お産・育児ママネットワーク パム

皆様の周産期医療・産科医療に関するご要望、ご意見をお聞かせください。合わせて私達の活動記録です。

成人式でちらしを配布しました。

2008-01-25 03:08:41 | 活動報告
=信濃毎日新聞掲載記事/20080114/朝刊/東信=

未来の母体、大切にして上田の母親らグループ成人式でチラシ配布

上田市の母親らでつくるグループパム(横関結希子代表)は十三日、同市主催の成人式が開かれた市文化会館など三会場で、妊娠した時に読んでもらいたいアドバイスなどを記したチラシ計五百枚を配った。「お母さんになる時に備えた体づくりは今から始まっている」とのメッセージを伝えた。
チラシはA4判の三つ折りで「(妊娠したのかなと思ったら)一人で悔まず産婦人科へ」などと呼び掛けた。携帯電話から接続できるホームページも開設。乳がんや子宮がん検診を受けられる医療機関の連結先などを見られるようにし、ページに接続できる二次元パーコード(QRコード)を印刷した。
「彼女の体を気遣ってあげて下さい」と、男性の新成人にもチラシを手渡した。
パムは、国立病院機構長野病院(上田市)の産科医引き揚げ問題など、地域の産科医療を取り拳く環境が厳しくなる中「母親たちでできる活動」を計画。妊婦健診を呼び掛けるチラシを薬局に置く準備も進めている。
■配布したちらし表pdf
中pdf


        
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信濃毎日新聞 連載記事「どうする地域医療」

2008-01-25 02:22:06 | 新聞記事
=信濃毎日新聞/20080107/朝刊/1面掲載記事=

地域医療をどうする(1)=出産・広がる不安(1)長野病院受け付け休止 見通し立たず

県内の地域医療が危機に直面している。医師不足による診療科の休廃止が相次ぎ、病院の存続にかかわるケースもある。現場を担う勤務医には重い負担がかかり、出口は見えていない。県内の現場から、地域医療が抱える問題点を探り、立て直しに向けた道筋を考えたい。第一部は、医師確保が緊急の課題
となっている産科医療を追う。
   ◇
 「もう予約でいっぱいなんです」
 昨年十二月上旬。第二子出産の予約をしようと上田市内の医療機関を訪れた栄養士の永井忍さん(32)が、今年七月下旬の出産予定日を記入した途端、窓口からは申し訳なさそうな声が返ってきた。
 数日前、年間五百件弱の出産を扱っていた国立病院機構長野病院(上田市)は昭和大(東京)から産科医の引き揚げを通告されたことを受け、新規の出産受け付け休止を発表していた。
 永井さんはこの日、別の産科に向かったが、長野病院の休止以降に急増した予約で、やはり予定日前後は満杯だった。自宅出産を考えていた永井さんは、出産時に入院を希望しないことを伝えて懸命に頼み込んだが、最終的に折り合いは付かなかった。
 結局、永井さんは市内での出産を断念。つてのあった長野市内の助産院で産むことを決め、妊婦健診も近くの病院で受けることにした。月一回以上、自分で約一時間車を運転し、健診に通う。
 産む場所が決まるまでの間、うれしいはずの妊娠は「何だか苦しいこと」になっていた。
   ■   ■
 上田小県地域では二00六年、約二千人の子どもが生まれた。その四分の一近くを占める長野病院の受け入れ休止に加え、年間七百件弱の出産を扱ってきた上田市産院も昨年末で院長が退職し、受け入れを減らさざるを得ない状況にある。
 地域ではほかに、民間の二病院が出産を扱う。その一つ、上田原レディース&マタニティークリニック院長で、市産婦人科医会会長も務める宮下尚夫医師は「できるだけのお産を担う覚悟」を固めた。残る角田産婦人科内科医院とも話し合い、既に出産の受け付けを月四十件前後から五十件ほどに増やしている。年間六百件。「安全性を考えると、ぎりぎりの数」(宮下医師)だ。
 県上田保健所は、民間の受け入れ増で、年間干七百件強のお産を地域で支えられると見込む。だが、残る二百一三百件の「穴」をどう埋めるか、見通しは立たない。
 長野病院の新規受け付け休止の影響が出始めるのは、今年七ー八月。涼しい環境を求めて上田での「里帰り出産」が増える時期に重なる。同保健所は「何らかの制限をお願いせざるを得ないかもしれない」と言う。
     
