
トップ画像は海
南三陸町から見た美しい太平洋の風景です。
しかし足元を見下ろすと、崖に漁船が横倒しになって寄りかかっていました。
4月30日
前日の仕事を終えてから物資の積み込みを終えると午前2時・・・
トヨタBOXYにめいっぱい物資を詰め込んで、南三陸町の歌津地区を目指して出発しました。
そう、インターネット上で「物資が不足しています!」と支援を呼び掛けていた南三陸町の岬の外れ、歌津地区の石浜集会所へ。。
途中、栃木県内で事故渋滞があった以外は、道路はすいていました。
それでも現地到着は午後2時。
ほぼ12時間走り続けたことになります。
やはり山梨からは遠かった。。。
「物資はもう十分にあります」「水は足りています」
と、ニュースではやっていたけど・・・
物資を持ち込んだ石浜集会所で最初に聞いた言葉が「水はありますか?」
「はい!いくらでもありますよ〜☆」
と、まずひとつ予感が的中!
給水所に行けば水はある。
だけどそれを取りに行く方法が本当に乏しい。
だから洗濯や洗い物には手分けして川の水を汲みに行っている。
他の物資に関しても状況は一緒。
「もう既に物資は足りている。余っている」
というのは、あくまでも行政レベルで把握できている人口に対する総量での話ではないでしょうか。
それが必要な人に必要なだけ行き渡っているかとなるとまったく話は別。
南三陸町全体の総量で計算するとおそらく足りているんでしょうね。
そして地区ごとに給水所が用意され必要な量が分配されている。
だけどそこにある水を必要なだけ取りに行くということがどれだけ大変なことか。
そして私が訪れた日の南三陸町歌津地区、本当に閑散としていました。
(ベイサイドアリーナはEXILEが来て盛り上がっていたらしいですが)
政府の方が「南三陸町が混乱するのでGW中は行かないでください」
と言っていましたが、岬の地域はまったく人影すらない状況で・・
絶対に人材は足りていない!と思いました。
おそらく・・・
物資もボランティアも、それを捌ける人材がいないということなのでしょう。
また保健師さんやケアマネージャー、民生委員さんや児童委員さんなど地域に密着した人材も被災され、住民の小さな声が届かないのかな、と思います。
石浜集会所でお会いしたボランティアセンターの方に
「今度来るときは、物資はまずボランティアセンターに持ってきてください。私たちが必要な方のところに必要なだけ届けますから」
と釘を刺されてしまいましたが・・・
この状況・・・
一昨日に三回忌を迎えた忌野清志郎がこの場にいたらきっと言ったであろう言葉
「色気がねえ!」
私もこの言葉がうっかり口をついて出てしまいました〜
最低限のカロリーだけで人間は生きているわけではありませんからね。
もっともっと、被災地に心を届けたい!
