン河のほとりでフルーツ(バナナ、ドラゴンフルーツ、パイナップル、柿など)たらふく食べた。そして、小さな舟にガイドさん、浜野、私の3人を乗せて、地元の船頭さんが大きな船まで漕いでくれた。チップを10,000ドンわたす。日本円で50円くらい。これがいい感じに自然の中を船頭さんが漕いで行く感じ。

 

ベトナムに来て気付いたのは、みんなUSドルで値段を言ってくることだ。かと言ってドルを渡すわけではない。その日のレートでベトナム・ドンに変換した金額を払えばよい。ベトナム・ドンの貨幣価値が下落しているからだそうだ。

 

ベトナムはよく、日本の1960年代の高度成長期とよく似ていると言われる。ただ、国民性がかなり違う。日本人は1960年代の高度成長期でも日本に対する愛国心や働く会社にたいする忠誠心は強かったと思う。ベトナムには、そこまで一生懸命働く国民性では、ないようだ。それは気候のせいか外国からの侵略の歴史せいだろうか。

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Deli day2, India

2011-03-13 22:50:27 | 世界一周

 Qutb Minar

朝は世界遺産のクトウブ・ミナールに行った。ここには、ムガル帝国より以前にSlave Dynastyクトゥブッディーン・アイバク1200年頃に北インド征服の勝利を讃えて建てた塔がある。高さ72.5mの塔だ。近くにはモスクの遺跡が残っていて、インド・イスラム建築の門や建物が見れる。これも世界遺産だ。

 

National Museum

デリーにあるこの国立博物館は、インドの歴史的な彫像、絵画、衣装や武具などあり、とても見どころのある博物館だ。古代インダス文明の遺跡から発掘された土器、釈迦の骨、ムガル帝国時代に描かれた絵画、仏陀の絵や、仏像など教科書でしかみなかったものが所狭しと展示されている。

 

昼飯にChicken Inn というインド門の近くのレストランに行った。ここでタンドリーチキンとバターチキンカレーがおすすめというので、食べたら本当に美味かった。おそらく今まで食べた中では一番であろう。ここはおすすめ。Chicken Inn Pandara Road Market, New Delhi, Phone 23386304

 

 

そのあとは、街のマーケットで買い物について行った。インドのマーケットはとても混沌としている。自転車の人力車や3輪のオートリキシャなど行きかっている。物乞いの人や街角で食べ物を売っている人もいる。

 

45日でインドのデリー、アグラ、ジャイプルを回った。インドは世界遺産の宝庫だ。今回の旅で北インドの歴史を少し学んだ。デリーの国立博物館は歴史的な展示品の多さは印象的だった。

インド人の貧富の差は相変わらず大きい。車を止めると交差点で物乞いの人が来る。その一方で近代的なショッピングモールでブランド品を買う人たちもいる。インフラは思いのほか整えてきた感じがある。道路はきれいに舗装されているし、デリーには地下鉄が走っている。日本人が手伝っているらしいが。

これからももっとインフラが整って経済的にもどんどん成長していくのであろう。日本もうかうかしていると追い越されるかもしれない。

 

 

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Jaipur, India

2011-03-12 22:33:23 | 世界一周

Jaipur

朝はジャイプルの町を観光しました。

City Palace

時の王様(Maharaja), サワーイ・ジャイ・スィン2世によって1726年に造られた。実は、その子孫が今も生きていてこの宮殿に住んでいる。政治的な力はもうないが、町のシンボル的な存在だそうだ。一家の写真を見たら、とてもきれいな娘さんだ。

ここは、宮殿の一部が博物館になっていて、歴代の王様(Maharaja)やその妃が着ていた洋服や持っていた楽器や宝物などが展示されていてとても面白い。今のサリーの原型的なものなど。あとは、ポロが好きなようで、ジャイプル・ポロクラブが優勝したカップなどあり、かなり興味深い。

 

Jantar Mantar

このジャイプルの町を築いた、サワーイ・ジャイ・スィン2世は天文学の造詣が深く、天文台を自分で造ってしまった。それもかなり大きな天文台だ。世界最大の日時計があった。他にもいろいろ月を観測したり、星を観測したりするものが並んでいる。

 

