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【女子プロレス小説】小さいだけじゃダメかしら?~中篇~

2017年05月18日 | ARTWORK & NOVEL

 一週間後――
 試合は既に終了したにも拘わらず、怒り冷めやまぬ観客から発せられる、失望と落胆の怒号がいつまでも止まない《東都女子プロレス旗揚げ三周年記念大会》会場の、選手控室はまるで通夜のように重い空気が漂っていた。闘い終えたばかりの赤井七海は顔に手を当て、声を殺しながらずっと泣いたままで選手たちは誰ひとり声を掛けられず、彼女を囲むように距離を置き、下を向いて呆然と立ち尽くしていた。いつもはどんな事があっても努めて明るく振る舞っているユカでさえも、口を震わせて泣く大親友に冗談など言えるわけもなく、ただ側に寄り添い優しく肩を抱いて、彼女の気持ちを落ち着かせようとするのが精一杯だった。
 この日のメインエベントは東都女子のエースである七海と、約三年ぶりに古巣に“里帰り”した元エース浦井との《遺恨清算マッチ》と銘打たれた三十分一本勝負のシングル戦で、積年の恨みを晴らそうと七海は相当に気張っていた。対する浦井も、彼女の想いを理解し場の空気を読んでいれば、熱の入った激しい試合になる――はずであったがそうはならなかった。
 浦井は序盤から七海の、怒りのこもった激しい攻撃に一切付き合う事なく、ことごとくスルーし彼女や観客たちを苛立たせた。

「何やってるんだ、赤井!」「浦井、ちゃんと試合しろ!」

 セミファイナルまではユカや他の選手たちの頑張りもあり好勝負が続き、メインに向けて観客たちの興奮も上がりっぱなしだった会場だったが、開始五分も経過しない内に場内の空気が急に冷めていくのが分かった。この日の観客は、過去と現在のエースによる激しいぶつかり合いや意地の張り合い、願わくばふたりの“和解”までを期待していたのだが、一方的に浦井が七海の代名詞である打撃技を避けまくり、時折帳尻合わせとばかりに組み合うもののそれ以上の進展はなく、無駄な時間が刻々と過ぎていくだけだった。一方的な七海の熱い想いとは裏腹に、極力彼女との接触を避けまくり“逃げ”のレスリングに終始する浦井――視察に来たオーナー他役員たちは三周年記念興行の目玉として、大きな期待をもって招聘した彼女の、あまりの身勝手さに頭を抱えるしかなかった。結局試合は残り時間が僅かに迫った所で、神経をすり減らしすっかり集中力の落ちた七海を、いとも簡単に丸め込みスリーカウントを奪って試合終了とした。
 結局七海は、必殺技の二段回転蹴りはもちろん、尻餅(シットダウン)式パイルドライバーであるファルコンアローも一度たりとも出せず、只々退屈なだけの試合に観客たちは当然怒り狂った。怒りの捌け口を求めて投げるごみがリング上を飛び交う中、力なく若手に肩を担がれ退場していく七海を尻目に、満足そうに薄笑いを浮かべる浦井は、リングの中央で大きく両手を広げその存在を誇示するものの、誰のひとりも彼女を支持する者などいなかった。堕ちた女王――彼らはこう呼んで元エースを罵った。

 いつもは女子選手たちを憚って、滅多に控室へ入る事をしない元川も、七海の様子をスタッフから聞いて慌てて駆け付けた。

「ちくしょう、こんな事になるのが分かっていながら……すまない、僕にオーナーや役員たちを説き伏せるだけの力が無かったばかりにっ!」

 いつまでも下を向いてすすり泣く七海を前にして、膝を折り床に頭を擦りつけんばかりに謝る元川。こんな重苦しい試合後の控室は初めてだ――ユカには大親友と信頼する“仲間”が沈んだ顔で、ネガティブな修羅場と化したこの場の空気にとても耐えられなかった。彼女はリングコスチュームを着たまま控室を飛び出し、自然と足は会場地下の駐車場へと向かっていた。確証はなかったがまだこの場所に浦井冨美佳がいる、そんな気がしたのだ。どうしても彼女にひと言文句が言いたいユカは、埃と排気ガスの残り香が漂う地下駐車場を隈なく捜してみた。
 浦井はすぐに見つかった――彼女は、退団後新たに立ち上げた自身の団体の、男性スタッフに誘導されながら、エンジンをかけて待機する黒色のワゴン車へと向かう最中だった。

「こんな試合で満足ですか、浦井さんっ!」

 約百メートルも離れた場所から、ユカは腹の底から思いっきり叫んだ。自分の名を呼ぶ声に気付いた浦井は、ふと足を止める。そしてユカの姿を見つけると試合後から、ずっと硬かった表情を崩しリラックスした表情で笑みを浮かべた。それは相手を小馬鹿にしたような嘲笑ではない、懐かしさから出た自然な笑顔だった。

「――久しぶりね、ユカちゃん」

 移動を促す複数の男性スタッフを制し、浦井はコスチューム姿のユカに話しかける。怒りで頭に血が上っていた彼女だったが、大先輩に声を掛けられた途端に気持ちは過去の自分に戻ってしまい、思わず会釈をしてしまう。団体と親友に対する“仕打ち”には心底腹が立ってはいるが、「浦井冨美佳」個人に対してユカは七海や元川のように、「顔も見たくない」ほど嫌悪しているわけではないのだ。

「ご無沙汰しています。だけどわたし今、穏やかに話せる状態じゃないですよ?」
「知ってる。だけど逢えて嬉しいわ――これは私の嘘偽りのない気持ちよ」

 ふたりの間にはかなりの距離はあるが、彼女たちの意識の中では無いに等しく、互いの感情が直接心にびんびんと伝わってくる。

「七海の……七海の気持ちを踏みにじるような試合を何故? あれじゃお客さんだって納得いかないですよ!」

 しばらく浦井は、銀色のダクトが縫うように走るコンクリートの天井を仰ぎ、ユカへの返答をいろいろと頭の中で探し出してみる。

「確かに七海はいいレスラーになったわ。だけど私だって“殺る気満々”な相手に付き合う程馬鹿じゃない。ぼろぼろになってひと時の名声を貰うよりも、貶されても次もその次も試合に出られる方を、私は選んたのよ――間違ってるかしら?」

 浦井の出した答えは、プロレスラーとして至極当然な発言だ――ユカは思った。だからといってキャリアも技術のある彼女の事、もう少し《試合》として成立させる術があったのではないか? 全部が七海のせいにされてしまっては、親友として納得がいかない。

「分かります……だからって仮にも“プロ”を名乗る以上、もう少し違った方法があったんじゃないんですか?」
「笑わせないでよ。わたしは高額のギャラを頂いた見返りとして、ここのリングに上がっただけの事。それだけでも“プロフェッショナル”の義務は十分に果たせたんじゃなくて?」

 まるで、リングに登場するまでが今日の“仕事”で、後は相手任せのような言いぶりにユカは遂に怒り出した。

「……そうやっていつも自分の事だけ考えて、周りの事なんて一切気にしない。みんながどれだけ浦井さんに振り回され、苦労させられてると思ってるんですかっ! わたし、あなたの事絶対に許せませんっ!」
「へぇ、じゃあどうしてくれるっていうの? 《旗揚げ三周年記念大会》はあと一戦残っているわ。今日の敗戦ですっかり心の折れた甘ちゃんを、また私にぶつけるつもり? それとも――」

 会話の途中で、それまでじっと待機していた男性スタッフが、助け舟を渡すかのように彼女に急いで車へ乗るよう催促する。クラクションを何度も鳴らして急かす車の方へ、やや強引に連行され離れていく浦井の後ろ姿に、ユカは構わず叫び続けた。彼女が聞いていてもいなくても知った事ではない。今ここで自分の“意見”を伝えなければ後悔すると思ったからだ。

「わたしが浦井さんと闘いますっ! まだ《格》じゃないかもしれないけど……愛する団体が舐められたままで終わりたくないっ!」

 叫ぶユカの目は少し潤んでいた。自分の本心を曝け出す事が怖かったのかもしれない。しかしその“心の叫び”は浦井の耳に十分届いたようで、取り囲む男性スタッフたちの隙間から覗く、彼女の顔はどこか嬉しそうで、それまで表に立つ事を極力避け、自分の“欲”など二の次だったユカの、初めての“自己主張”に喜んでいるかに見えた。
 浦井の乗せた車が排気ガスを吹かせ走り去っていく音が駐車場から、完全に聞こえなくなるまでユカは、その場で呆然と立ち尽くしていた―― 

「もし七海が、このショックから立ち直れない場合、明日のタイトルマッチは中止するしか――」

 《旗揚げ三周年記念大会》第二戦では、現在チャンピオンである赤井七海の持つ、東都女子プロレス認定のプリンセス・オブ・メトロポリタン(POM)王座を懸けて、浦井冨美佳とのタイトルマッチが組まれていた。自団体の看板を懸けて闘う、という只でさえプレッシャーの掛かる試合は“団体”としても危険であるが、何よりも今日の“失態”で観客の前で闘う事に、自信を失いかけている七海が昨日の今日で普段通りのファイトを見せてくれるとは、元川には到底思えないのだ。《プロレスラー》のプライドで「絶対にタイトルマッチは行う」と、間違いなく彼女は言い出すだろう。しかし団体の長としてタイトルよりも何よりも、七海を守ってやる事が最も重要である――彼はそう決めた。覚悟を決めて、虚ろな目をして首を垂れたままの七海にその旨を伝えようとした瞬間、吹き飛ばさんばかりの勢いで控室の扉を開けてユカが入ってきた。

「待って、元川さんっ!」

 控室にいる全員が、一斉にユカの方を向く。

「ユカ? 今までどこへ行って――」

 元川は彼女に尋ねようとするが、手を前にかざしてそれを強く拒否するユカ。

「タイトル戦中止だけは止めてください。これ以上お客さんの期待を裏切れば、取り返しのつかない事になるわ」
「しかし、七海の事を考えればとても闘える状態じゃ」
「わかってます。七海は闘わなくていいんです」
「……どういう事だ?」

 ユカの発言が理解できない元川や、七海の頭上にクエスチョンマークが浮かぶ。

「七海がベルトを一旦返上して、《王座決定戦》を行えばいいんですよ!」

 その発想は頭になかった―― 元川はなるほど!とばかりに手を打った。これなら無理をしてまで七海を、もう一度浦井冨美佳と闘わせなくても済む。しかし問題は、七海に匹敵する程の実力を持つ選手が東都女子に存在するかだった。実力の見合わない選手が決定戦に出場した場合、それもまた非難の対象となってしまう恐れがある、と元川は考えていた。