確かに・・・
このボランティアセンターの方のおっしゃることも真実。
そしてボランティアセンターで中心になっているのも全国から集まった社会福祉協議会の職員さんだったりするわけですから、この地域のことを細部まで把握できないのはある意味当然のこと。
自宅を離れて一生懸命に頑張っているこの方たちの尊い行為を責めるのもまったくの筋違いですし、この方たちがいなくなってしまっては本当に被災地が孤立してしまいます。
ただ・・・
被災地への直接の支援を、行政の窓口に一本化する必要はないのではないかと。
当日400人集まったボランティア希望者のすべてを捌ききれずに待機させておくくらいなら、自分の意志でできることを考えて自分の意志と責任において動いてもらった方がどんなに有効だろうか。
物資を一箇所に集めて捌ききれないくらいなら、すべて一箇所に集めずにその場所を通り抜けて、岬の先端の必要としている人のところに、多少的が外れても直接持っていってしまったなら「物資は余っている」などという状況は生まれないのではないのだろうか、と。
そう、多少的が外れても物量があればカバーできる。
的が外れているものを届けてトラブルになるのは、物が足りていないときなのだから。
民間や個人の活力を使ってどんどん物資を搬入して、もしも不要なものが出たら、今度は不要なものを回収したり片付けたりするボランティアが必ず出現します。
人間の見識や意志や活力とはそういうものです。
社会福祉の用語では、これを《インフォーマルサービス》といいますね♪
現在すべての善意や活力が行政というフィルターを通した《フォーマルサービス》に押し込められてしまっています。
《フォーマルサービス》で行き届かないところを柔軟に補完していくのが《インフォーマルサービス》。
この《インフォーマルサービス》の発生を、国の力で阻んでしまえば新たな活力は起こりようがありません。
この現状が大変に歯がゆいです。
行政やボランティアセンターが把握しきれる範囲の中だけで支援を行っていくのではなく、もっともっとたくさんのエネルギーが必要なのではないでしょうか。
民間のエネルギーや、個人の善意を一度行政の下に預け、再分配をするようなシステムのみではどうしても即効性に欠け、また支援が細くなってしまいます。
それを証拠に集まった義捐金の9割が、まだ何にも使われずに眠っている。
是非ともかつて織田信長が行った《楽市楽座》のような英断をと。。
行政の最低限の担保をベースに、さらなる民間や個人の自由な発想を刺激して、もっともっと物資や心が届くといいなと思います。
《フォーマルサービス》と《インフォーマルサービス》が互いに機能し刺激しあえるといいな〜と思うのです。
そんな思いで、ボランティアセンターのあるベイサイドアリーナにはあえて立ち寄らず、自分自身の責任において、単身、歌津地区に切り込んできたわけです。
そして・・・
岬の最先端、歌津地区の石浜集会所に移動する中で信じられない光景に遭遇し続けました。
覚悟はしていましたが、言葉を失います。

瓦礫として生まれてきたものなんて一つもなくて・・・
すべてに名前があって、かつては私たちと生活を共にし、大切にされていたものたちの数々。
果てしなく続くこの風景を車を走らせていく。
頭の中が真っ白になってしまう。
無力、無力、本当に無力。
できることが何もない。
ただただ無力。。
写真は・・・
これ以上カメラを向けることができずに、この一枚しか撮れませんでした。
橋が崩落してしまっていて、自動車でさえも仮設の吊り橋のようなところを通っていく。
時折舗装道路が消えて砂利を敷いて何とか通れるようにしているが、車がすれ違えない場所もいっぱいある。
右手には瓦礫で埋め尽くされ海岸線を失った海。左手には山がそびえたつ。
左手に見える山々の急な斜面を見上げると、地上から20〜30mも離れた木の枝のいたるところに衣類やカーテンや毛布や掃除機や電気ストーブなどの電化製品までが引っかかっていて・・・
あんなところまで津波がやってきたのかと思う。
しかもあんなものまで巻き上げる強い力で。。
また三階建てのマンションの屋上に自動車が乗ってしまっている風景、地面に自動車が突き刺さっている風景・・・
つぶれた家、跡形もなくなってしまった家、その基礎の部分だけが砂にまみれて延々と続き、整然とした町並みがあったことが想像できる。
そして三階までがむき出しになりかろうじて四階のみ原形を保っている病院。
砂に埋まった漁船と自動販売機。
倒壊しただけでなく幾重にも折れて破壊されつくした電信柱。
これはいかなるものの成れの果てかと思う。
道路沿いに家屋を失ったコンクリートの基礎が並ぶ。
新興住宅地があったのだろうか。道路に沿ってどこまでも並ぶ。
人が生活していた幸せな町並みが、確かにここにあったのだ。
とにかく人気が全くない。
この先に避難所があって、人が生きていることすら想像できなかった。
「混乱するからボランティアの方々は南三陸町に行かないでほしい」
しかしここに至るまでの道路もガラガラで・・・
いったいどこの何を見ての言葉だったのか。
おそらく人は足りていない。
何故ならこの岬の地域には人の姿が見えないのだから。
ボランティアセンターにはさばき切れないくらいの有志が集まっているかもしれないが、私たちにできることはその指示で動くことだけではないと思う。
自分の目で、足で、嗅覚で・・・
真実をつかむ努力をあきらめないでいきましょう!!