 より深刻なのは、妊婦健診で危険度が高いと判断された「ハイリスク出産」や、出産時に予想以上の出血を伴うなど救急搬送が必要なケースだ。
 上小地域では、長野病院が「二次病院」としてこうした出産を受け入れている。同病院の産科が廃止されれば、約四十一五十分かかる佐久市の県厚生連佐久総合病院や、長野市南部の県厚生達篠ノ井総合病院まで搬送せざるを得ない。
 角田産婦人科内科医院の角田英弓院長は「(危険度が低い)正常出産は分担してある程度は担える。
だが、二次医療病院が遠くなれば、命にかかわるケースが出かねない」と危ぶむ。
 昨年十二月中旬、市内の母親ら十三人が母袋創一市長と懇談、産科医確保を訴えた。懇談後、ある母親(32)は「妊娠するにも勇気がいるようになった」と漏らした。
 産科医療に開いた穴。それが地域に何をもたらすのか、誰もまだ正確には測れずにいる。


[長野病院の産科医引き揚げ問題]
国立病院機構長野病院(上田市)に、4人の産科医全員を派遣している昭和大(東京)は昨年11月中旬、医師を引き揚げる方針を伝えた。同病院は、昨年12月3日から新たな出産の受け付けを休止。
それ以前に予約のあった今年7月までの出産は予定通り行う。昭和大は、医師をいつ何人引き揚げるかは未定としている。

=信濃毎日新聞=20080108/朝刊/1面掲載記事

地域医療をどうする(2)=出産・広がる不安(2) 大学病院の医師不足 引き揚げ「負の連鎖」

 昭和大(東京)が、国立病院機構長野病院(上田市)に派遣している産料医四人の引き揚げ方針を伝
えてきたのは、昨年十一月中旬のことだ。
 三力月前の∧月-。全国的な産科医不足を懸念し、進藤政臣・長野病院長や母袋創-・上田市長は東京・品川区の昭和大病院を訪ね、派遣の継続を念押ししていた。その際「引き揚げの話はまったくなかつた」(母袋市長)という。
 「急変」の背後に何があったのか。昭和大医学部産婦人科の岡井崇教授はこう繰り返す。「上田の皆さんには本当に申し訳ないが、東京でも産科医が足りないんです」
    ■   ■
 昨年十月、年間約千件の出産があった都保健医療公社の荏原病院(東京・大田区)が出産の扱いを休止した。七人の産科医のうち四人を派遣していた昭和大とは別の私立大が、六月までに全員を引き揚げ
たことが原因だった。
 影響が広がった。区内の別の病院では、月四十件だった出産が、倍の八十件前後に跳ね上がった。大田区と品川区の中核的病院だった昭和大に地域住民や都関係者から「何とかしてほしい」と訴える声が相次いだ。
 「地域で産めないのか、と泣きながら訴える地元の妊婦たちを目の当たりにし、地元の大学として責任を感じた」と岡井教授。昭和大は、荏原病院に新たに産科医を派遣し、二○○九年四月から出産の抜
いを再開させる方針を決めた。
 だが、産科医の養成では全国有数の実績がある昭和大も、これ以上医師を派遣できる余裕はない。
 同大は長野病院のほか、関東地方の三病院に産科医を派遣してきた。荏原病院に医師を回すため、このうち長野病院と神奈川県の病院から医師を引き揚げる方針が決められた。
 「医師の研究体制などを考えて(引き揚げ先を)決めた」と岡井教授。長野病院は○六年四月から常勤の麻酔医が不在で、産科医が麻酔をかける必要があるなど「他の病院に比べリスクが高い」ことも理由になったという。
   ■   ■
 「医師を引き揚げれば病院が悪いと言われる。だが、いまは自分の病院のことで精いっぱいだ」。荏
原病院から医師を引き揚げた都内の私立大。担当教授は重い口調で話した。
 この大学は、二年間大学病院の産科で研修した医師を荏原病院に派遣、二年後に戻すローテーションを組んでいた。
 だが、○四年度に新たな臨床研修制度が始まり、研修医は内科や外科などの幅広い経験を積むことが義務付けられた。このため、派遣するためには産科の研修期間を追加する必要があり、ローテーションが組めなくなったという。
 さらに、開業や結婚・出産に伴う退職などで医局から医師が流出。三年前に三十六人いた医局所属の産科医は二十一人にまで滅り、派遣先から段階的に人を呼び戻すしかなくなった。「上田のことは知らなかった。だけど日本中どこでも起こり得る話でしょう」と担当教授。
 地域病院の人材供給源となってきた大学病院の医師不足は、信大病院(松本市)も同様だ。医師不足による引き揚げの「負の連鎖」は、結局、医師確保の手段を持たない地域の住民にしわ寄せを生んでいる。