「いい《代案》だと思う……だが、誰が浦井と闘うというんだい?」
「わたしです!」 

 不安げな彼の質問を、ずばっと断ち切るように即答したユカの瞳には、自信だけが満ち溢れ迷いなど一切ない――団体を背負って闘う覚悟を決めた彼女の、全身から漂う威圧感に元川は思わず腰が引けてしまうと同時に、遂に覚醒した《実力者》小野坂ユカをこれほど頼もしく思った事はなかった。彼は意志確認の為、もう一度彼女に問うてみる。

「本気なんだな、ユカ?」
「やります! 絶対勝ちますっ!」

 ユカの揺るぎない意志に、満足そうに口角を吊りあげ微笑む元川。
 バシッ!
 突然、ユカの頬に張り手が飛んできた。それまでずっと沈黙していた七海が、彼女の発言を聞いた途端咄嗟に反応したのだ。平手打ちの乾いた音がまだ耳に残る中、再び場の空気が凍りつく。

「――遅い、覚悟を決めるのが遅すぎるよ。いつだってユカはそう」

 目を見張り顔を強張らせたまま、暫く睨み合うふたり。だがすぐに七海の方が先に表情を崩し、目に涙を溜め再び泣き顔へと変化させた。それはさっきまでの悔し涙ではなく、ユカに対しての感激と感謝の嬉し涙であった。

「ごめん七海……あの時の約束、いま果たすよ」
「うん。明日の王座決定戦、必ず勝ってね。東都女子のため――ううん、私のために」

 自分よりも小さなユカに、大きな身体を折り曲げ彼女の胸に顔を埋める七海。ユカは上を向いたままで、一向に彼女の顔を見られずにいた。それは今下を向くと絶対に、大粒の涙がこぼれ落ちそうだったからだ。

 東都女子プロレスはこの日の夜、公式ホームページ及びSNS上にて「赤井七海が怪我の為、本人の申し出によりPOM王座を返上し、当初予定されていた防衛戦を中止。代わりに浦井冨美佳と小野坂ユカのふたりによる王座決定戦を行う」と発表した。

 普段であれば、誰もいないはずの真夜中の道場。
 昼間はうら若き所属選手たちの、活気に満ちた声でいっぱいなこの場所も、道場外の廊下に設置されている自動販売機のモーター音だけが響き渡るだけ――明日の王座戦を前に、神経が高ぶってなかなか眠れないユカは気持ちを落ち着かせるべく、ひとりこの場所にやってきたのだった。
 彼女はリングの上にのぼり、紫色をした東都女子のジャージの上着を脱いだ。そして黒のショートタンクトップ一枚になると、普段のイメージとは大きくかけ離れた、厚みのある「プロレスラーの証」ともいうべき、筋肉で覆われた身体が現れる。日ごろの鍛錬で作られたその鋼の肉体はユカの、プロレスラーとしての誇りをひと目で表していた。
 彼女はふぅと息を吐くと、おもむろにリングに向かって垂直に前方回転した。背中とマットが接触するとリングは揺れ、大きな音を道場内に響かせる。間髪入れず続いて後方や時には捻りを加えたりと様々な入り方で何度も受身(バンプ)を取った。どんな体勢から投げられ落とされても、肉体への負担を最小限に抑え怪我を防ぐために、プロレスラーにとって受身の習得は重要視される。特に身体の小さなユカにとっては、周りのほとんどの選手が自分より身長が高く、怪我をするリスクが最初から大きかったので、自分の身を護ると共に相手から受ける技の衝撃を、見た目と音で試合会場にいる隅々の観客に分からせる受身は絶対に必要だった。そしてユカは最後の仕上げとばかりにコーナーポストへ駆け上がり、リングの中央へ目掛けてふわりと前転ダイブした。水平に落下した身体がリングに沈むと、自分ひとりしかいない道場に今夜一番大きな衝撃音を響き渡らせる。

 はぁ、はぁ、はぁ……

 裸の腹を上下させ、LED照明が取り付けられている天井を仰ぎ見たまま、ユカはマットの上で大の字に寝そべっていた。そして瞳の中では、かつての先輩である浦井との、練習中でのやり取りがリプレイされていた――

 それはユカが東都女子の旗揚げ前、“エース”浦井冨美佳をコーチに自分や七海を含めた練習生たちが、デビューに向けてトレーニングを受けていた時期。初めてコーナーからの前方受身が成功した時の事だった。

「痛かった、ユカちゃん?」

 マットに着地し寝たままのユカに向かって、浦井が声を掛けた。コーナーポストのあまりの高さに、落ちるのを何度も躊躇し、決心するまでかなりの時間が経過した後のチャレンジで、身体に伝わる衝撃の強さに目を丸くするユカ。

「痛かった……というよりビックリしました」
「よしよし。これがスムーズに出来るようになれば、すぐにでもお金を取れるようになるからね」

 浦井はユカをマットから立たせ、背中を優しくさすって激励する。ユカはそんな彼女の心遣いがとても嬉しかった。普通ならスター選手であれば後輩など――ましては入門したての練習生には自分の威厳を誇示するため厳しく接するものだが、浦井に限っていえはそれはなかった。それは彼女自身の人柄なのかもしれないが、昔ながらの“師従関係”ではなく“トレーナーと生徒”という、結びつきがそれほど深くない関係を、新しく入門した女の子たちに望んでいるようだった。
 
「浦井さん。どうして七海たちにはもう技を教えているのに、いつまでもわたしだけ受身や、マットレスリングの基礎ばかりを指導するんですか?」

 別の場所では同期入門の七海や他の子たちが、別のトレーナーから本格的にプロレス技の指導を受けているのを見て、ユカは恐る恐る浦井に尋ねてみた。もしかしたら怒られるかもしれない――そう思っていたが浦井はその理由を分かりやすく彼女に説いてみせた。

「小さい子は小さいなりのレスリングをしないと、せっかくの個性が埋没しちゃうからね。じゃあ聞くけど、同じだけの格闘スキルを持った大柄の選手と小柄な選手、予備知識なしに見てどちらが強そうに見える?」
「お、大きい方です……」
「そうよね。仮に相手がデクの棒でもそう見えちゃうよね? だから小さい方は大柄の選手と同じ事をやっちゃダメだと思うの、身体の大きさの違いで“表現”も変えなくちゃね。だから小さい選手はいっぱい動いて相手の技をいっぱい受けて、自分という存在をお客さんの目に止まらせる。これが理想よね」

 浦井が身振り手振りを交えて語る、彼女自身の考えるプロレスリング理念に、ユカは次第に引き込まれていく。

「それには、どんな攻撃にも耐えきれる受身の習得は必須科目だし、関節技を中心としたマットレスリングは“自分が一番強い”と勘違いして、舐めてかかる相手のために覚えておいた方がいい。試合ごとによって戦士(ウォリアー)と道化(クラウン)の顔を巧みに使い分けられる選手こそ、最も理想的なプロレスラーだと私は考えているの――その才能のあるユカちゃんにはそれが出来ると信じてる。迷惑だったかしら?」

 ユカには断る理由なんてなかった。たとえそれが嘘でも“雲の上の存在”であるスター選手が、自分の事を気に掛けてくれている、いう事が堪らなく嬉しかった。彼女は以後しばらく――浦井が自己都合で退団するまでの僅かの間、全体練習が終わった後にマンツーマンで、プロレスリングのイロハを教わったのだった。
 この浦井による《プロレス教室》は実際デビューした時に大変役に立ったし、彼女が去った東都女子で残った若手同士やロートル選手を相手に、退団前と変わらず熱の入った試合を観客に見せる事が出来たのは、全て浦井の教えのおかげだった。だから今でも彼女の事は元川や七海とは違い、心底嫌いになれずにいる。

「――それでね、さんざん〝小さい、小さい”って馬鹿にしてた相手をボコボコにした後、上から見下ろしてユカちゃんはこう言ってやるの、“小さいだけじゃダメかしら?”って。これはウケるよ~!」

 そういって笑っていた、かつての浦井の顔が未だに脳裏に焼き付いて離れない――

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【女子プロレス小説】小さいだけじゃダメかしら?~前篇~

2017年05月10日 | ARTWORK & NOVEL

 小野坂(おのさか)ユカはふわりと宙に舞った――

 自分よりも倍以上あろう体躯を持った対戦相手から、重量感のあるタックルを真正面で喰らった彼女は、まるで交通事故の如く軽々と吹き飛ばされたのだ。リングの四方からその“惨劇”を目撃した観客たちは、その「飛びっぷり」の良さに驚きの声をあげる。まだ二試合目だというのに、三百人も入れば超満員マークの付く小さな公営体育館では、大柄の対戦相手よりも小さいながらも技の受けっぷりがよい、女子プロレスラー・ユカへ注目が集まり、既に熱狂の渦に包まれていた。
 ユカは歯を食いしばりふらふらと立ち上がると、壁の如く立ち塞がる目の前の敵に向かって、ありったけの力を込めエルボーバットを何度も叩き込んだ。肘を相手の胸元へ打つ度に彼女の、脱色したショートヘアーが実年齢よりも幼い顔を隠すほど大きく揺れ、その小さな身体からは信じられない程強い“圧力”に対戦相手は、圧倒されてしまいポジションをじりじりと後退させていった。
 「頑張れ!」「攻めろ!」叫ぶような観客たちの声援がユカに集中する。
 いける!と踏んだ彼女は大きく叫び気合を入れると、自ら反対側のロープへ向かい走り出す。背中全体で硬いロープを受けて反動をつけスピードアップさせ、敵の顎へ目掛け“肘爆弾”を叩きつけるべく腕をフルスイングさせた。だがこのユカの攻撃を既に読んでいた相手は、身を屈めて難なく回避すると今度は自分がロープへと走りリバウンドした後、一撃必殺のクローズラインを逆に彼女の喉元へヒットさせる。
 加速プラス、ウェイトの十分に乗った相手選手の攻撃を、再び喰らったユカの身体は、着衣しているコスチュームに附属するフリルを波打たせて木の葉のように回転し――そのまま頭からマットへ落下した。意識が朦朧とする中、自分の上半身にずっしりと重くのし掛かる、対戦相手の体重を感じながらユカは肩を上げることも出来ずに、黙って敗北へのスリーカウントを聞くのであった。

 今夜の大会も何のトラブルもなく無事に終了し、決して大きくはない会場内の控室では、帰り支度をする選手たちで一杯になっていた。リング上を彩っていた窮屈なコスチュームも脱ぎ、すっかりリラックスした彼女たちは下着姿である事も気にせず、まるで修学旅行での旅館のように騒ぎながら、シャワーの順番待ちや差し入れのつまみ食い、そしてスマートフォンを使ってのツイッターやブログ更新の《情報発信》など個々に忙しく活動している。控室の外では唯一の男性である団体代表の元川瑛二(もとかわえいじ)が中にも入れず、廊下に掛かっている壁時計を見ながら泣き顔で、迫る体育館の撤収時間を気にしていた。