Amber Palace

丘の上に立つ巨大な城だ。築城が始まったのが、16世紀。アンベール王国の首都だった。

ちなみにゾウに乗って街からこの丘に来ることもできるらしい。

門を入ると、まずは一般謁見の間(Diwan-i-Am)そして、勝利の間(Jai Mandir)。勝利の間の壁や天井には見事な幾何学模様が施され鏡をちりばめているので、鏡の間ともいわれている。

イスラム建築様式の影響を強く受けたラジャスターン特有のスタイルだそうだ。

この王様は12人の妃を持っていたので、12の部屋が区切られていて、秘密の通路があって、王様が部屋を行き来できるようになっている。

 

この当時、ムガル帝国はかなり力を持っていたので、サワーイ・ジャイ・スィン2世は娘を側室としてムガル皇帝に差し出すことにより、帝国の保護下に入るようになった。

 

ジャイプルは、デリーやアグラと違ったアンベール王国があったので、街の雰囲気はちょっと違う感じがした。

貴金属や宝石の加工ではインドのシェア一番だそうだ。

 

 

午後はジャイプルから車でデリーに向かう。約280kmくらい。結構、道路は舗装されていてインフラは整っているなという感じ。ただ、ときどき、牛が道の真ん中にいたり、逆走してくるバイクなどいたり、4人家族でバイクにまたがっている人たちなどいて、まるで交通法規がない。インド人ドライバーに運転してもらって正解だ。

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Jaipur, India

2011-03-11 22:08:04 | 世界一周

ファテーブル・スィークリー Fatehpur Sikri

アグラから南西に39km行ったところにある皇帝アクバルの城跡。世継ぎに恵まれなかったアクバルはここに住む聖者の予言によって男の子を授かった。これにあやかり、アクバルは1571年にこの土地に首都を移した。約5年かけて建設された都は広大な土地に赤岩砂の城壁で囲まれ、宮廷やモスクが立ち並び、壮大な遺跡として残っている。この中の建築は、アクバルの理念であるヒンドゥー教とイスラム教とキリスト教の融合を示していてとても興味深い。まず、自分の妃も3人、それぞれヒンドゥー教とイスラム教とキリスト教の女性を迎えた。そして、それぞれ妃の部屋を宮廷に作った。

政治を行う館の柱には、ヒンドゥー教とイスラム教とキリスト教のそれぞれの宗教を表す模様が施されている。そうして、アクバルは異なる宗教をもつ民衆の心をとらえて、ムガル帝国の発展に貢献したのだろう。

ムスク地区には、勝利の門(ブランド門)という高さ54mの巨大な門がある。これは、アクバルが1573年にグジャラート地方を征服した記念に建てた。たった14年間しか使われなかったのに、壮大な建築物がそれほど傷まないでちゃんと残っている。インド・イスラム建築の美しい模様がよくわかる。

 

アグラからジャイプルまで車で移動する。約270km

広大なラジャスターン州の州都でもある。ここは、ムガル帝国ではなくアンベール王国だった。1728年にサワーイ・ジャイ・スィン2世によってつくら、その名をとってジャイプルと呼ばれるようになった。「プル」とは城壁に囲まれた町を意味する。

この市街地がピンク一色に統一されていて「ピンク・シティ」Pink Cityとも言われている。

 

泊まった宿は「Diggi Palacewww.hoteldiggipalace.com 市街地の混沌とした雰囲気とはまるで別世界。ガーデンがあって孔雀があるいていて、ちいさな宮殿のようなホテルだった。真ん中にガーデンがあってゆったりと食事もできる。部屋も広いし値段も安いのでおすすめ。Vikがいろいろ調べてくれたおかげだ。ありがとう。

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Agra, India

2011-03-10 20:03:03 | 世界一周

 7時にデリーを出発してアグラに向かう。

 

アグラまで約280km車で4時間くらい。途中では、マーケットがあり、野菜を売っていたり、鶏、果物などバラックの屋台が立ち並んでいた。混沌としたいかにもインドという感じの街並みだ。

 

Taj Mahal

アグラに到着して、早速タージ・マハールに行った。とても美しい。天気がとてもよく、青空に白い宮殿が映える。ここは、ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが妃のムムターズ・マハルのために作ったお墓。世界各地から膨大な量の貴石が集めらて22年かけて1653年に完成された。本当にでかい。中のお墓まで見学できるので、靴をぬいで神殿のようなところをあがって中に入った。中もかなり大きい。長方形の形をしたお墓が並んでいる。神殿の壁にはいろんな模様が施されてとてもきれいだ。