 [医師臨床研修制度]
 医師免許を取得した学生が2年間、医療現場で経験を積む制度。2004年度から、全員が外科や内
科、地域医療などを経験することが義務化された。併せて、研修先は新人医師や病院の希望に応じて決める方式が導入され、出身大学の医局に残って研修する医師が減少。大学病院が医師派遣を控えたり、
派遣した医師を引き揚げる要因の一つになっている。

=信濃毎日新聞掲載記事20080109/朝刊/1面=

地域医療をどうする(3)=出産・広がる不安(3)
 対応に追われる市 行政支援、何をどこまで


 「都内でも産科医が足りない現実を聞かされた」
 昨年十二月十一日、国立病院機構長野病院(上田市)からの産科医引き揚げの撤回を求めるため、派遣元の昭和大(東京)を訪ねた母袋創-・上田市長(上田地域広域連合長)。一時問余の話し合いを終えると、疲れた表情で話した。「無力感を感じる」

 産科医引き揚げ問題が浮上した十二月上旬以降、母袋市長は対応に追われた。同月二十六日に村井知事を、二十七日には信大病院(松本市)の勝山努院長らを訪ね、産料医確保へ協力を要請。「早いうちに、国にも要望したい」とする。
 ただ、地域の「危機的状況」に理解は得られるものの、医師確保の展望が得られるわけではない。同月二十八日。仕事納めの記者会見で、市長は「『国立』なのに、なぜこんなことになるのか。一義的には国の責任ではないか」と、いら立ちをのぞかせた。
   ■    ■
 「行政が大学の医局の状況を把握するのは難しく、直接医師を確保するのは困難だろう」。長野病院の進藤政臣院長は指摘する。
 一方で、上田市民を中心とする地域住民の間には「市の取り組みが後手に回っている」(市内の女性団体役員)と、もどかしさが漂う。
 長野病院と並び、地域の出産を担ってきた市産院をめぐる対応もその一因だ。二○○五年八月、医師不足を背景に信大医学部が二人の医師の引き揚げ方針を通告。市はいったん産院の廃止を検討する姿勢を示し、母親らの署名活動に押される形で存続に転じた。
 ただ、信大が条件とした「長野病院と連携し、危険度の高い出産にも対応する」施設への転換は具体化しないまま、二年近くが経過。昨年末には信大から派遣されていた甲藤一男前院長が「体力面」を理由に辞任した。九日から非常勤医一人が過二日勤務することが決まったものの、出産の受け入れ制限が避けられなくなっている。
 そこに重なった長野病院の産科医引き揚げ。「このままでは先細りだ」。多くの市民が先行きの不透明感を口にする。
   ■    ▲
 「大学の寄付講座を検討していただきたい」
 昨年末、県庁を訪ねた母袋市長は、村井知事にこう持ち掛けた。
 寄付講座は、自治体が地元大学などに寄付し、研究名目で医師を確保、地元の公立病院などで診療を行ってもらう試みだ。自治体から国立大学法人など国機関への寄付は原則、法律で禁じられている。だが現実には、医師不足の深刻化を受け、総務相が認める「特例」の形を取って長崎、宮城、石川県など全国に広がっている。
 村井知事は「必要があれば検討したい」と慎重な姿勢を崩さなかったが、母袋市長は「県に問題提起した。リーダーシップを取ってほしい」と主張する。
 信大病院の勝山院長は「行政の支援がなければ、今いる産科医を維持することさえ難しい」と言う。
地域医療を支えるために何を、どこまですべきなのか。行政も新たなかかわり方を迫られている。