「ユカさん、今日はありがとうございました」

 薄い青色の下着姿のままくつろいでいたユカに、大柄の女性が礼儀正しく挨拶をする――先ほどの対戦相手だった。どうやら彼女はユカの後輩らしく、リング上ではあれほどパワフルなファイトを見せていたにもかかわらず、第三者からは見えない“上下関係”の壁なのか、身体を縮ませてユカに接している姿が何だか可笑しい。

「今日のファイトも最高だったね! この調子で臆せずどんどんいけばきっとすぐトップを張れるよ、わたしが保証するって!」

 数分前に自分を“負かした”相手だというのに、ユカはそんな事も関係なく目の前の後輩を褒め称え励ます。彼女にとっては勝ち負けなどは大した問題ではなく、自分たちの試合を見て、会場にいる観客が喜んでいるかどうかの方に関心があるのだ。

「ほらぁ、みんな早く着替えて着替えて! 遅くなると追加使用料が発生するから、外で待ってる元川さん涙目だよぉ!」
 
 控室中に響き渡るほど大きく掌を打って、遅々として進まない帰り支度を催促するのは、本日の興行でもメインを務め上げたこの団体のエースである《レッド・ストライカー》赤井七海(あかい ななみ)だ。170㎝近い高身長という恵まれた身体に加え、格闘技の経験もあり正に《女子プロレスラー》になるべくしてなった“逸材”である。ここにいる他の誰よりも、選手歴の長い七海の言葉に誰も反論するわけはなく、皆スイッチが入ったようにてきぱきと身支度のスピードを早めだした。

「ユカ、あんたも急ぐの! みんなより年上なのにいつも一番遅いんだから全く」

 急に“お小言”が自分の方に向いてきて、すっかり意表を突かれたユカは長椅子から立ち上がると、急いでTシャツを羽織りだした――七海の話はまだ終わらない。

「それで支度が終わったら、いつもの店で集合ね。待ってるから」

 そう言い終えると彼女は足早に控室を後にする。ひとり残されたユカは七海の去った方向を見つめたまま、黙々と着替えを進めるのであった。

 「三ツ星」「行列のできる」という女子受けしそうなキーワードとは縁遠い、何の変哲もないごく在り来たりな、商業ビルの一階に設置されている古ぼけた小さなレストラン――ここが彼女たちふたりの“集合場所”だ。団体が管理する彼女らの住む選手寮から一番近く、あまりお金の無かった練習生の頃から、自由に使えるお金がちょっとだけ増えた現在に至るまで事あるごとに利用する、地方出身者であるふたりにとっては《実家》のような安心感のある店なのだった。 
 最寄りのバス停から走ってきたのか、息を切らせてユカが入店すると壁側の一番隅っこの席に座っていた七海が、大きく手を振って彼女を呼んだ。

「お疲れぇユカ。ささ、水でも飲んで」

 差し出されたコップ一杯の水を、ユカは立ったまま一気に飲み干すと、ふぅ~っと大きく息をつき七海の正面の席へ座った。ふたりの顔に笑顔が宿る。
 頃合いを見計らってテーブルに料理が並べられていく。七海は大根おろしが雪のように肉の表面を覆う和風ハンバーグ、ユカは具が大きなビーフシチューだ。料理から発生する熱と匂いが試合後でお腹の空いた彼女たちの食欲をそそる。欲に負けたユカは備え付けのロールパンを少し千切ると、熱々のシチューに浸し口いっぱいに頬張った。シチューに溶け込んだ牛肉の旨みが、口から鼻へと抜け彼女は幸福感に浸る――と同時に、急いで口に入れた為に料理の熱で、少し舌を火傷してしまった。

「バカね、急いで食べるからよ。水いる?」

 七海から渡された水を飲み口の中を冷やすユカ。ころころと変わる彼女の表情を見ていると、同期であり親友である七海はいつも癒されるのであった。

「七海、今日もメインご苦労様」
「いやね、ユカがしっかりと身体を張ってお客を沸かせているからこそ、こんな私でもどうにかカッコついてるのよ。礼を言うのはこっちよ」

 謙遜し合うふたり。それはお互いが真にそう思っているからこそ、自然と口から感謝の言葉が出る。「私が一番」な個人主義的なレスラーの多いなか、彼女たちのような《立場》に対して欲がない選手というのは珍しいかもしれない。それはふたりが必死になって、ゼロの状態から団体を盛り立てていったから他ならない。
 メジャー団体を退団した元スター選手を担ぎ出して旗揚げした、ふたりが所属する団体《東都女子プロレスリング》だったが、数カ月も経たないうちに「方向性の違い」を理由に彼女ほか数名のスタッフが離脱、最大の《目玉商品》を失った団体はいきなりピンチを迎えてしまう。そこでデビューして間もないユカと七海はいろんな団体へ《出稼ぎ》を行い、そこでふたりは闘ったり組んだりして自団体の知名度と自分たちの《商品価値》を高めていき、「半年で潰れる」と揶揄されていた東都女子もなんとか三年目を迎え、ようやく彼女たちの頑張りが女子プロレスファンの間にも認められ、団体にも固定客が付くようになったのだ。

「ただね――ユカの“本当の”実力も、そろそろ見せていい頃じゃないかと思うの。いつもいつも有望な選手の“引き立て役”やコミカル路線ばかりで本当に満足?」

 今夜初めて見せる七海の浮かない表情。彼女とは長い付き合いだからこそ、自ら進んでやっているとはいえ、現在のユカのポジションにはあまり納得がいかない様子だ。彼女の繰り広げるコミカルな試合は決して嫌いではない。生真面目な自分には出来ないからこそ、彼女に尊敬の念を抱いてもいる。だからその情熱を少しだけ、トップ盗りにも向けて欲しいなぁと七海は思うのである。

「うん? 楽しいよ。下の子がどんどん試合数を重ねて上手くなっていく姿を見てるとね、こっちもすごくやりがいを感じるんだ。トップに上がりたくないわけじゃないけど、小っこいのが団体のチャンピオンってカッコつかないじゃない? 在るべき人が在るべきポジションに付く。それが筋ってもんでしょ」

 しかし何度説得してもいつもユカの“答え”は同じ。欲が無いのか自信が無いのか、東都女子の“広告塔”には喜んでなれども、看板を背負う気などこれっぽっちも無いようだ。

「でも、もし七海がピンチになった時――その時は“助太刀”させてもらうから、それまでエースのお努め頑張ってね」 
「また調子のいい事を……本気にしちゃうわよ?」

 一瞬だけ真剣な表情に変わった彼女に、七海は淡い期待を寄せてみた。だがユカはやっぱり楽天家のままだった。

「いいよ。下の子が伸びてきたらその子に全部任せちゃうから」
「もーっ、そうやって責任から逃れようとする!」

 したり顔のユカを前に、七海は呆れて笑い出してしまった。だけどちゃんと分かっている、決して彼女は逃げたりはしない事を。それは長年の付き合いと実際に、練習や試合で肌を合わせた彼女だけが持てる“自信”だった。
 ふたりだけの楽しい夕食会は、料理の皿が空になっても一向に終る気配は無かった――


 東都女子の道場には、大きな悲鳴が響き渡った。
 「何事か?」と遠巻きに恐る恐る見つめる者もいれば、「あぁ、またか」と“惨状”を知っていても見向きすらしない者もいる。両極端な態度の違いがそのまま、この団体におけるキャリアの差となっているのだった。フロアの真ん中付近に設置されているリングの上では、寝技中心のスパーリングが延々と行われていた。悲鳴を上げたのはデビューを目指している練習生で、上げさせているのはあの小野坂ユカだ。まだ線が細いとはいえ長身の彼女を、いとも簡単にテイクダウンさせ、押え込み動けなくして関節を決める一連の動作には、一切の無駄がなく美しくすら感じる。スパーリングが開始されてからまだ三分も経たないうちに、練習生の彼女は既に汗まみれで疲労困憊となっているのに対し、ユカの顔にはまだまだ余裕の笑顔が浮かんでいた。マットレスリングの強さ――これが《能天気ダイナマイト》小野坂ユカの隠し持っている“実力”だった。

「わかったでしょ? レスリングの強さは身体の大小に関係ないって事を――ユカもそろそろ止めてあげなって、大人げないわよ」

 リングに上がり両者を分ける七海。手も足も出せないまま、ひたすらユカの餌食となっていた練習生は、体力を奪われてしまい「稽古」を付けてもらった礼も言えず、どうにか頭だけ下げると同じ年頃の子に肩を借りてリングを降りて行った。いつも笑顔で誰とでも公平に接している彼女なだけに、この「もうひとつの顔」は入門して間もない練習生にすれば“恐怖”以外何物でもないだろう。“遊び相手”がいなくなり、リングを囲む黒いロープを蹴ってつまらなそうにしているユカに、七海が声を掛けた。

「私で良ければ相手になるわよ、どう?」

 彼女の提案を聞いた途端、ぱあっとユカの表情が明るくなる。

「うん、やろうやろう!」

 余程嬉しかったのか、茶髪のショートヘアを浮かせて跳ね回る元気娘。そんな彼女を正面にして、拳を軽く握りアップライトで構える七海。道場内に緊張感が走り、各々練習していた他の選手や練習生たちがリングを囲むように集まった。
 七海の隙のない立ち姿に、興奮を隠せないユカはぺろりと舌を出すと、低い姿勢で彼女の周りを移動しテイクダウンを奪おうと隙を窺った。対する七海も縦に横にとフットワークを使いながら、時折蹴りを出し威嚇してユカを自分の間合いへ入れないようにする。
 突然、それまで細かく動いていたユカが仰向けになって寝転がった。驚いた七海の足が一瞬止まると、ユカの脚が下から這い上がるように絡みつき、気が付けばマットに倒されていた。そのままユカは相手の足を脇に挟み固めると、関節が曲がらない方向へと一気に捻る。踵固め(ヒールホールド)を完全に決められた七海は、最早痛みから逃れる術もなく、ユカの腿を叩いてギブアップせざるを得なかった。ユカは得意気な表情で人差し指を一本突き出し、七海に対し「一本先取」した事をアピールした。
 親友とはいえ、先にギブアップを奪われて面白くない七海は、もう一度構え直しユカとのスパーリングを再開した。一本先取している事で気持ちに余裕のあるユカは、意地悪にも七海の痛めた方の脚に向かってタックルを仕掛け、もう一度関節技で一本勝ちを狙う。マットを這うような低い片足タックルが彼女の脚を捉えるが、七海は逆にユカの身体に覆い被さり彼女の動きを止めた。背中の上からは重圧がかかり、胸の下には腕が回され固定されてしまい逃げる事が出来ない。焦るユカをよそに七海は、彼女の背中の上で体勢を変えると、足を股に引っ掛けて四つん這いの体勢を崩し、空いていた首筋に素早く腕を巻き付け締め上げた。
 べたんと腹這いに寝かされ尚且つ裸締め(スリーパーホールド)を決められてしまっているので、力の入れ処も無いユカは無念にも、マットを叩いてギブアップを宣言する。これで両者は1体1のイーブンとなった。