そして目的地であった石浜集会所にて・・・
物資をすべて降ろし終えたら、おいしい富士山の湧き水でロイヤルミルクティーを炊き出ししようとこっそり助手席に準備して行ったのですが・・・
車から物資を下ろしている間に、「コーヒー入りましたよ〜」と逆にもてなされてしまう〜。
というわけで…
残念ながらおいしい湧き水もロイヤルミルクティーも「あとで飲んでくださいね〜」ってそのまま置いてきてしまいました☆
ここには、ベイサイドアリーナにEXILEが来ているという情報など入っていない。
「あっちの集会所にサンドイッチマンの富沢っていう人が時々来てるみたいだぞ」
「すごいよな〜。芸能人来てるんだ〜」
なんて会話してましたし。。
貴重なコーヒーをいただきながらいろいろなお話をしましたが・・・
ほとんど言葉が通じない!
私も北関東の出身なので東北の方々とは同じ言語環境で育ったと思っていたのですが、会話がギクシャクしてしまい、さらに立ち上がった瞬間にうっかり貴重なコーヒーの紙コップをひっくり返してしまったり
「何しにきたんだね、あんたは」
みたいな雰囲気に。。。
そう、水を確保して、食事を作る、
それだけで一日が終わる。
それぞれがそんな持ち場に戻っていく。
物資運搬中の前向きなムードが徐々に変化し、なんとなく微妙な空気が漂う中、私も時間的に長居はできないので
「ではそろそそ失礼いたします」
と帰ろうとした瞬間に、

みなさま突然ワー!って集まって見送ってくださいました。
私の準備不足で言葉はほとんど通じなかったけれど、心を込めて・・・
握手を交わしてお別れしました。
本当に元気でいてほしい。
ボランティアセンターの職員さんに睨まれるような私の勝手な行動が何かの役に立てたのか、やはり余計なことをしただけだったのか、それはわからないけれど・・・
「再び漁に出たい!」
その願いが叶うようにとささやかな後方支援を続けていきます。
いつかまたこの岬の小さな町が、誇り高き漁師町として栄える日を一緒に夢見させてください。
そう、きっと
この町だけではなく・・・
十分な物資が、心が、
届いていない地域が、何とか日々をしのいでいる人々がまだまだいっぱいいる。
政府発表の総量による物資の充足度を鵜呑みにしてはいけない。
情報を受け止めるだけでなく、自分のハートで感じて、自分の責任において行動していきたいですね!
人の生死も総量ではなく、私たちが大切な人を失ったときのことを考えたい。
それは決して数の多寡ではない。
たとえ一人の人間であっても打ちひしがれて立ち上がれずにいるなら、その存在を忘れてはいけない。
『頑張ろう!日本』・・・
こんなスローガンやシュプレヒコールで、一人ひとりの悲しみを忘れてしまってはいけない。
どんな流れにも無条件で身を任せてしまわずに、自分の肌で感じ、自分の意志と責任で行動していきたいですね☆
いちばん正しいのは政府機関の情報ではない。
感じたままのあなたの心だ♪
その想いの温もりをそのままに、届けたいその人たちに届けてみませんか?
南三陸町から見た美しい太平洋の風景です。
しかし足元を見下ろすと、崖に漁船が横倒しになって寄りかかっていました。
4月30日
前日の仕事を終えてから物資の積み込みを終えると午前2時・・・
トヨタBOXYにめいっぱい物資を詰め込んで、南三陸町の歌津地区を目指して出発しました。
そう、インターネット上で「物資が不足しています!」と支援を呼び掛けていた南三陸町の岬の外れ、歌津地区の石浜集会所へ。。
途中、栃木県内で事故渋滞があった以外は、道路はすいていました。
それでも現地到着は午後2時。
ほぼ12時間走り続けたことになります。
やはり山梨からは遠かった。。。
「物資はもう十分にあります」「水は足りています」
と、ニュースではやっていたけど・・・
物資を持ち込んだ石浜集会所で最初に聞いた言葉が「水はありますか?」
「はい!いくらでもありますよ〜☆」
と、まずひとつ予感が的中!