泊まったホテルの屋上からも見えて、本当に美しい。周囲には大きな建物がなくて、広々としている。裏にはヤムナー河が流れている。その向こうにアグラ城が見える。

 

Agra Fort

つぎにアグラ城に行った。ここは、ムガル帝国の皇帝アクバルによってデリーからアグラに遷都した1565年に建てられた。これも世界遺産登録されている。まず、赤砂岩でできた城壁が鮮やかな赤に染まっている。デリーのレッド・フォートと似ている。

 

Sikandra

それから、皇帝アクバルのお墓を見学した。これは、息子のジャハンギールが1613年建てた。

 

泊まったホテルはHotel Taj Plaza www.hoteltajplaza.com ここは窓からタージ・マハルが見えてとても美しい。

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Deli, India

2011-03-09 22:46:41 | 世界一周

 BAでインド到着。予定時刻より3時間遅れだった。ロンドンからの出発が遅れたためだ。

インドはロンドンと打って変わって、暑い。30度くらいあるんじゃないか。

デリーの空港から車で30分くらいで市内のメトロポリタン・ホテルに来た。ここは、前は日航ホテルだったそうだ。JALのリストラの一環で売られたようだ。

 

ホテルでバークレイズの元同僚だったVik Lallと奥さんたちと合流する。彼は今回のインドの旅程をコーディネートしてくれた。見学コースから車の手配やホテル、レストランまでいろいろと調べてくれた。

 

今回のインドの旅は5日間、デリー、アグラ、ジャイプルを回る。いわゆるゴールデン・トライアングルと言われている。デリーとアグラでは、北インドのムガル帝国の栄光と衰退の歴史を見て、ジャイプルでは、ラジェスターンやアンベール王国の歴史を見ようと思う。

 

ムガル帝国は中央アジアを征服していたティムール帝国の末裔のバーブルが矛先を変えてインドに来たのが始まりだ。1526年にデリー王朝を破ってムガル王朝を建てた。彼らはインド人ではなく、モンゴルやトルコ系だった。

バーブルの息子がフマユーン(1508-56)。フマユーンの墓がデリーにある。次の皇帝がアクバル(1542-1605)。彼がムガル帝国を拡大していった。彼の最大の功績は、ヒンドゥー教とイスラム教とキリスト教の民衆をまとめて、人民からの人望を得たことだろう。嫁もきちんと3人それぞれヒンドゥー教とイスラム教とキリスト教の妃を迎えた。そして、アクバルは、現在もアグラで残っている世界遺産のアグラ城やファテーブル・スィークリーをつくった。

アクバルの息子のジャハーン・ギール(1569-1627)がペルシャ出身の妻ヌール・ジャハーンを迎えたが、政治を妻に任せたので、ムガル帝国はペルシャ文化を多いに受け入れた。

次のシャー・ジャハーンがアグラにあるタージ・マハールを建築したことで知られている。この時代がムガル帝国の絶頂だったらしい。

シャー・ジャハーンの晩年は息子たちの権力争いがおきて、シャー・ジャハーンはアグラ城に息子によって幽閉されてしまう。その後は、イギリスなどのヨーロッパ勢力に押され、領土はデリー周辺だけになってしまう。

そして、1858年に最後の皇帝バハードル・シャー2世が反イギリスの「セポイの乱」に加担した罪に問われて、ムガル帝国は名実ともに滅亡した。

 

Red Fort

デリーでは、まずこの第5代皇帝シャー・ジャハーンが建てたレッド・フォート(ラール・キラー)を見学。赤い城壁で囲まれたお城は壮健だ。これは、当時皇帝が政治を行っていた場所で、一般謁見の間、貴賓謁見の間などある。

 

Jamma Masjid

ここからすぐ近くにJamma Masjidという巨大なモスクに行った。ムガル帝国の時代はお城の近くに必ずモスクがある。これは、インド最大もモスクだそうだ。

モスクを出ると混沌とした屋台が並んでいた。食べ物、牛や鶏肉をさばいている店などがあって、物乞いもウロウロしている。中にはなんの役に立つのかわからないようなガラクタを売っている屋台もあった。

 