「うぉぉぉっ!」

 悔しさで一杯のユカは立ち上がると、七海の腕を掴むと思いっきり正面のロープへ振り飛ばした。バウンドして戻ってきた彼女に高く鋭いドロップキックを放ち、七海は胸元に被弾し大きく後方へ倒れる。胸を押さえ痛がる大親友の髪を掴んで無理矢理立たせると、今度はそこへエルボーバットを二発三発と叩き入れる。
 押されっぱなしでたまるか! と七海は四発目のエルボーを腕でブロックすると、逆に肘をユカの顎へと思いっきりぶち込んだ。体重の乗った、彼女のエルボーバットはたった一発でユカの動きを止める。ダメージを受けふらふらと左右に揺れるユカのどてっ腹へ向かて、今度は七海が連続でミドルキックを叩き入れていく。一発また一発と打ち込まれる度にユカの身体が浮き上がる。そして止めとばかりに七海は、彼女の頭部へ目掛けてハイキックを発射した。だが彼女の技を読んでいたユカは体勢を低くして、大きく弧を描く七海の蹴り脚を避けた――はずだった。実はこのハイキックはフェイントで、かわされた七海は顔色一つ変える事も無く、身体を捻ると今度はニールキックを中腰の状態でいたユカの顔へヒットさせた。《レッド・ストライカー》赤井七海の必殺技のひとつ、二段回転蹴りだ。
 顔を両手で押さえ痛がるユカの元へ七海が駆け寄った。

「大丈夫、ユカ?……えっ」

 七海が側へ近寄った途端、ユカはヘッドスプリングで起き上がると、状況が把握できず棒立ち状態の彼女に跳び付き、太腿で頭部を挟み後ろへ反り返ってそのままマットへ突っ込ませた。今度はユカによる縦回転の脳天杭打ち(パイルドライバー)ともいうべき難度の高い技、フランケンシュタイナーがずばりと決まった。ユカと七海による、試合さながらの激しいスパーリングは、リングの外で見ている後輩や、まだデビューも決まっていない練習生たちの心を熱くさせていき、次第にふたつの陣営に分かれ声援を送りはじめる。さながら道場は小さな試合会場と化していた。

「そこまでだユカ、七海。ホラみんなも練習に戻って戻って」

 “女の園”に闖入するひとりの男性――団体代表である元川だ。彼は手を叩いて選手や練習生に注意を促しながら、ユカと七海のいるリングへ歩んでいく。
 まだ年齢も四十台と若いがプロレス団体のスタッフ歴は長く、チケット売りから移動バスの運転手にリングアナウンサー……出来る事は何でもやった。その熱意が認められた結果、三年前に複数のプロレス団体を運営するマネージメント会社から、新しく設立した東都女子の代表に任命されたのであった。旗揚げ三ヶ月目でスター選手やスタッフの大量離脱という憂き目にあったが、それでも安易に団体を畳む事なく、新人の中でも頭角を現してきた赤井七海と小野坂ユカに未来を託し、二人三脚――いや三人四脚で東都女子の名を世間に知らしめるために奔走した、「選手と代表」という枠を超え彼女たちの《同志》ともいえる人物だ。元川の姿を見て、それまで激しく闘っていたふたりが、どちらからともなく手を離しスパーリングを中止した。

「どうしたんですか、元川さん? 珍しいですね道場まで来るなんて」
「あっ、もしかしてスパーリングの相手になってくれるとか? それとも夜の方かな?……なんちゃって」
「ユカ、そういう冗談はシャレにならんから言うな。仮にも女子プロ伝統の『三禁』を謳ってるんだから、練習生たちに示しが付かないじゃないか――ってそうじゃなくて」

 真面目な話をしようにも、七海はともかくユカにいつも冗談ではぐらかされ、なかなか本題に入っていけない元川であるが、今度ばかりはそうもいっていられない様子だ。ユカの顔にトレードマークの笑顔が消える。

「マジっすか」

 こくりと首を縦に振り返事をすると、彼はふたりの間に入り話し始めた。

「――今度の」

 幾度もあった経営危機の時にも、自分たち選手の前では決して見せなかった元川の苦々しい表情に、七海たちは只事でない事を直感する。

「《旗揚げ3周年記念シリーズ》に彼女の参戦が決定した……」

 ――!!

 “彼女”という単語ワードを発する時の、彼の嫌そうな表情を見てふたりは即座に誰だか理解した。浦井冨美佳(うらい ふみか)――団体設立当時の看板選手であり、この東都女子に最大の危機をもたらした、三人からすればあまり良い感情を持っておらず、出来れば関わりを避けたいくらいの忌まわしき人物であった。

「何でですか? 何故自分で見限って捨てた、この団体にあの人が上がるんです?」

 信じられない、と言わんばかりの表情で七海は元川に喰ってかかるが、返答に窮していた彼は黙って彼女に身体を揺すられる他なかった。

「お、オーナーからの指示なんだ。アニバーサリー・ゲストと言う事らしい……感情よりも観客動員を優先する、という事で僕の反対意見は無視されたよ」

 何も言わず、黙ってリングから飛び出し道場を後にする七海。
 “正義感”の強い彼女には未だ三年前の、冨美佳による身勝手な行動を許せずにいた。頼るべきリーダーが突然、自分たちの前から姿を消すという出来事は、当時まだ駆け出しだった七海には心身的なショックが大きく、その衝撃は今でも深く心に刻みついたままだった。
 リング上に取り残されたユカは、七海の行動に対しどう対処すればよいか分からず、彼女の消えた方向を元川とふたりでただ黙って眺めているしかなかった。

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蹴撃天使RINA 〜おんなだらけの格闘祭 血斗!温泉の宿?!〜  【最終回】

2017年04月30日 | ARTWORK & NOVEL

「明日、とうとう帰っちゃうんだね。ちょっと寂しいなぁ」

 手に持ったグラスの中の僅かに残ったビールを、ぐるぐると揺らしながら目の前のRINAに呟く、ちょっぴり感傷的な気分の絵茉。
 《角力祭》が終了したその夜、初居大人をはじめこの祭に参加した選手やスタッフなどが集まり、祭の成功と参加者たちの労をねぎらう《打ち上げ会》が繁華街にある居酒屋にて開催された。初居による挨拶と乾杯の音頭の後、闘いの重圧から解放された女武芸者の面々は思いのまま飲み、テーブルに並べられた美味しい料理を食したりして、この楽しい“束の間の休息”を十二分に味わっていた。グラスを片手に彼女たちは武芸やプライベートなどを話題に、熱の入ったガールズトークを繰り広げ、話す側も聞く側も皆笑顔になって心地の良い時間を過ごしている。

「はい。そろそろ冬休みも終わっちゃいますし……」

 絵茉の言葉に、控えめに笑うRINAだったが、本当の所はまだ絵茉や遥たちと一緒にいたいと思っていた。だけど自分は此処の住人ではなく余所から来た只の旅行者に過ぎないし、地元へ帰れば高校生活や大好きな“彼氏”との日常が待っている――彼女たちとの別れを“大人”であるふたりよりも、恐れ寂しがっているのが実は彼女であった。

「でもまぁ、学生だから仕方ないよね。もし機会があったら――そうだ、春休みにでもまたおいでよ!今度はあたしん家に泊めてあげるからさ」

 絵茉はRINAの方へ、ぐいっと身体を密着させ自分の妙案をまくし立てた。しこたま飲んでいるのか、彼女の息がちょっと酒臭い。
 RINAが苦笑いを浮かべ返事に窮していると、横から絵茉の視界を遮断するようにビアンカが現れた。絵茉はつまらなそうな顔をしてRINAの側から一時退却する。

「よぉ、スクールガール! 目一杯飲んでるかい?……ってソフトドリンクをだけどね」
「あ、はいビアンカさん。十分に楽しんでいます」

 ふたりは互いに手にしているグラスを重ね合わせる。ビアンカはレモン割りの焼酎、RINAはコーラだ。

「――それで大丈夫なんですか、旦那さん?」
「ああ、リナが心配する事じゃないって。みんなダーリンが悪いんだ――女の恨みは鬼より怖いのよん」

 満面の笑顔のビアンカを、あの時の光景がフラッシュバックし複雑な想いのRINAは、只々彼女に“同意”するしかなかった。
………………

 祭が終わりすぐの事――ビアンカは傷の手当てもそこそこに、参加したRINAをはじめとする女性集団の前に、既にボロボロとなっているケンジを引き摺って連れてきた。顔は青痣だらけ、目は死んだ魚のように虚ろな彼は恐怖に顔を引きつらせ“最強の嫁”の側で小さくなって、女武芸者たちの蔑んだ視線に晒されていた。

「や、やめろよビアンカ。昨夜だって散々伯父貴に搾られたんだ、もう……勘弁してくれよぉ」

 情けない声で懇願する旦那にビンタを食らわす《装鋼麗女》。試合でも十分決定打となりうる彼女の平手打ちをもろに受け、意識を“此処ではない何処かの世界”へ飛ばすケンジ。

「ダメよ! リナに全身全霊をもって死ぬ気で謝罪しなさいっ!! ひとりの少女の人生を狂わせかけたって自覚、ちゃんとあるの?!」

 そういうとビアンカは、ケンジを強引に跪かせると足で頭を押さえつけ、額をぐりぐりと地面に擦り付けた。擦れる痛さと彼女の重さに耐え切れない彼は、目の前のRINAに泣き叫ぶように許しを乞うた。

「うぅっ、ごめんなさい……ゴメンナサイ……ごめんなさいぃぃぃっ! 」

 これが自分の“貞操”を奪わんとした男の末路なのか――殺しても殺し足りない程憎い相手のはずなのに、この醜態ぶりを見せつけられると馬鹿負けするというか、何だかこんな輩を相手にする事自体無駄なような気がしてきたのだった。だからRINAはすうっとケンジの視線まで下りていき