給水所に行けば水はある。
だけどそれを取りに行く方法が本当に乏しい。
だから洗濯や洗い物には手分けして川の水を汲みに行っている。
他の物資に関しても状況は一緒。
「もう既に物資は足りている。余っている」
というのは、あくまでも行政レベルで把握できている人口に対する総量での話ではないでしょうか。
それが必要な人に必要なだけ行き渡っているかとなるとまったく話は別。
南三陸町全体の総量で計算するとおそらく足りているんでしょうね。
そして地区ごとに給水所が用意され必要な量が分配されている。
だけどそこにある水を必要なだけ取りに行くということがどれだけ大変なことか。
そして私が訪れた日の南三陸町歌津地区、本当に閑散としていました。
(ベイサイドアリーナはEXILEが来て盛り上がっていたらしいですが)
政府の方が「南三陸町が混乱するのでGW中は行かないでください」
と言っていましたが、岬の地域はまったく人影すらない状況で・・
絶対に人材は足りていない!と思いました。
おそらく・・・
物資もボランティアも、それを捌ける人材がいないということなのでしょう。
また保健師さんやケアマネージャー、民生委員さんや児童委員さんなど地域に密着した人材も被災され、住民の小さな声が届かないのかな、と思います。
石浜集会所でお会いしたボランティアセンターの方に
「今度来るときは、物資はまずボランティアセンターに持ってきてください。私たちが必要な方のところに必要なだけ届けますから」
と釘を刺されてしまいましたが・・・
この状況・・・
一昨日に三回忌を迎えた忌野清志郎がこの場にいたらきっと言ったであろう言葉
「色気がねえ!」
私もこの言葉がうっかり口をついて出てしまいました〜
最低限のカロリーだけで人間は生きているわけではありませんからね。
もっともっと、被災地に心を届けたい!
確かに・・・
このボランティアセンターの方のおっしゃることも真実。
そしてボランティアセンターで中心になっているのも全国から集まった社会福祉協議会の職員さんだったりするわけですから、この地域のことを細部まで把握できないのはある意味当然のこと。
自宅を離れて一生懸命に頑張っているこの方たちの尊い行為を責めるのもまったくの筋違いですし、この方たちがいなくなってしまっては本当に被災地が孤立してしまいます。
ただ・・・
被災地への直接の支援を、行政の窓口に一本化する必要はないのではないかと。
当日400人集まったボランティア希望者のすべてを捌ききれずに待機させておくくらいなら、自分の意志でできることを考えて自分の意志と責任において動いてもらった方がどんなに有効だろうか。
物資を一箇所に集めて捌ききれないくらいなら、すべて一箇所に集めずにその場所を通り抜けて、岬の先端の必要としている人のところに、多少的が外れても直接持っていってしまったなら「物資は余っている」などという状況は生まれないのではないのだろうか、と。
そう、多少的が外れても物量があればカバーできる。
的が外れているものを届けてトラブルになるのは、物が足りていないときなのだから。
民間や個人の活力を使ってどんどん物資を搬入して、もしも不要なものが出たら、今度は不要なものを回収したり片付けたりするボランティアが必ず出現します。
人間の見識や意志や活力とはそういうものです。
社会福祉の用語では、これを《インフォーマルサービス》といいますね♪
現在すべての善意や活力が行政というフィルターを通した《フォーマルサービス》に押し込められてしまっています。
《フォーマルサービス》で行き届かないところを柔軟に補完していくのが《インフォーマルサービス》。