 [上田市産院]
1952(昭和27)年開設。へその緒がつながったまま裸の胸に赤ちゃんを預けてくれる「カンガルーケア」などを行い、2000年8月、国連児童基金(ユニセフ)などから「赤ちゃんにやさしい病院」に認定された。出産件数は年間700件弱。07年末で院長が退職。9日以降は常勤医師1人に非常勤医師2人、助産師17人、看護師8人、准看護師5人となる。


=信濃毎日新聞/20080110/朝刊/1面=
地域医療をどうする(4)=出産・広がる不安(4) 現場の医師に負担 使命感を激務の支えに

 月二回、応援の産科医が来て、土曜夜の当直を受け持ってくれる。
 息が抜けるのはその日だけだ。松本市の自宅に帰り、家族と過ごす。翌日には、病院のある飯山市へ戻る。そんな生活が二年近く続いている。
 飯山赤十字病院の中村正雄・産婦人科部長(60)。飯山地域で唯一、出産を担っている同病院で、産科医は中村医師一人だ。
 赴任して三年目。当初もう一人いた産科医が大学の都合で引き揚げられ、二○○六年春から一人になった。年間百数十件のお産すべてに立ち会い、平日は外来の診察もこなす。
 出産にかかる時間は見通しにくい。難産の場合など、一回に七十二時間拘束されるケースもある。携帯電話は二十四時間手放せず、出たい学会があっても地域を離れることはできない。
 祖父も父も産科医。赤ちゃんを抱いた母親に「おめでとう」と言える仕事に、ずっと誇りを持ってきた。「ここがなくなったら、この地域で産める場所がなくなる」。使命感が体を支えている。
   ■    ■
 厚生労働省の調査によると、二○○六年末時点で、全国の医療機関で働く医師数は二十六万三千五百四十人。十年前と比ベ14・4%増えている。だが、産婦人科・産科医(一万七十四人)は逆に10・6%減少した。
 産科医の不足は、一人一人の医師の負担に跳ね返っている。日本産科婦人科学会の○五年十二月時点の調査によると、出産を扱う県内四十九の病院や診療所で働く常勤の産科医は計百二十一人で、一施設の平均は二・五人。全体の四割弱の施設は、常勤医が一人だけだ。
 産料医でもある長野赤十字病院(長野市)の菅生元康副院長(62)は「払が三十代のころは月に二十日ぐらい当直をこなしていたが、いまの若い医師はきつい職場を選ばなくなっている」と言う。「自分も、恐らくもう-度選ぽうとは思わない」
 横浜市立大学医学部の学生らを対象に昨年実施した調査によると、一度は産婦人科医を志望したことのある学生は全体の三割近くに上るものの、約半数が途中で進路を変更。大きな理由に勤務実態(当直回数、勤務時間、育児との両立困難)が挙げられた。
   ■    ■
 国は深刻な産科医不足に対処するため、医師を地域の拠点病院に集約化して診療体制を強化し、医師の負担軽減を図る方針を打ち出した。県の検討会も昨年三月、ある程度の医師数を確保し、二十四時間態勢で救急搬送に対応する「連携強化病院」に県内九病院を選定している。
 ただ、北信地域では県厚生連北信総合病院(中野市)が連携強化病院とされ、飯山赤十字病院は選ばれなかった。同病院には県境の栄村や新潟県から通ってくる患者もいる。冬場は積雪で道路事情も悪化する。ここから産科医がいなくなれば「救える命も救えなくなってしまうのではないか」。川村信之院長(68)は危惧(きぐ)する。
 「すぐに産婦人科医が増えるとは思えない。最低でもあと五、六年はかかる」と中村医師。自身の定年まであと五年。五年は何とか頑張ろうと思っている。