「……わかりました、あなたの謝罪を受け入れます。だから――二度と私の前に姿を現さないでください」

と冷たく言い放ち、くるりと背を向けてその場を離れた。
 許された――と安堵するケンジだったが、意外な所から“第二波”が襲ってこようとは夢にも思わなかった。

「わたし、この人にエッチな事されそうになったよ」

 《旋風夜叉》ソンヒだった。話を聞けば数年前に町で声を掛けられ、強引にラブホテルに連れ込まれかけたとの事で、もちろんビアンカとは結婚済みの時期である。わなわなと口を震わせているケンジに更なる余波が直撃する。

「それだったら私もよ。ジムでトレーニングしてる時に彼が寄ってきて、“練習見てやるよ、こう見えても俺格闘技やってんだぜ”なんて言って、ひとの身体をべたべたと触ってさ。あまりにもしつこいんでチョークスリーパーで締め落として逃げてきたけどね」 

 今度はジェシカの“爆弾発言”だ。たて続けに露にされるケンジの“悪事”に、奥方であるビアンカの顔色が徐々に変わっていった。

「それじゃあ“犯罪者予備軍”じゃなくて、正真正銘の“犯罪者”じゃない。ダメじゃん!」

 絵茉が叫んだ。怒りと蔑みの視線がおんなたち全員から、一斉に向けられるケンジ。我慢ならなくなったビアンカは軽々と彼の身体を、頭の上までリフトアップすると力一杯地面に叩き落とした。身体を強く打ち付け苦悶の表情を浮かべるケンジに、休む間もなくRINA以外の女武芸者たちからは蹴りが降り注がれる。痛みと恐怖で動く事の出来ない彼は悲鳴を上げ、ただ蹴りの雨嵐を受け続けるしかなかった。

「女の敵!」
「この変態っ!」

 家にはこの鬼より怖い《装鋼麗女》が、そして地元の名士である最強の伯父貴が常に自分を監視しており、仮にこの土地を逃げおおせても伯父貴の一声で、武林の好漢たちとその弟子たちが草の根を分けて追ってくるという絶望的な状態にケンジは、自分の軽率な行動を悔やみ涙と鼻水で顔を濡らし泣いた――

………………

「それでビアンカさん、これからどうするんですか?」

 RINAが尋ねる。《装鋼麗女》はグラスの中身を一気に飲み干すと淡々と語り始めた。

「ん? 離婚は――しないよ。これまでも、そしてこれからもダーリンと一緒に生きていく。確かにダメな旦那だけどいい所だってちゃんとあるし、そこに私は惹かれたの。だからちゃんとダーリンを叱り、時々なだめて“真人間”にみえるよう上手くコントロールし、彼の妻として生きていくのよ」

 恥ずかしさか飲み過ぎか、原因は分からないけど頬を赤らめて嬉しそうに語るビアンカに、彼への愛情を十分に感じ取ったRINAは、地元にいる“彼氏”の事をふと思い出してちょっぴり妬けた。

「リナぁ、もう帰っちゃうの~? センセイは寂しいぞぉ」

 ビアンカがこの場を離れると、入れ替わるように今度はジェシカとソンヒが現れた。すっかり出来上がっている彼女たちはお互い肩を組んでけらけらと笑っている。誰から見ても“別嬪さん”なこのふたりだが、武林では《旋風夜叉》《碧眼魔女》という恐ろしい通り名で知れ渡る、女武芸者である事が俄かには信じ難い。

「はい。名残惜しいですけれど……」
「うん。あなたとの試合はとってもエキサイティングだった。この先の格闘人生に於いても二度と経験できないようなね。これからは今日の試合で味わった、スリルや興奮を求めて闘っていくんでしょうね、きっと私は」

 RINAの手を両手で包むように握り、興奮ぎみに語るジェシカ。試合時に施していた、ゴスロリ風の隈のようなアイメークを落とした彼女は、“善人丸出し”なとても穏やかな顔をしていた。

「リナ、今回貴女とは闘う機会がなかったけど、来年こそは対戦出来るよう初居センセイにお願いしておくからね!」

 いや、来年の事はわからないんですけど――そう言おうとしたRINAだったが、ヤル気満々のソンヒに何言っても聞かないだろうなぁ、と思って口に出すのを止めた。

「それでね、今日絵茉と闘って決めたんだ。私――もっと外に敵を求めようと思うのよ。だから、ジェシカが所属するチームに入って総合格闘技に挑戦するんだ。今の私よりもっと強くなるために!」

 《目標》を定めたソンヒの目は輝いていた。誰が何処で自分と同じく、女性で武芸を修練している人物がいるのか分からず、孤独感を感じていた彼女が同じ地域に、しかも複数人存在している事を知り、実際に拳を交し合った今、目先が内から外へと向くようになり、もっといろんな武芸者たちとボディ・コミュニケーションを取ってみたくなったのだという。

「そうですか! 頑張ってください、ソンヒさん。私も陰ながら応援しますね」

 RINAはソンヒの手を取り、笑顔で握手を交わす。《旋風夜叉》はそんな彼女の優しさがたまらなく嬉しくてつい、ほろりと一粒涙をこぼした。

「――お疲れ様、リナちゃん」

 ソンヒを強引に引き連れ、何だかよく分からない奇声を発して“次の標的”に向かうジェシカの後、RINAの“本命”であった遥が側にやってきた。彼女はあの全員が集まった舞台上を最後に、一度も会話をしていない。だからあの時、何故自分に対し“敵意”のような熱視線を向けたのか? その真相を聞きたかったのだ。だが遥は、無言でビールを飲み、皆が楽しく騒いでいる様子を眺めているだけで何も言わない。自分で見えない“壁”を作ってしまい、誰からの干渉も寄せ付けないようなムードを漂わせている彼女に、RINAはなかなか話しかける事が出来ないでいた。
 ふたりの間にだけ、重く気まずい時間が流れていく――この硬直状態を打開すべくRINAが口火を切った。

「なんで……ですか? 私、遥さんの気に障るような事しましたか? 至らない所があれば――」
「全然そんな事ない。むしろリナちゃんは十分すぎる程出来た子よ」

 彼女が話を終える前に、割り込むように遥がこれに応える。だがRINAは彼女の言葉をそのまま受け取ってよいのか、と考える――“答え”はまだまだ見つからない。

「でも若いのに大したものだわ、こっちが発信した“ラブコール”にちゃんと気付いているもの。武林の評判は伊達じゃないって事ね」

 やっぱり彼女は私に闘いを挑んでいる!――ようやくRINAの頭の中で、全ての情報の欠片(ピース)が繋ぎ合わさった。
 遥がすっと《蹴撃天使》の耳元へ口を近付ける。

 …………っ

 誰にも聞こえないような小さな声で語りかけた。
 RINAはこくりと首を縦に振り、「了解」の意思表示をするともう一度だけ遥と睨み合った。何が彼女を突き動かしているか知る由もないが、この闘いだけは避けるわけにはいかなかった。特に尊敬する“先輩”からの申し出であれば尚の事、だ。
 離れた場所にいる妹分の絵茉から声が掛かると、遥は何事も無かったかのように周りに笑顔を振りまき、普段通りの様子で彼女の方へ向かった。一方、重く圧し掛かるプレッシャーから解放されたRINAは、大きく安堵のため息をつき、グラスに残ったコーラを乾いた喉へ一気に流し入れる。手の中で温められ、すっかり炭酸が抜けたグラスの中のコーラは、只の砂糖水へと成り果てていた。

 

 早朝九時――
 温泉旅館『白鶴館』の駐車場に、一台の軽トラックが止まった――絵茉だ。彼女は、温泉街の中心部にある、高速バスが発車する大型バスターミナルまでRINAを送っていく為、投宿先であるこの旅館へとやってきたのだ。
 外気に触れ冷たくなった手を擦りながら、旅館の待合室ラウンジに入るとさっそく彼女の姿を捜した。しかしそこには他の客もおろか、部屋の掃除をしている数名の仲居さんしかいなかった。
 絵茉の姿に気付き、旅館の女将が小走りで近付いてきた。

「あら絵茉さん、おはようございます。どうなさったんですか? こんな朝早くに」
「ええ、リナちゃんを町のバスターミナルまで送っていこうかと――彼女、まだ部屋ですか?」

 女将は、彼女の言葉に不思議そうな顔をする。

「リナちゃん……? 今朝早々――三十分ほど前ですかね、チェックアウトされて既に出て行かれましたけど。てっきり彼女、絵茉さんと何処かで落ち合うとばかり」

 絵茉の顔が蒼白となる――もしやあの娘、また“トラブル”に巻き込まれたのかも? 不安が胸の中で大きくなり抑えきれなくなった彼女は、居ても立ってもいられなくなり、慌てて旅館を飛び出していった。

 ――リナちゃん、一体何処へ行ったのよ?!

 山と木々に囲まれた辺りの景色を、慌ただしく目で追いRINAの姿を捜すが、既にこの場所にはいないと感じた絵茉は、アテはないがとにかく広範囲を捜索してみようと、逸る気持ちで軽トラックを疾走させた。

 冷たい雪がちらつく中、山間にある野原へ黒い軽自動車が進入してきた。こんな早朝に、しかも観光地でもないこの場所に人がやって来る事自体異状であった。降り積もる粉雪で白く染まった枯れ草の上に、轍を描いて車が停まると中から女性がふたり降りてきた。
 遥とRINAだ。
 彼女たちは横並びになり、白い息を口から吐き出しながら野原の中央付近へ向かい歩いていく。その間一切無言で視線も合わさない。鉛色の寒空の下、ふたりしかいない山間の景色は何処か“異世界”を感じさせずにはいられなかった。
 遥がぴたりと歩みを止めた。
 RINAは側を離れると、2m程の距離を取った後彼女と向かい合う。
 互いの、鋭い眼光がばちばちっと交錯する。