この《インフォーマルサービス》の発生を、国の力で阻んでしまえば新たな活力は起こりようがありません。
この現状が大変に歯がゆいです。
行政やボランティアセンターが把握しきれる範囲の中だけで支援を行っていくのではなく、もっともっとたくさんのエネルギーが必要なのではないでしょうか。
民間のエネルギーや、個人の善意を一度行政の下に預け、再分配をするようなシステムのみではどうしても即効性に欠け、また支援が細くなってしまいます。
それを証拠に集まった義捐金の9割が、まだ何にも使われずに眠っている。
是非ともかつて織田信長が行った《楽市楽座》のような英断をと。。
行政の最低限の担保をベースに、さらなる民間や個人の自由な発想を刺激して、もっともっと物資や心が届くといいなと思います。
《フォーマルサービス》と《インフォーマルサービス》が互いに機能し刺激しあえるといいな〜と思うのです。
そんな思いで、ボランティアセンターのあるベイサイドアリーナにはあえて立ち寄らず、自分自身の責任において、単身、歌津地区に切り込んできたわけです。
そして・・・
岬の最先端、歌津地区の石浜集会所に移動する中で信じられない光景に遭遇し続けました。
覚悟はしていましたが、言葉を失います。

瓦礫として生まれてきたものなんて一つもなくて・・・
すべてに名前があって、かつては私たちと生活を共にし、大切にされていたものたちの数々。
果てしなく続くこの風景を車を走らせていく。
頭の中が真っ白になってしまう。
無力、無力、本当に無力。
できることが何もない。
ただただ無力。。
写真は・・・
これ以上カメラを向けることができずに、この一枚しか撮れませんでした。
橋が崩落してしまっていて、自動車でさえも仮設の吊り橋のようなところを通っていく。
時折舗装道路が消えて砂利を敷いて何とか通れるようにしているが、車がすれ違えない場所もいっぱいある。
右手には瓦礫で埋め尽くされ海岸線を失った海。左手には山がそびえたつ。
左手に見える山々の急な斜面を見上げると、地上から20〜30mも離れた木の枝のいたるところに衣類やカーテンや毛布や掃除機や電気ストーブなどの電化製品までが引っかかっていて・・・
あんなところまで津波がやってきたのかと思う。
しかもあんなものまで巻き上げる強い力で。。
また三階建てのマンションの屋上に自動車が乗ってしまっている風景、地面に自動車が突き刺さっている風景・・・
つぶれた家、跡形もなくなってしまった家、その基礎の部分だけが砂にまみれて延々と続き、整然とした町並みがあったことが想像できる。
そして三階までがむき出しになりかろうじて四階のみ原形を保っている病院。
砂に埋まった漁船と自動販売機。
倒壊しただけでなく幾重にも折れて破壊されつくした電信柱。
これはいかなるものの成れの果てかと思う。
道路沿いに家屋を失ったコンクリートの基礎が並ぶ。
新興住宅地があったのだろうか。道路に沿ってどこまでも並ぶ。
人が生活していた幸せな町並みが、確かにここにあったのだ。
とにかく人気が全くない。
この先に避難所があって、人が生きていることすら想像できなかった。
「混乱するからボランティアの方々は南三陸町に行かないでほしい」
しかしここに至るまでの道路もガラガラで・・・
いったいどこの何を見ての言葉だったのか。
おそらく人は足りていない。
何故ならこの岬の地域には人の姿が見えないのだから。
ボランティアセンターにはさばき切れないくらいの有志が集まっているかもしれないが、私たちにできることはその指示で動くことだけではないと思う。
自分の目で、足で、嗅覚で・・・
真実をつかむ努力をあきらめないでいきましょう!!