 [勤務医の労働環境]
 県医師会と県病院協議会が2006年12月-07年1月、県内の病院勤務医1294人(常勤医1174人、非常勤医120人)から回答を得た調査によると、夜勤を除く1週間の勤務時間は56-64時間が21・6%と最多。64時間以上が21・5%、48-56時間が21・2%だった。当直明けの勤務について64・4%が「当直の忙しさとは無関係に通常勤務せざるを得ない」と回答している。

=信濃毎日新聞掲載記事/20080111/朝刊/1面=
地域医療をどうする(5)=出産・広がる不安(5)リスク負う産科医「完ぺき」望む声に委縮


 「日常診療の医療行為に警察が介入してくることは見過ごせない問題だ」
 二○○六年四月0県医師会(大西雄太郎会長)は、東北地方で起きた事件に異例の「抗議声明」を出した。
 二ヵ月前の同年二月。福島県大熊町の県立大野病院に勤務する産科医が、帝王切開の手術で適切な処置を取らず、女性=当時(29)=を死亡させたとして、業務上過失致死などの容疑で逮捕された。
 女性は胎盤が子宮に癒着する難しい症例で、悪質性や明白な過失があるケース以外で医師が逮捕されるのはまれだ。この医師が地域で年間約二百件の出産を-人で担当していたこともあり、事件は全国の産科医に波紋を広げた。
「できるだけのことを精いっぱいやった」。昨年一月、福島地裁で開かれた初公判で、医師はこう主張した。裁判は現在も続いている。
    ■   ■
 県内のベテラン産科医は、福島の事件をきっかけに、全国的に出産の扱いをやめる開業医が増え、産科を志望する医学生も減ったと話す。「患者のために、われわれもぎりぎりのところで勝負している。
その結果が逮捕では救われない」
 最高裁判所によると、各地の地方裁判所で○六年に終結した医療関係訴訟のうち産婦人科関連は百六十一件。全医師数の4%に当たる産科・産婦人科医が、訴訟件数では14%を占める。
「(死亡や後遺障害を)減らすことはできても、ゼロにすることはできない」と県内の別の産科医。
厚生労働省は、出産時の事故に対する無過失補償制度の導入を目指しているが、効果は不透明だ。
 県医師会と、県内病院でつくる協議会は○六年十二月--○七年一月にかけ、県内の病院勤務医にアンケートを行った(干二百九十四人が回答)06%の医師が、診療をめぐり「提訴されたことがある」と回答。「紛争になったが提訴はされなかった」も18%あった。医事紛争の増加が診療に与える影響として「防衛的、委縮的になりがち」との答えが81%を占めた。
   ■   ■
 長野県は○四年五月、医療事故など医療に関する相談を受け付ける県医療安全支援センターを県衛生部内に設けた。
 同年度に二百二十九件だった相談件数は、○五年度三百三十件、○六年度は三百三十四件を数えた。
内訳で最も多いのは医師の診療行為に関する相談だ。
 センターは、悪者の取り違えや投薬ミスなどの医療事故が社会問題となる中、医療への不信感をぬぐい去り、医師と恵者との信頼関係を再構築することが狙いだった。
 半面、南信地方の総合病院の事務長は、安易な救急利用の増加や、完べきな医療を求める利用者が多いことを挙げ「医療を提供する側と受ける側のギャップが大きくなっている」とも指摘する。
「より安全な医療を提供するよう、全力を尽くすしかない。訴訟を恐れて誰もやらなくなれば結局、患者が困ることになる」。県内の二十代の産科医はそう話す。地域医療を取り巻く環境が厳しさを増す中、医師と患者はどう「リスク」に向き合っていくのか。

 [無過失補償制度
出産時の事故で赤ちゃんに脳性まひなどの障害が残った場合、医師の過失がなくても患者に補償金を
支払う制度0産科医不足対策の一環で厚生労働省が来年度中の導入を目指している。医師の訴訟リスクを軽減するとともに、裁判を起こさなくても一定の補償が受けられるようにすることで、患者の救済も迅速化できるとする。