「――リナちゃん、覚悟はいい?」

 遥の問いに、目の動きだけで返答するRINA。
 着用していた上着を脱ぎ、地面へと放り投げ戦闘に備える両者。地面に積もった雪を踏み固めながら、じりじりと間合いを詰めていく。
 彼女たちの頭の中で、“試合開始”の号令が聞こえた瞬間、ふたり同時に胸部へ向けて前蹴りを繰り出す。防御など一切考えていなかった彼女たちは、相手の蹴りをもろに喰らい、大きく後ろへと転倒した。
 患部を押さえ苦々しい表情の両者。
 相手より、一歩でも優位に立ちたい彼女らは表情を元に戻し、背筋力を使って跳ね起きると今度は、顔を狙っての回し蹴りだ。これも高く上がった脚同士が交差しダメージを与える事が出来なかった。
 一度ならず二度までも、攻撃に失敗し苛立つ女武芸者ふたり。《蹴撃天使》の通り名を頂く彼女たちらしく、蹴りを中心とした攻撃のロジックが似通っているので、“合せ鏡”のような展開となっていた。
 遥は停滞する闘いの流れを変えるべく、相手にない技術――レスリングで勝負を決めようと、地面を蹴ってダッシュするとRINAに、矢のような胴タックルを敢行した。スピードと体重差による衝撃の強さで、人形のように宙に浮いたRINAは、そのまま落下し雪原へ身体を激突させる。
 背中を押さえ悶絶する《蹴撃天使》。突破口を開いた遥は間髪入れず、彼女の腕を取ると腕ひしぎ十字固めの体勢に入る。しかし極められまいと上体を起こして、必死で腕を掴みこれを防御する。だが遥の「引く力」は異常に強く、最強女子高生といえども、命綱ともいえる腕のグリップも保つ事も厳しくなってきた。このままだと確実に、肘の靭帯が伸ばされ自ら「敗北」を口にしなければならない――想像しただけでも我慢ならないRINAは、技が掛かっている状態ながら無理矢理立ち上がると、真下となった遥の顔を力一杯踏みつけ“関節地獄”から脱出した。
 技からは逃れられたものの、極められていた方の腕に力が入らず苦悶の表情のRINAに、遥は追い討ちを掛けるべく患部を容赦なく蹴り続け“潰し”にかかった。片腕が利かないとなると拳打による攻撃はおろか、防御にも支障をきたしてしまう為彼女にとっては死活問題だ。遥の蹴りが腕を直撃する度に骨まで響くような痛みに襲われ、無事な方の腕のみで必死で防御するもののどこか心許ない。相手の猛攻にRINAは次第に追い詰められていく。
 がつっ!
 ガードを固めていた腕を、力で押し切って遥の蹴りが側頭部へヒットする。とうとう腕一本での防御にも限界が来た。 RINAはダメージを受けよろよろと身体を揺らすが、意地と気合で何とか踏み止まり地面へ倒れる事を拒否する。遥はもう一度――今度は確実にダウンを奪うべく渾身の一撃を放った。
 RINAのポニーテールが宙を舞ったと同時に、遥の腹部に激痛が走る。彼女の目にも止まらぬ速さ後ろ蹴りが、ずばりと肚に突き刺さったのだ。蹴り脚を廻り切る途中でストップさせられ、耐え難い痛みで身体をくの字に曲げる遥に、休む暇なくRINAの黒いタイツで覆われた膝頭が襲い掛かる。突き上げるような飛び膝蹴りは無防備の顎へヒットし、推進するRINAの身体と一緒に遥は、雪に覆われた大地へと転倒した
 身体を重ね合い、胸を上下に動かし苦しそうに呼吸するふたり。
 止む事なく降り続く雪が、彼女たちの身体を白く染めていく。RINAは痛む身体を起し、遥の身体から身を剥がすと横並びになって大の字に寝転がり、天から舞い落ちる粉雪を仰ぎ見た。

 ――何やってるんだろ? わたしたち

 興奮で熱くなっていた頭の中が、雪の冷たさと外気の寒さでクールダウンされて、次第に冷静さを取り戻していくと、RINAは闘っている事が馬鹿馬鹿しくなってきた――何もかも無意味なのだと、そう思えたのだ。遥との闘いには何の“テーマ”があるのか? この闘いの果てに達成感なんてあるはずがない、あるのは相手に対する失望と後悔だけだ。どちらが勝っても負けても!

「もう……やめません? こんな事」

 《闘い》は一方が闘争心を失った時点でそれは《暴力》となり、「対戦相手」から「加害者と被害者」という関係へと移り変わる。だからRINAは闘いの中止を求めた――遥とはいつまでも好敵手ライバルでいたいから。
 黙ったままの遥。はぁはぁとリズミカルに発せられる呼吸音だけが、この《ふたりの世界》で唯一聞こえる音だった。
 そして――ようやく口を開いた。

「――どうやらここが“武芸者”と“獣”との境目のようね。わかったわ、この勝負“無し”にしましょう」

 彼女もこの重圧から解放され安堵したのか、上体を起こし胡坐をかいてリラックスした体勢を取る。厳しかった表情から一転、いつもの温和な遥の顔に戻り、それを見てRINAは安心する。
 再び沈黙が続く――だが居心地はそんなに悪くない。遥が次に口を開くまで少女はじっと待つ事にした。

「上手く説明はできないけど感覚的に“何かが足りない”って気がしたのよ」

 天を仰ぎ見ながら、ぽつりぽつりと語りだす遥。

「《角力祭》でビアンカと闘った事で、ある程度の手応えは掴めたと思う。だけど――再び闘いの世界へ身を投じるには“もうひと押し”が必要だった。ぽんと私の背中を押してくれる人が」

 彼女の言葉に、黙ってこくりと頷くRINA。

「それがわたし――だと。それで遥さんの期待に応えられたのでしょうか?」

 RINAに問われると、遥はいろいろな感情が入り混じる微妙な笑顔を見せた。

「まぁね。こちらの一方的な“ラブコール”を受けてくれた事は本当、感謝している。実際にリナちゃんとの闘いは、十分すぎる程私にいろんな事を思い出させてくれたわ。闘う歓びもダメージを受けた時の痛みも――相手への嫉妬心もね」
「…………」
「闘っていてね、気付いたの。あの時私をトップの座から蹴落とそうとした、同期の子と自分はいま同じなんだ、って。自分を超える“才能”を持つ、一番近くにいる人物に嫉妬し憎み、己の能力の限界を認めず自分の前へ歩んでいく事を良しとしない――自分が一番嫌っていた、なりたくないと思っていた人間に成り果てようとしていた――ありがとう、リナちゃん。大事な事を思い出させてくれて」

 遥の瞳にはうっすらと涙が浮かんでいた。
 格闘家として純粋に闘える歓びとは逆に、相手への憎しみや嫉妬という相反する感情がせめぎ合い、暴走する一歩手前で自ら退いてくれたRINAには感謝してもしきれない

「遥さん……あなたと闘えた事は正直嬉しかったし、同時に怖かったです。途中で致命傷を負い、“一生闘えなくなるんじゃないか?”と思うぐらい厳しい攻めでした。わたしから闘いを降りたのは、そうする事が後輩としての役目だと思ったから――間違っていましたか?」

 遂に感極まった遥は、RINAを力一杯抱きしめた。
 ごめんね、ごめんね、ごめんね―― 
 感謝、謝罪、後悔、慙愧――あらゆる感情が涙の粒となって頬を伝い流れる。彼女の腕の中に包まれながらRINAは「これでよかったんだ」と安堵の表情をみせた、目には薄らと涙を溜めて。
 土手の上を白い軽トラックが、軽快なエンジン音を響かせて走ってきた。――絵茉の車だ。彼女は慌てて停車させるとドアを開け、雪原にいるふたりに大声で叫んだ。

「遥姉ぇ! リナちゃんっ!」

 一刻でも早く彼女たちに接近したい。絵茉は逸る気持ちで土手を下っていくが、途中で雪に足を取られ転倒。そのまま真下まで雪煙をあげて転がり落ちていった。
 あまりにも突然の事で、抱き合ったままぽかんと口を開け唖然とする遥とRINA。
 しばらくして身体の回転は止まり、ベージュ色のロングコートに貼り付いた雪を払い落すと、絵茉は立ち上がり雪原のふたりに腕を広げて飛びついた。
 彼女の勢いに押されて、一緒に雪の上へ大の字に倒れる遥とRINA。自分たちの、あまりにも滑稽な姿についおかしくなって、RINAが声をあげて笑い出した。見栄や虚勢も張っていない、あまりにも自然で年相応な、女の子らしいRINAの姿に、“姉”ふたりもつい釣られて笑ってしまった。痺れるような寒さの中、雪原の上は暖かい笑い声で溢れ返った。

「あー可笑しい……でも絵茉、よくここが判ったわね?」

 遥は不思議そうな顔で絵茉に尋ねた。彼女に言わせれば別に難しい事ではなく、幼い頃から自分たちはこの野原を遊び場や練習場としていたし、遥が多感な時期には、何か心配や不安等があるといつもひとりでここに来て、何時間も考え事をしているのを見ていたので今回ももしかして――と思い、自然とここへ車を走らせたというわけだ。

「まったく――行動パターンが昔っから変わんないね、遥姉ぇは。それで結論は出たの?」
「うん……もう一度プロレスラーに戻ろうかな、って。無理を言ってリナちゃんと闘ってみて、やっぱり私は“闘う側の人間”なんだって気付いたの」

 再び“修羅の道”へ歩み出す事を決意した、遥の表情は心底明るかった。絵茉がこんな吹っ切れた遥の顔を見たのは、プロレスラーを目指して上京する前にふたりで会った時以来だった。

「頑張ってください遥さん!わたし、応援しますから――」

 RINAが言いかけた途中、悪寒と共に鼻の奥から、むずむずと耐え難い生理現象が湧き上がってきた。こうなると出来る事といえば、口に手を当て身体を縮ませるしかない。
 はくしょんっ!
 小さな身体からは想像できないくらい、大きなくしゃみが勢いよく飛び出した。驚いた“姉ふたり”の視線を一手に浴びて、RINAは顔を真っ赤にして恥ずかしそうに下を向いた。

「あはははは! それじゃあ私ん家に戻ろっか?このままだと皆風邪引いちゃいそうだしね。リナちゃん、高速バスの時間までまだ大丈夫だよね?」

 遥の問いに、RINAはこくりと首を振って返事をする。

「遥姉ぇ、あたしカフェラテ飲みた~い」
「はいはい。リナちゃんは?」
「わたしは……ミルクティーをお願いします」

 絵茉とRINAは遥を挟むように寄り添うと、彼女は大きく両手を広げ嬉しそうな顔で、ふたりの肩を抱き自分の方へ引き寄せる。遥や絵茉、そしてRINAもこの幸福な時間がいつまでも続けばいいな、と蕩けんばかりの空気の中で願った。しかしもうしばらくすれば彼女たちも――そして自分も、忙しい“現実”の世界へ戻っていかなければならない。ならば一瞬だけでも、目一杯この素敵な時間を楽しもうじゃないか。RINAは自分の頬に、遥の体温を感じながらそう考えていた。

                                                                                                                            終


                           

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蹴撃天使RINA 〜おんなだらけの格闘祭 血斗!温泉の宿?!〜  【第十回】

2017年04月30日 | ARTWORK & NOVEL

 続けてふたつも、“女性の範疇”を超える激しい《奉納角力》を見せられた、見物客たちの興奮度は最大限に達していた。例年行われている男衆による、“喧嘩”に近い原始的(プリミティブ)な角力を楽しみにしていた地元の“常連さん”たちも、個々の思想・理念や培った格闘技術をぶつけ合う、武芸高手たちによるクオリティの高い闘いに満足し《奉納角力》も新たな時代が到来した事を実感する。
 同時にこの《イベント》の勧進元・マッチメーカーである初居御大も、地元民や遠方からの見物客たちの、熱戦に次ぐ熱戦で興奮し紅潮した顔をみて、今大会の成功を確信していた。

 ――あとは遥が、上手い事締めてくれればいいんだがなぁ

 初居は白くなった短髪を撫でつけながら“大トリ”の事を考えていた。もちろん今井遥との“付き合い”は長く、彼女がどんなファイターなのかも熟知しているが、なに分“勝負”というものは水物で気候に体調、そして精神状態の好不調で勝敗が左右されるし、十年間の空白期間が格闘能力にどう影響しているのか全くわからない。まぁ絶頂期の半分でも動ければ御の字だろう――と彼は思った。
 遥自身も、日々の喫茶店経営の合間を縫って、《武芸者》としての基礎トレーニングは欠かさず継続していたものの、実戦経験は十年前の――あの忌まわしき最後の試合以来行っておらず、その点を問題視していた。妹分の絵茉や“二代目”を継承するRINAが見せた、レベルの高い試合をテントの中から観戦し往年のファイティングスピリットは戻りつつあるが、その精神に見合うだけの動きが実際に出来るのか?何度も自信と不安が交錯する。

 ――情けないなぁ。こんなくだらない事を、いつまでも考えているなんてわたしらしくもない。勝ち負けなんて二の次じゃない? 当たって砕けろ、よ!