そして目的地であった石浜集会所にて・・・
物資をすべて降ろし終えたら、おいしい富士山の湧き水でロイヤルミルクティーを炊き出ししようとこっそり助手席に準備して行ったのですが・・・
車から物資を下ろしている間に、「コーヒー入りましたよ〜」と逆にもてなされてしまう〜。
というわけで…
残念ながらおいしい湧き水もロイヤルミルクティーも「あとで飲んでくださいね〜」ってそのまま置いてきてしまいました☆
ここには、ベイサイドアリーナにEXILEが来ているという情報など入っていない。
「あっちの集会所にサンドイッチマンの富沢っていう人が時々来てるみたいだぞ」
「すごいよな〜。芸能人来てるんだ〜」
なんて会話してましたし。。
貴重なコーヒーをいただきながらいろいろなお話をしましたが・・・
ほとんど言葉が通じない!
私も北関東の出身なので東北の方々とは同じ言語環境で育ったと思っていたのですが、会話がギクシャクしてしまい、さらに立ち上がった瞬間にうっかり貴重なコーヒーの紙コップをひっくり返してしまったり
「何しにきたんだね、あんたは」
みたいな雰囲気に。。。
そう、水を確保して、食事を作る、
それだけで一日が終わる。
それぞれがそんな持ち場に戻っていく。
物資運搬中の前向きなムードが徐々に変化し、なんとなく微妙な空気が漂う中、私も時間的に長居はできないので
「ではそろそそ失礼いたします」
と帰ろうとした瞬間に、

みなさま突然ワー!って集まって見送ってくださいました。
私の準備不足で言葉はほとんど通じなかったけれど、心を込めて・・・
握手を交わしてお別れしました。
本当に元気でいてほしい。
ボランティアセンターの職員さんに睨まれるような私の勝手な行動が何かの役に立てたのか、やはり余計なことをしただけだったのか、それはわからないけれど・・・
「再び漁に出たい!」
その願いが叶うようにとささやかな後方支援を続けていきます。
いつかまたこの岬の小さな町が、誇り高き漁師町として栄える日を一緒に夢見させてください。
そう、きっと
この町だけではなく・・・
十分な物資が、心が、
届いていない地域が、何とか日々をしのいでいる人々がまだまだいっぱいいる。
政府発表の総量による物資の充足度を鵜呑みにしてはいけない。
情報を受け止めるだけでなく、自分のハートで感じて、自分の責任において行動していきたいですね!
人の生死も総量ではなく、私たちが大切な人を失ったときのことを考えたい。
それは決して数の多寡ではない。
たとえ一人の人間であっても打ちひしがれて立ち上がれずにいるなら、その存在を忘れてはいけない。
『頑張ろう!日本』・・・
こんなスローガンやシュプレヒコールで、一人ひとりの悲しみを忘れてしまってはいけない。
どんな流れにも無条件で身を任せてしまわずに、自分の肌で感じ、自分の意志と責任で行動していきたいですね☆
いちばん正しいのは政府機関の情報ではない。
感じたままのあなたの心だ♪
その想いの温もりをそのままに、届けたいその人たちに届けてみませんか?










お伝えしてくれてありがとう!!
船長ありがとう!!
いろんなことを肌で感じてくださりたくさんありがとうございます。
地震の後私が感じたことと、船長さんが今回感じたことがほんとうに同じで
うまくいえないけどすごく嬉しかった!!
無力感、悔しいのとは少し違うけど似てる気持ち、
瓦礫になるためのものなんて一つもなかったのに…みんなさっきまでこんなことが起こることも知らずにいつもの生活をしていたのに…誰も死にたくなかったのに…
と思うと涙がとまらないし気が狂いそうになったりしました。
自然を恨むってことはないけど
あの日を恨むこともないけど
とにかく船長さんが感じたこと、まったく同じように感じたのです。
涙がとまらんです。
歌津地区
だけではないですが孤立地区はたくさんあると思います。
船長さんのしてくださったこと
たしかにいろんな支援の仕方はあるかと思いますが
歌津の石浜地区の方々の写真の顔をみたら、どんなによかったのかわかります。わかりますよ。
本来東北人、無口写真嫌いっていうかんじ。
なのにあんなに自然に笑って。
とても考えさせられました。
地元なのにまだわかってないこともありました。
だから私も効果的な支援、スピーディーな支援、心を豊かにする支援を考えながらやっていきたい。
最初から最後まで
一言一句
うんうん!