信濃毎日新聞/20080112/朝刊/1面

地域医療をどうする(6)=出産・広がる不安(6)
態勢立て直しの動き 現実見据え試行錯誤を


 昨年十二月下旬、須坂市内の助産院。近隣の病院などに勤める助産師約十人が集まっていた。
 広瀬ミエ子院長(58)は、妊婦の腰に巻く骨盤固定用のベルトを手にした。「車社会で歩かなくなり、妊婦の骨盤がゆがんでいる。矯正することで正常な分娩(ぶんべん)につながり、医師の負担も減らせます」
 講習会は、広瀬院長が地域の出産を支えるため、助産師のレベル向上を目指そう-と始めた。
 参加者の一人で、長野市の産婦人科医院に勤める女性(48)。以前勤めていた病院の産科が休止になり「出産に携わりたい」と、いまの職場に移ってきた。
「産科医がいないから助産師に頼む」と言われても、現状では技術も心構えも足りない。それでも「こういう状況だからこそ、自分たちのできることをやっていきたい」と思う。
    ■  ■
 二〇○五年夏から一年足らずの間に、出産を扱う施設が六施設から三施設に半減した飯田下伊那地方。
 自治体や医療関係者でつくる懇談会の議論を経て、出産を主に飯田市立病院、妊婦健診を周辺の医療機関が担う「連携システム」を打ち出した。妊婦が持ち歩くカルテを作り、どの施設でも対応できるようにするなど先駆的な工夫も取り入れる。
 ○五年度に年間約五百件だった市立病院の出産件数は、○六年度は約千件に倍増。山崎輝行・産婦人科部長(54)は「連携システムで外来の負担が減ったので、何とか乗り切れた」と話す。
 だが、そのシステムも順風ではない。
 地域では三施設が妊婦健診のみを受け持ってきたが、常勤医の退職などで、常時健診を受けられる所が今春以降、一施設になる見通し。五人いる市立病院の産科医も転科などで減少するため、四月からは里帰り出産の受け入れを休止する。
「システムがあっても動かす人がいなければどうしようもない」と山崎医師。県内の「モデルケース」と期待される連携システムは、医師不足の「壁」に突き当たり、苦闘を続けている。
   ▲   ■
県佐久保健所のホームページに昨年十二月「佐久のお産」のコーナーが新設された。出産を扱う病院や助産所の一覧を掲載し、妊娠の兆候があったら早めに診察を受けるよう呼び掛けている。
佐久地方では昨年八月、行政や医療関係者が地域の産科医療を考えるネットワークを設立。議論の中で生まれたのがホームページでの情報提供だ。保健所は「住民に現状を知ってもらい、医療機関の負担を少しでも減らしたい」と言う。
上田市では、母親らのグループ「パム」が十三日、市主催の成人式会場で、妊娠に関するアドバイスを記したチラシを配る準備を進める。
グループは、産科医療を考えるシンポジウムなどを開いてきた。「主張するだけでは変わらない。自分たちのできることをやっていきたい」と、メンバーの斉藤加代美さん(42)。チラシには「自分の体を大切にしてほしい」とのメッセージを込めるつもりだ。
県内各地で産科医療を立て直す動きが始まっている。「特効薬」は簡単に見いだせない。
関係者、そして住民が「医師がいない」現実を直視し、試行錯誤を重ねるしかない。
  (「出産広がる不安」おわり)
  (祢津学、干野雅樹)
   ◇
連載へのご意見や、地域医療の立て直しに向けた提言をお害せください。
 〒380-8546 信濃毎日新聞社報道部地域医療取材班

 メール c-iryo@shinmai.co.j p
 ファクス 026・236・3197

 [飯田下伊那地方の連携システム]
 飯伊地方では2005年以降出産を扱う施設の減少で約850件の受け入れ先がなくなった。このため緊急的に、出産は主に飯田市立病院、妊婦健診を他の医療機関が分担するシステムを構築。県内の産科医、小児科医でつくる県の検討会も07年3月、広域圏ごとの医師の重点配置を提言しており、飯伊のシステムを「周産期医療を崩壊させないためのモデル」と紹介している。



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