 ぴしゃりと自分の頬を打ち気合を注入する遥に、普段着へ着替え終えた絵茉が近付いた。

「次の遥姉ぇの試合……セコンドに付かせてもらうわ」
「どうぞご勝手に。でも、側なんかにいたら気軽に観戦なんかできないわよ……本当にいいの?」

 姉貴分からの問いに、絵茉は黙って縦に首を振った。

「あたしはね、ずーっと遥姉ぇの近くにいたいの。それで遥姉ぇと一緒にドキドキしたいの!……ダメかな?」

 自分と同じ視線の高さに彼女がいる筈なのに、遥の目には最初に出逢った頃――まだ小学生だった頃の絵茉の姿が映っていた。ひとりぼっちで泣き虫で……そしていつも遥の後ろにくっ付いて行動していた彼女が鮮明に脳裏に蘇る。

 ――変わらないね。大きくなったのは背丈と態度だけ、ってか

 遥は両手で絵茉の手を握りしめた、何処にも行かないようにしっかりと強く。

「セコンドは任せたわ。一緒に……一緒に闘おうね、絵茉」
「うん、おねえちゃん!」

 “最高の相棒”と手を繋ぎ、並んで決戦の場へと向かう遥と絵茉。彼女の心にはもう一片の迷いも無かった。そして神楽殿の舞台上では《装鋼麗女》が腰に手を当て、対戦相手が上ってくるのをじっと待っていた。

「ふん。逃げずによく此処まで来たな、ハルカ!」
「当然でしょ? とにかくあんたを一発ぶん殴らないと気が治まらないのよ」

 お互いが、先制攻撃である“憎まれ口”を叩く。ほんの挨拶程度ではあるが会場は大いに盛り上がった。しかし遥は彼女の言葉のトーンに違和感を覚えた。昨夜のビアンカの激昂ぶりとは全く違っていたからだ。あの時の“憎しみ”が継続していれば、もっと“憎まれ口”にパワーがあり心に突き刺さっている筈なのに、今のビアンカの言葉はプロレスの“マイクパフォーマンス”以外の何物でもなかった。
 どこか居心地の悪さを感じたままの遥に、欧州最強の女が無言で接近する。気が付けば胸と胸を突き合わせ、これ以上ない程至近距離で睨み合っていた。
 顔の彫りが深い彼女の、暗闇から覗くような鋭い眼光で見つめられると、普通なら恐怖で身がすくんでしまいそうだがそこは“ファイター”である遥の事、しっかりと「メンチを切」って応戦する。

「……昨夜はすまない。私の勘違いだったようだ」

 突然ビアンカが他の誰にも聞こえないよう、小さな声で謝罪をした。

 ――えっ?

 一瞬耳を疑う遥。あまりにも唐突過ぎて現実味がなく、素直にこれを“謝罪”と受け取ってよいものか彼女は戸惑った。

「全て初居センセイから話を聞いた。うちのダーリンがトラブルの原因だという事を」

 なんだ、ちゃんと全部判ってるじゃん――遥は今日のビアンカから、“怒り”が感じられなかった理由をやっと理解した。

「あはは、まんまとあんたの組んだ“アングル”に乗せられた、というわけね」
「こうでもしなきゃハルカと闘えないと思ったから。こんな私を軽蔑するか?」

 彼女の言葉に、やはりビアンカ・レヴィンは闘うに値する女だと、元・人気女子プロレスラーの胸は騒いだ。

「いや、逆に感謝しているわ。正直ね――退屈してたのよ、今の生活に」

 自分だけに打ち明けてくれた、遥の“偽らざる本心”にビアンカは「やっぱりね」とニヤリと笑った。個人差はあれど一度でも“闘いの世界”に身を投じると、アドレナリンが大放出されて生まれる独特の高揚感は、なかなか忘れられないらしい。
 《装鋼麗女》は健闘を誓い合うべく、すっと短く拳を前に突き出した。客の前でおおっぴらにやると悪玉(ヒール)VS善玉(ベビーフェイス)の対立構造が崩れてしまうので、人目に触れずこっそりと行う――遥より幾分若いのに“昔気質”な考え方のビアンカであった。そんな彼女の意を汲んで遥も、自分より大きな身体のバッドガールを睨みつけたまま、拳をこつんと小さく当てて“挨拶”をした。
 行司から「離れるように」と注意され、ふたりはそれぞれ対角線の先へと一旦分かれる。

「――遥姉ぇ、あいつと何話してたのよ?」

 絵茉が、自分が待機している舞台の角に戻ってきた遥へ、不安げな表情で訊ねる。姉貴分は、そんな彼女に向かって「心配ない」とばかりに、優しい笑顔を見せた。

「あいつは“策士”だね。すっかり彼女の描いたストーリーラインに乗せられちまった」
「え?」

 話がさっぱり分からない、絵茉の頭の上に「?」マークが点灯する。

「“心配するな”って事よ――もしもの事があったら頼むわね?絵茉。わたしに不測の事態が起こった時も、逆に起こしそうになった時も」

 随分ヒドイ事言ってるなぁ――最後のひとことが気になったが「遥姉ぇらしいなぁ」と、彼女の発言をいつも通り、あたり前のように受け入れてしまう絵茉であった。
 遥が、赤いジャージ上のファスナーに手を掛け、ゆっくりと下に降ろす。中から現れたのは桜の柄がプリントされた、ワンピースタイプのリングコスチューム……絵茉は見覚えのあるこのコスチュームを見てはっと息を飲んだ。それは十年前に彼女が、あの「最後の」試合の時に着用していたものだったからだ。遥は沈黙を守った十年の時を経て、再び「あの時の」続きをやろうという覚悟の表れだ――敗北も屈辱も全て自分の中で消化して。
 金色と黒で配色された、ダークなイメージのリングコスチューム姿のビアンカが、一足先に舞台中央へ戻って“強敵”今井遥を待ち構えている。

「――始めぃ!」

 縦に手刀を切り“戦闘開始”を知らせる行司。その瞬間、一気に身体から開放された野獣の如き闘気に慄いて、慌てて彼女たちの側から離れた。

 うぉぉぉぉぉ!!
 「結びの一番」の開始に、会場の至る場所から声援が飛び交った。見物客をはじめ、対戦相手であるビアンカに至るまで誰もが《悲劇の女子プロレスラー》今井遥の“復活劇”に期待していたのだ。
 両者は円を描くようにゆっくりと舞台上を周回し、徐々に距離を詰め自分の“攻撃範囲”へ誘い込もうとする。近付いたと思えば一旦離れ、また離れたと思えば接触可能な距離まで近付き、相手の見えない保護壁(バリアー)を少しづつ削っていく。
 差し出した腕と腕が蛇のように絡み合い、それぞれの首筋や肘へ纏わりつき、相手を自分の有利なポジションへ手繰り寄せようと、ロックアップの攻防が始まった。両足をしっかりと床に付けて腰を落とし踏ん張ると、今持っている全ての筋力をこの“力比べ”に集中させる。
 腕や首など、全身にビアンカの体重がずっしり重くのし掛かり、遥は身体の自由を奪われて、前へ押す事も後ろに引く事も出来ない。みるみるうちに彼女の身体は、《装鋼麗女》の攻撃範囲内へと引き摺り込まれていった。
 大木のような太い腕が遥の頭に巻き付いた――ヘッドロックを取られてしまった!
 常人を超えたパワーでビアンカは、顎下から頬骨の辺りをぐいぐいと締めあげる。前腕部の硬い部分が顔の骨と密着して発生する、激しい痛みが遥の頭部を襲う。日常茶飯事にこの技を喰らう“現職”ならば、痛みに耐えつつ次の“展開”を考える事が出来るが、十年の間“一般人”をしていた彼女には酷な状況だ。《装鋼麗女》の腕と脇との間に、頭部を挟まれている遥の顔が既に真っ赤になっている。
 どかっ!どかっ!!
 ビアンカの鳩尾へ肘を叩き入れた。
 身体の奥に眠っていた、プロレスラー時代の記憶が遥を動かしたのだ。驚いて咄嗟に離してしまった相手の腕を掴み、背負い投げで床へ投げ飛ばすと今度は反対に、突き立てた膝を支点にし腕を力一杯引っ張った。ロックアップからのヘッドロック、そして切り替えしてのアームロックというプロレスリングの基本ムーブに、見物客たちからは大きな歓声が一斉にあがり、これからの試合展開を更に期待する。
 ビアンカは身をよじって、逆方向に曲げられていた自分の腕を取り立ち上がると、掴んだまま離さない遥の腹部へ二度三度とトーキックをぶち込んだ。凄まじい威力に彼女の身体は浮き上がり、衝撃に耐えきれず遂には手を離してしまう。
 両者の身体は一度離れ、それぞれが次の攻撃への機会チャンスを窺った。
  遥を捕らえようとビアンカが再び手を伸ばした。しかし足で蹴っ飛ばしてこれを防御する。ぴりっと走る痛みに顔を歪める《装鋼麗女》。
 今井遥の猛攻が開始された。
 急接近して蹴りを、腿や膝の裏へ入れれば一旦距離を取り、また近付いては蹴るといった「ヒットアンドアウェイ」戦法で、相手の体力・集中力を徐々に削ぎ落としていく。
 キックが決まるや、ぱちんと乾いた炸裂音がビアンカの脚から発生し、その都度彼女の顔が苦痛に歪む。遥の蹴り自体も、攻撃が成功する度にスピードや切れがアップしていくのが、傍目でも分かったし自身も足応えを感じていた。

 ――いける、いけるわ! 身体が自分の意思通りに動いてるっ!