Humayun's Tomb

ムガル帝国第2代皇帝フマユーンのお墓に行った。これは、シャー・ジャハーンがタージ・マハールを建てたときに参考にしたとだけあって、タージ・マハールを小さくした感じ。インド・イスラム建築の傑作といわれているだけあって、とても美しい。

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Amsterdam Day3, Holland

2011-03-07 18:27:39 | 世界一周

アムステルダム3日目の最終日。

高校と大学時代の友人の一木森雄くんがアムステルダムで回転すし屋をやっている。彼は10年以上オランダに在住している。お店の名前は、ZUSHI。アムステルダムで唯一の回転ずしやだ。 http://www.zushi.nl/ かなり流行っているのでネタは新鮮。お客さんは、オランダ人や中国人や観光できたヨーロッパ人などで、マグロやサーモンがよく出るそうだ。 ここで、ハマチ、マグロ、サーモンの寿司を食べてとても美味かった。 アムステルダムに行くときは、おすすめ。

森雄も元気そうで何よりだ。

アムステルダムも今日で最終日だ。ここは、とても活気があって、まちはとても美しい。運河と、美術と、夜の歓楽街といろんな顔をもつ。また、訪れてみたい。

 

 

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Amsterdam Day2, Holland

2011-03-06 18:25:56 | 世界一周

アムステルダムは、運河の町ということでCanal Cruiseをすることにした。

運河を中心に町がつくられてきた歴史やアムステルダムの見どころを船に乗りながら、1時間ほどアムステルダムの町の運河をクルーズする。わりとコンパクトで町中をいろんな運河が流れているのがよくわかる。17世紀から18世紀の建物、アンネ・フランクの家などある。

 

午後は、国立美術館、ヴァン・ゴッホ美術館に行った。ここのゴッホ美術館はすごい。ゴッホの作品200点以上展示されている。オランダにいた初期の時代(1880-1885)、パリ時代(1886-1888)、南フランスのアルル時代(1888-1889)、サン・レミ、オワーズで亡くなる前までの作品がそれぞれある。ゴッホが日本の浮世絵から影響を受けていて、北斎の浮世絵を模写したものなどがあり、とても興味深かった。

ピカソ展もやっていて、バルセロナ美術館で見れなかったピカソの初期の作品も展示していた。

国立美術館(Rijksmuseum)は、オランダがスペインに勝って独立した歴史やレンブラントの絵画などが展示されていて見応えあり。建物も1876年に建てられた歴史を感じる。

 

アムステルダムは、運河と歴史的な建物が美しく、芸術の町でもある。

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Amsterdam, Holland

2011-03-05 17:22:24 | 世界一周

ロンドン在住の弟の三郎がオランダのアムステルダムで、日本人チームとオランダ人チームのラグビーの試合を5日にやるというので、前日の4日にパリから電車でアムステルダムに来た。 

アムステルダム・ジャパニーズチームから日本に帰国するメンバーがいるので、その送別会のゲーム。相手は地元のオランダのクラブチーム。さすがにオランダ人のフォワードは体がでかくて、ジャパニーズチームは押され気味で負けてしまった。アムステルダムだけでは、メンバーが足りないらしく、ロンドンやドイツにいる日本人メンバーも参加していた。

 

試合のあとは、アムステルダムにある「博多 せん八」http://hakatasenpachi.net/ という、日本料理の居酒屋の店で宴会をしてヨーロッパにいる日本人ラガーマンたちと親交を深めた。そして、2次会はカラオケとかなり盛り上がった夜になった。

 

ヨーロッパにもこんなに日本人の人たちが活躍しているのは、頼もしい。

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Versailles, France

2011-03-04 22:00:39 | 世界一周

ベルサイユ宮殿に行く。

この宮殿と庭園もフランスの世界遺産。王室が1682年から1789までここに住んでいて実際の政治もここで行われていた。フランス革命が起きて間もなく王室がベルサイユ宮殿を退去した。

ルイ14世がこの世の楽園をつくるように命じたといわれる宮殿は本当に豪華絢爛だ。

王の寝室、礼拝堂、宴会場などの贅をつくした部屋、家具、絵画、、天井画の数々を見学。

17世紀フランス芸中の中で最も美しく完成されたと言われるのが納得できる。

 

