PF/西村和彦(Blog)

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(コメントは内容を確認の上、公開させて頂きます。)

ノーベル賞

2016-10-14 11:29:18 | Weblog
母さんが 夜なべをして
手袋 編んでくれた

という詩を

ミーレドレ ミレドーシドラ
ララ ファーミレレドレミー

という音律に
のせると

あの有名な
「かあさん」という楽曲になる。
(窪田聡 作詞 作曲)


また

ソドドーレ ミソドラソ
ラド ドーレーミー

のメロに

夕焼け小焼けの
赤とんぼ

という歌詞をのせると

あの
「赤とんぼ」になる
(歌詞:三木露風 作曲:山田耕筰)



また

レードーレーミーソーミーレー



君が代は


と 歌詞をのせると


右よりの方が好きな

日本国 国歌「君が代」
(古 歌 作曲:林広守)

となる


例えば

「かあさん」

詩だけを

音読もしくは 黙読したときの
インパクト



あの切ないマイナー調の
メロディーにのせ
楽曲として
聴いた時のインパクト

とは
全く違うし

感じ方も全く異質なものである


上記の 他の曲も

言わずもがなである



「歌詞」と「メロディー」が

一緒になった 

所謂「歌」というものは


歌詞 と メロ の


2つが 単に

足されたものではなく

不可分であり


2つであって

2つ

でないのである



最高級利尻昆布でとった
出汁と

本枯節鰹節でとった
出汁を

合わせた場合

2つの出汁は

複雑に絡み合い
高め合い
補い合い
何らかの化学反応を起こし

もはや 2つの出汁は
別々に存在しているのではなく

渾然一体となって

日本料理の基本

旨い「合わせ出汁」となる

イチ足す イチが 

2にはならない 典型の例である


のように


ひとたびある楽曲を

完成された楽曲として

「音」として

聴いたあとで

その歌詞だけを改めて

読んだとき

歌詞単体を文学的に

精査し感じることは

ある意味 ナンセンスだと

思うのである。

音楽とはそういう物であり

音楽(歌)とは

そういう力を持っている。




私は

ハルキニスト

では ないが

ボブさんに

あの賞を授与したいのなら

ノーベル文学賞

ではなく

ノーベル文化賞

として

授与するべきでは。。。
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