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夜の谷を行く

2017-05-13 09:33:30 | 好きな歌と句と詩とことばと
桐野夏生著『夜の谷を行く』を読む。

最近思うことは、いざという時には女性の方が力強いのではないか、ということです。
福島第一原子力発電所の事故、そして第二次安倍政権になってからの国のあまりの変わりよう――
生きている足下がおぼつかなくなってしまったような、これまであったものが、
気がつくと無くなってしまっているような、命がすり減っていくような……
こうした変化を女性は体で感知して、様々な分野で訴えているように感じる。
桐野さんの『バラカ』や『夜の谷を行く』、髙村薫さんの『土の記』を読み終わった後に、
命というものを意識した。
命が脅かされる社会になるほど、生命がほとばしるような骨太の物語を、
時代が求めているのではないかと思った。

『夜の谷を行く』は、1972年の連合赤軍事件を扱っている。
1972年2月「あさま山荘事件」が起きて、「山岳ベース事件(リンチ殺人事件)」が明らかになった。

ウィキペディアによると山岳ベース事件とは、
「1971年から1972年にかけて、連合赤軍が起こした同志に対するリンチ殺人事件。
 当時の社会に強い衝撃を与え、同じく連合赤軍が起こしたあさま山荘事件とともに
 新左翼運動が退潮する契機となった」  (引用ここまで)

「総括」という名のもとに、仲間12人を殺害したというものだ。
凄惨なリンチ殺人ということでセンセーショナルに伝えられ、強いショックを受けたのを覚えている。

これより少し前の1969年8月7日には「大管法(大学の運営に関する臨時措置法)」ができた。
大学紛争が生じている大学の運営に関し、緊急に講ずべき措置を定めた法律で、
当時の自民党幹事長・田中角栄による議員立法の形で制定された。
大学紛争の鎮静化のために、警察力の大学構内への立ち入り等を認めさせたもので、
2001年に法律は廃止されている。
この「山岳ベース事件」や「あさま山荘事件」、内ゲバによる事件、
そしてこの「大管法」で学生運動は下火になってゆき、今に至っているように思う。

私は東大紛争で東大入試が行われなかった1969年に、大学に入った。
入学してすぐに「大管法」が制定され、大学は無期限ストライキに入り、
1年の半分以上は授業がなかった。
この冷却期間が功を奏したのか、学生運動は一部の過激派のものになり、鎮静化していった。
政治に関心のなかった私が、もし1968年に入学していたら、少しは違っていたのかもしれない。
だがノンポリ学生だった私も、当時のあの雰囲気はよく覚えている。
キャンパスを覆うおびただしい数の立て看(看板)、耳をつんざくアジ演説、
講義が始まろうとしている教室に活動家が入って来て、急遽、クラス討論に代えられたこと、
革マル派から中核派と間違えられた学生が、学生自治会室でリンチを受け、殺害されたこと、
キャンパスを歩いていると、いきなり「逃げろ」の声とともに、石が飛んできたこと、
無惨にバリケード封鎖された校舎の数々……。

『夜の谷を行く』を読みながら、いつしか自分が主人公の啓子になり、
一字一句が自分に乗り移ってくるように感じた。
桐野さんと私は、ほぼ同じ時代を生きてきた。
あの時代――説明のつかないあの雰囲気を共有した懐かしさが、この小説にはあった。
自分と同じ名前の主人公の小説を読むのは、多分、初めてだ。
なんだか面映ゆい気持ちで、頑なで正義感の強い、上から目線の啓子を楽しんだ。
妹との口論の場面など、気持ちをすっかり代弁してくれているようで笑ってしまった。

そして最後の二行に、閉ざされていた啓子の心が解き放たれ、涙がとまらなくなった。

「ふと気が付くと、山は怖ろしいほどの命の気配に満ちていた。
 蝉しぐれ、虫の羽音、せせらぎ。
 啓子は目を閉じて、その中に浸ろうとした」






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