また、庭園も印象的だ。1661年から整備された庭園は、花壇、木立、彫像、泉水によって構成されて整然といくつも並んですごい迫力だ。太陽神アポロンの彫像が庭園のいたる所に配置されている。

日本では江戸時代と同じ時期にこれほどの宮殿と庭園が造らたと思うとフランスはすごい国だと感心した。

これほど、豪華な宮殿や庭園は他の国でもあまりないのではないか。

 

パリに戻り、レンタカーを返した。今日は、次の目的地のアムステルダムまで電車で行く。パリからは3時間ちょっとで行ける。かなり便利だ。

アムステルダムの夜は熱い。熱気で物凄く盛り上がっている。エネルギー120%出し切っている感じだ。

 

 

 

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Le Mont Saint Michel, France

2011-03-02 20:18:53 | 世界一周

フランスの世界遺産、モン・サン・ミッシェルにやってきました。ロンドンからユーロスターで2時間でパリに到着し、パリでレンタカーを借りて北西に340km、約5時間くらいドライブしてやっときました。思ったより遠かった。

ここは、708年からモン・サン・ミッシェルのあるトンブ山に大天使を奉る聖堂の建設が始まり、間もなく巡礼地となって、10世紀には修道僧が居を構え、14世紀には村として広がり、英国との100年戦争では英国の攻撃を完璧に防御した要塞として構えられたそうだ。その後、フランス革命まで監獄として使用されたらしい。

とにかく、外から見ると巨大な要塞として霧の中から忽然と島と山が現れる感じ。近くに行くと、レストランやバーなど城下町の雰囲気。中に入ると、本当にひろい。教会や修道院、食堂、迎賓の間、礼拝堂、チャペル、騎士の間などいろんな部屋がある。これが10世紀から14世紀にかけてつくられたらしい。

ただ、おみやげや、レストラン、博物館など、やたらとあって観光地化されてしまっているのは、やや興ざめだ。

遠くから羊たちが散歩しながらモン・サン・ミッシェルがバックにいるのは、とても絵になる。

ツアーバスも出ていて、けっこう日本人の観光客も多かった。

夜はモン・サン・ミッシェルの近くのホテルLES 13 ASSIETTESで一泊したが、これがかなりの田舎でカーナビにも出ていないような通りにあったが、なんとか地元の雑貨屋さんのフランス娘と片言のフランス語と絵を書きながらやっとたどり着いた。食事はとても美味かった。さすがフランスだ。

 

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London Day 1

2011-02-28 23:12:53 | 世界一周

イタリアでマリオに空港まで送ってもらい、今度はサルディニア島で会いたいな、などと言いながら別れた。久しぶりに会えてよかった。ミラノはいくつか空港があって、一番大きいのがMalpensa。我々はミラノにある小さな空港であるLinateからロンドンに飛んだ。あっという間に、1時間くらいで着いた。

ロンドンは、弟の三郎が住んでいる。もう10年くらいすんでいる。私は、GS時代の1999年から2001年まで2年間住んでいて、Barclaysでは年に何回か出張で来ていた。休暇で来ることはあまりなかったけど、自由時間が多いのはいいね。

まずは、GSのときに一緒に働いていた仲間とSt.Paul近くのパブCentre Pageで飲む。ここはオフィスの隣にあるので、よく会社帰りに飲んだ。夏は、St.Paulがライトアップされているのを見ながら飲むのは最高だ。今日はまだ寒いので、パブの中で飲む。

イギリスのパブ文化は私はとても好きだ。イギリスは階級社会だけれども、パブの中では老若男女、みんな仲間だ。パブは「パブリック・ハウス」から来ていて、その地域コミュニティーの集いの場である。そこには、地域の爺さんや若者たちがあつまり、わいわいいろんな話をしてみんな楽しんでいる。イギリスのどんな小さな町にも必ずパブはあって、その地域の中心になっている。

こういうパブ文化を広めようと始めたのが、今西麻布でやっているGRAILだ。 www.grailbar.com ここは、スタッフと一緒にイギリスやスコットランドのパブやウィスキーの蒸留所を回りながら、パブの雰囲気、パブの料理、酒、ビール、ウィスキーをみんなで堪能した。そして、それを日本人にもあうように料理もひと手間かけて、もっとおいしくパブ料理をだそうと高石シェフががんばっている。

 

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