と泣きながらうなずきながら
ブログ読みました。
今も涙がとまらんです。(そろそろ泣きやもう〜)
私がいままで伝えたかった気持ち事柄全てがブログに入っていました。
こちらも
水くみして食事つくってだけの日々を歌津に比べたらすこしだけ過ごしました。
「EXILE騒ぎの傍ら富澤で騒ぐ」
みたいな感じで、全容を把握していない私もいました。
そういえばそうだったよなあと
2ヶ月前のことを思い出しました。
当時ラジオ聴いてて
「泉区の主婦の方からです。《今夜たべるものがなくなってしまいました。こどもが三人いますが、スーパーに並びたくても体調がわるく、食料が手に入りませんでした。》」
っていうメールが紹介されていました。
津波がきてない都会なのに、みんな瀕死だったのです。
それで私は
我が家の水道が他の家よりなぜかだいぶ早かったので、
近隣の方にできるだけ声をかけて、水をくみにきていただきました。
給水場所は限られていました。
給水車が来るまでみな必死で水難民をしていたのです。
徒歩で水のでる公園の水道に通い(ガソリンないので徒歩が基本。水重いっ。)、そしてすぐ水は手に入らず雪の中並んで待つっていうことを平気でできる体力がある人って限られてきます。体力あってもしんどいです。
民家を解放する感じで危ないと父には言われたけど、
やらずにはいられませんでした。
今状況は落ち着き、我が家に水をくみにきた方の中には、わざわざお礼を持ってきてくださる方もいらっしゃいます。
なにが正解かわからない。
だけど肌で感じて
できることをするってこと
大切だと思う。
小さくても。
船長さんのブログを読んで、こんなわたしの行為もありだったんだな、と認めていただけたようなほっとした気持ちにもなりました。
これは確かに震災にかかわらず
日頃の生活の中でも必要な大切な気持ちですよね。
いろいろ私の話をすみません。
俺も行こうと思いつつ、却って迷惑になってはと・・・
また直接いろいろ話を聞かせてください。
近々支援に行きます!
涙が止まりません。
船長さんの行動力には頭が下がる思いです。
お疲れ様でした。
義捐金の募金くらいしか出来ない私ですが、すきまを埋める活動の必要性をブログより感じました。
皆さんのコメントにも涙しました。
非力な僕は、恥ずかしくなってしまいました。
どのような支援が必要なのか・・・
じっくり考えて行動あるのみなんですよね。
私の両親が、津波で家を失い、石浜集会所に避難しています。
5月5日に石浜に行ったときに、両親が船長さんのことを話ていました。みんなとても感謝していました。
国道45線が、所々で破壊されている上に、JR 気仙沼線が壊滅的被害で交通手段が車しかない中、あんな僻地で小さな避難所を訪ねてくださって本当にありがとうございます。同じ南三陸町の中の人でさえ、存在を知らないエリアなのに。
石浜の人は、みんな人見知りで、口数の少ないひとが多いんです。<特に男性は>娘の私でさえ、会話にこまることがあるくらいです。
なまりに関しましては、夫が、すごく、船長さんに同感しています。<いつも私が通訳しているので。>
というか、心を伝える形はいっぱいあってほしい☆
ひろのうみさん、大変素敵なことをしましたね!
