ざっくばらんなさんぽみち

お茶農家としての生活、プライベート、趣味(?)のバイクやカメラをおりまぜた、とってもざっくばらんなブログであります。

終戦記念日でしたね。

2017年08月16日 20時54分00秒 | ざっくばらんなこと
こんにちは!
昨日、8月15日は終戦記念日でしたね。
勉強不足ですので、間違えてるとこがあるかもしれませんが、すみません。まとまりない文章になってます。


70年以上も昔、日本は周辺の国々から争いは始まりアメリカ、イギリスなどと戦争しました。戦争を体験した祖父母世代の方がまだ生きていらっしゃる今。歴史というより悲しい体験です。
幕末以降から欧米の国々が力をもって、アジアなどの国を植民地にしようとした時代。日本もその圧力なかで、侵略などの形で自国の道を開いていくしかなかったようです。驚くことにその頃、アジアで植民地化されてない国はタイと日本くらいらしいです。
次第に、アメリカ、欧米諸国との摩擦が戦争の口火を切ったんですね。

もし、その時代に生きる自分に徴兵のハガキがくれば、仕方なく行かざるをえない状況にあったと思います。今の時代なら戦争反対と簡単にいえますが。



原子爆弾の投下された日あたりから図書館で“はだしのゲン”を借りて読んでいます。小学生以来に読んだかな?今では表現やグロテスクな絵が、子供から遠ざける世の中です。
できたら一度は読んでもらいたいですね。体験に基づいた漫画ですし。

原子爆弾が落とされるころ散々に日本は空襲されていて、敗戦の間近だと思います。とどめを刺すため。原子爆弾を使ったから被害がそれですんだというアメリカ側の話があります。原子爆弾を広島、長崎に落とす必要があったのか?と思います。


はだしのゲンのお母さんが言うように、あえて原子爆弾の威力をみるため広島をあまり空襲せずに、おいておいたということや。戦後のソ連など他国とのやり取りを優位にすすめるうえでも使ったようです。

最近、NHKで見ました。本土空襲も遠くの拠点から、初めはピンポイントに軍事施設など精密爆撃を行っていたけど…その頃はアメリカの爆撃機は日本の戦闘機の迎撃を避けるため上空1万メートルなど高空を飛行し、爆弾を投下したんですが、ジェット気流などのせいで標的に当たることは低く七%らしいです。次第に、飛行基地が日本本土に近づき、石油を使用した焼夷弾で無差別爆撃。まだ日本の戦闘機が迎撃に来るので、爆撃機を護衛する戦闘機がいました。次第に、日本の戦闘機がなくなると、爆撃機の護衛する必要のないアメリカの戦闘機は地上近くを飛び、1秒間に何十発も発射する機銃というもので、学校、車、船、人あらゆるものを打ったようで。そのパイロットの仕事ぶりや、敵地を偵察するように機銃と連動して撮影するガンカメラというものがアメリカの戦闘機に付いていたようです。

南方の島々の日本兵は十分な補給も無いまま、玉砕など悲惨な終わりを強いられました。沖縄戦も映像をみるに辛いです。
周辺諸国にはどこまで本当か未だに定かではありませんが、ひどいことをしたとは思います。現地民と日本人が仲良くしたという事実もあります。

いずれも、戦争とはしていいものではありませんね。どちらから見ても加害者に被害者が生まれます。正義にあっても正義はありません。
結局は、人間の欲なんですかね?



僕の祖父は、工兵として中国やフィリピンのミンダナオ島に行き、日本にいる家族は裏に防空壕を掘っていました(崩れて危ないので埋めてしまいましたが)。上の写真が防空壕跡です。

戦争を歴史の一頁にせず、『こういう戦争があったんだよ。』と、次の世代に自分か聞いた体験談を語るのが大事なんじゃないかと思います。
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