おそらく
私に対して「何も自分で持っていかなくても・・」と思われた方は少なくないと思うんです。
「もう物資は足りてるって報道されてるのに馬鹿じゃないの」みたいな。
それでも届けたい心があり、感じたい心がありました。
何と言うか・・・
物資を届けたかったのではなく、物資という小道具を使って心を届けたかったんですね。
この日本という舞台、震災という場面の中で、幸せを願って表現活動を続けてきたエンターテイナーの誇りにかけて、伝えたかった想いはただ一つ。
『いつも側にいるよ!』
離れていても、日本中が側にいるよ。
絶対に忘れないで!と。
震災から被災地とそうでない地域とで日本中が真っ二つになってしまったように思えて本当に辛かったんですね。
支援される側と支援する側みたいに、お互いにそれぞれが見えない線を引いてしまっているみたいで。。
今回の私の演目は・・・
《遠く山梨から、何の関係もないおかしな奴が、荷物をいっぱい持ってやってきた!》というもの。
その場に行かなければ、生きるための物資が無機質に届くだけ。
物資と一緒にこの心を届けて、そしてそこで生きる人の心を感じたかったんですね。
これ・・・
私がいつも舞台で演じてることと一緒♪
だから「あの人、何だったんだろう?」
と、あとで笑ってもらえたらそれでもうお慰みなんです♪
世の中には私みたいな馬鹿がいる☆
きっとどこかにいっぱいいる。
これで終わらせるつもりはないですよ〜
そんなささやかな温もりを、一番届かぬところに届けたいと願うお馬鹿さんと一緒に、《ふくぞめプロデュース》での活動、続けていけたらな〜と願っています。
《ふくぞめプロデュース》ではそんなお馬鹿さんを大募集していますよ〜☆
だけど一番のお馬鹿さんは私ですから♪
決してほめられた行為ではありませんよ〜
ボランティアセンターの方には睨まれてしまいましたし☆
だけど是非、行ってみてください。
感じたままに、taijiさんの思うことをやってみてください。
それが本当に心のこもった支援になると思いますよ〜♪
支援の仕方・・
行政は最低限の生存を保障するのが仕事ですからそれはそれで・・・
だけど私たちは、それを疑うことや、それ以上の幸せを感じることができるから・・・
行政の支援に上乗せして、たくさんの「感じたまま」が集まると、本当に豊かな支援になると思うんです♪
こちらこそありがとうございました♪
ですよ〜。
わずか数十分でしたが、石浜集会所の方々と一緒に過ごさせていただきまして・・・
みなさま本当に、足を地に着けてまっすぐに生きてきた方々だということが伝わってきて、心も身体も痛かったです。
雨が降ってきたときに
口々に「放射能が降ってきたぞ〜」
って言いながら、誰も雨を避けようとしなかったのには「さすが!」と唸るしかなかったですが♪
(私も一緒に濡れさせていただきました☆)
ご両親がいらしゃったんですね。
本当に大変な災害でした。
石浜集会所に向かう途中・・・
あまりのすさまじい光景に言葉を失いました。
この町に生存者がいたことが信じられないくらいに。。
私にとって始めての被災地。
みなさまに覚えていただけていたならこんなにうれしいことはありません。。
私にとっては精一杯でも、本当にささやかな物資です。
それなのに、素敵なメッセージをありがとうございました!
石浜さんにとって歌津地区はおそらく故郷になるんですよね。
ごめんなさい・・・
うまく言葉が出ないのですが・・・
こんな場所からアレですが・・
一緒に夢を見させてください。
みなさまの願いが叶いますようにと。
自分探しや仲間探しのボランティアでもなく、売名行為の芸能人でもなく、または消防士や自衛官みたいに職務による使命感でもなく…ただただ被災地への隣人愛でしょうか。
素晴らしすぎて、船長さんの精神構造がつかめませんが、きっと誰よりも私たちと心を合わせて傷ついている一人なのだと思いました。
あのエガちゃんだって一人でなんて動いてません。仲間と力を合わせての行動ですよ。
友人からこの記事を紹介されて、本当の隣人愛と孤独を恐れない強い心を感じることができました。
ブログ休止中で本当に残念ですが、これからも船長さんらしい航海を続けてくださいね。