 右や左に、ローからミドルへと蹴りを打ち分けて《装鋼麗女》の体力を奪う遥。往年の《蹴撃天使》ぶりを思い出させる攻撃に、「彼女の“完全復活”だ!」と会場から大きな歓声が湧きあがる。

「いけっ、遥姉ぇ!」

 この蹴撃ラッシュに絵茉も、縁から身を乗り出して声援を送る。このまま好調をキープできれば“欧州最強の女”から勝ちを奪えるかもしれない、いや絶対勝てる!――そう思った。
 しかし、ダウンを奪うべく渾身の蹴りを放った途端、軌道をしっかり読んでいた《装鋼麗女》にキャッチされてしまう。蹴り足を脇に挟まれ、不安定な状態の遥へビアンカがにやりと笑ってみせると、自慢の剛腕で短距離からのクローズラインを、殴りつけるように彼女の首筋に叩き入れた。喰らった瞬間、ぐらっと意識が一瞬遠退き、遥は無防備の状態で頭から硬い床板へと激突した。
 ビアンカは頭を抱えうずくまる遥を見下ろすや、顔色ひとつ変えず彼女の胸や腹へ、重いストンピングを連続で叩き込む。無抵抗の遥は蹴られる度に、陸に打ち上げられた魚のように大きく身が跳ねた。
 陽から陰へ。見物客の歓声が、一気に悲鳴へと変わる――「相手が強過ぎる」と誰もがそう思った。やはり十年のブランクからの“復帰戦”の相手が、リングに上がる回数が全盛期に比べ減ったとはいえ、未だ現役女子プロレスラーのビアンカ・レヴィンである事が、遥に対して勝手に抱いていた「勝利という幻想」を打ち砕くのに十分すぎたのだ。
 目の前の惨劇に、思考が停止し呆然としていた絵茉だったが、状況を把握するや大声で遥の名を絶叫した。

「遥姉ぇ……おねえちゃんっ!!」

 自分の拳を、荒ぶる感情のまま床をどんどんと強く叩く。周りは何も見えない、彼女の網膜にはダウンする遥の姿しか映っていなかった。
 ビアンカが醜く口を歪め、首をかっ切るポーズをみせた。早くも試合終了フィニッシュを周囲の観衆にアピールすると、グロッキー状態の遥の身体を引っこ抜くように、自分の頭の高さまで軽々と持ち上げる。この場にいた熱心な女子プロレスファンには、《装鋼麗女》が必殺技のラストライド(高角度パワーボム)を敢行する事は十も承知だった。もしこの荒業を喰らえば、今度こそ遥は一溜りもないだろう、とも。
 自分が舞台の上へ飛び出して、彼女を助け出してあげたいという感情をぐっと我慢して、尊敬する最愛の“姉”の姿を見つめる絵茉。
 あああああああああっ!
 見物客たちが悲鳴をあげた。
 遥の身体をグリップした腕が、勢いよく振り下ろされいよいよ“死への滑降”が始まった。絵茉は“最悪の結末”が目に浮かび思わず目を閉じてしまう。

「……させるかよっ!」

 誰もが“負け”を覚悟していたその時、遥が肚の底から叫んだ。そして脚をビアンカの首に引っ掛けると、落下する力を利用して股下へ向かって反り返る。惰性のついた《装鋼麗女》の身体は大きく、前方へ回転した。逆転技のウラカン・ホイップだ。驚きの喜びの入り混じった大きな歓声が、“諦めムード”で冷え切っていた会場に再び沸き起こる。
 ふらふらと立ち上がるビアンカに遥は、胸にパンチの連打を叩き入れ、上下へ鋭く重い蹴りを撃ち込んでいく。打撃の猛ラッシュでビアンカの身体は少しづつ後ろへ退いていった。突如遥が跳ね、全身をぐるりと傾けた瞬間、大きく勢いのついた脚が鉈で刈るように《装鋼麗女》の肩口へ突き刺さった。必殺の胴回し蹴りが決まり、彼女の巨躯はもんどり打って倒れる。
 打撃がヒットした箇所に力が入らず、苦悶の表情を浮かべるビアンカ。
 これが最後のチャンスかもしれない――そう直感した遥は目の下にいる“雌熊”の頭部を狙って蹴りを放った。が、同じく勝利への執着心の強いビアンカは蹴り足をキャッチし、非可動域に捻じ曲げながら持ち上げた。パワー系サブミッションであるアンクルホールド(足首固め)が極まった。
 こいつを忘れていたなんて――遥は自分の爪の甘さを、足首の痛みと共に実感したが、悔やんでいる場合ではない。ここまで来たら“勝利”へ向かって前へ突き進むしかないのだ。
 片足を掴まれている不安定な状態で、バランスを取りながら立ち上がると飛び上がり、空いている片方の脚でビアンカの頭部を蹴った。彼女の踵がこめかみにヒットし、その瞬間視界がぐらりと揺れ、足首を掴んでいた手を離してしまう。
 ダメージが重く、よろよろと左右に傾く《装鋼麗女》。
 遥は気合一閃飛び上がり回転すると、大きく脚を開き、己のふくらはぎを相手の喉元へ、巻き付けるように打ち込んだ。現役時代には毎試合のように使用し、ニックネームであった《蹴撃天使》のイメージを、ファンに決定付けた彼女の“代名詞”的な技、フライング・ニールキックがずばりと決まった!
 ビアンカの巨躯は大きく後方へ飛ばされ、大音量の衝撃音を響かせて床板へと仰向けに倒れる。
 寝転がる《装鋼麗女》に追い打ちを掛けるべく、遥は彼女の上に跨ると顔に肘打ちを連続で叩き入れる。打撃によってビアンカの額が切れ出血すると、見物客のボルテージは更に上がり、社の外まで聞こえんばかりのボリュームで騒ぎ叫んだ。

「いけぇ遥っ!」
「どんどん攻めろ!!」

 だがビアンカも押されっぱなしで終わらせる気はない。攻撃する相手の腕をキャッチし、勢いに任せて身体を反転させると今度は彼女が逆襲に転じた。固めた拳を鉄槌のように振り下ろし、遥の顔をめちゃめちゃに殴る。優勢と劣勢が交互に入れ替わるスリリングな攻防に、見物客たちも勝敗の行方を気にする事を忘れ、ただリズミカルに相手を殴打する様に酔いしれた。
 息をするのも惜しい程に、ふたりの打撃戦をじっと見守る絵茉。
 グラウンドでの攻防でも決着が付かず、痺れを切らした両者は立ち上がりスタンドでの勝負へ切り替え再び打ち合いを開始する。
 遥の肘や足が、ビアンカに突き刺さる度に被弾部分へ痛みが走る。
 《装鋼麗女》の重量感のある拳撃が、遥の身体にダメージを堆積していく――攻撃と受難を交互に繰り返し、お互いの体力は残り少なくなっていた。
 膝に手を置き、はぁはぁと肩で息をする両者。
 先に動いたのは遥だった。
 “勝利”への執念を込めた肘打ちを全力で放つ元祖《蹴撃天使》。これが己の最高速度ではないものの、ヒットすれば確実に仕留められる自信はある――しかし渾身の一撃は、彼女の想いとは裏腹に空を切ってしまった。
 身体に堆積された疲労が、前へ一歩踏み出した膝を折り遥のバランスを崩してしまったのだ。
 ああ、やっぱ駄目だったか――ゆっくりと下りていく視線は、歯を食いしばり自分へ向かっていく好敵手ライバルの姿を捉えていた。
 黒い影が唸りをあげて接近する。それはビアンカの腕に巻かれているサポーターの色だった。額から鮮血をたれ流し凄い形相で駆けてくる《装鋼麗女》最後の武器である、クローズライン系の打撃技《ヴァルキリー・ハンマー》を、下からすくい上げるように遥の顎の下に叩き付けた。
 顎から脳天へ衝撃が突き抜け、四股から力が失われた遥は勢いに流されて後方へ回転する。一旦惰性の付いた彼女の身体は、最早自分の意思で止める事もできず、みるみるうちに神楽殿の縁へと転がっていった。
 絵茉が口を押さえ絶句する。
 騒がしかった見物客たちの声援はフェードアウトし、この場所だけが時が止まったかのような錯覚を覚えた。
 どすっ
 物体が地面に落下した音がした――それは遥の身体だった。この瞬間、《装鋼麗女》ビアンカ・レヴィンの勝利が決まった。
 落胆の溜息が、大勢の観衆の口から一斉に吐き出される。が、瞬時に暗いムードを一掃するように、勝者ビアンカを讃える拍手が自然発生的に、ずっとふたりの“死闘”を目の当たりにしていた人々から沸き上がった。
 ゆっくりと地面から身を起こして、顎を手で押さえ無事を確認する遥へ、舞台の上からビアンカが手を差し出した。

「――やっぱりあなたは“最強の女闘士”だったよ、ハルカ」

 彼女が差し出した手を遥は、躊躇なく握り舞台の上へと引き上げてもらう。

「いや強いのはビアンカ、あんただよ。結果はあんな負け方だったけど、どうあがいても「勝てる」見込みはなかったわ。今日の所はわたしの完敗ね」
「今日の所は……? まだわたしに勝つ気でいるつもりなの?」
「あれっ、そう言わなかったっけ?」

 取組中の険しい表情とは違い、ようやく“戦闘モード”から解放され笑顔になったふたりは、どちらからともなく抱き合い互いの健闘を讃えあった。
 遥は、舞台の下で目を潤ませて拍手をしている絵茉に、「上がってこい」と目で合図すると嬉しそうな顔で靴を放り脱ぎ、ふたりのいる場所へ駆けあがる。間近で無事に闘い終えた遥の姿をみて安心したのか、それまで必死で堪えていた涙が彼女の目から溢れ出た。

「泣くんじゃないわよ、絵茉。本当に小さい頃から変わんないんだから……」

 指で涙を拭ってあげる遥。彼女も強がってはいるものの、擦れ気味な涙声だけは隠せない。

「いいもん。今までも――ずっとこれからも遥姉ぇの“妹”でいるんだからっ」

 遥は「馬鹿っ」と軽く絵茉の肩を拳で小突くと、彼女の身体を掴み自分の胸元へ寄せて抱きしめた。
 この感動的なふたりの抱擁が引き金となり、試合を終えテント内で休憩していた、RINAをはじめとする《角力ノ儀》の参加者たちがぞろぞろと現れ舞台へと上がり、全員が対戦相手ならびに他の選手の健闘を讃えあい労う。
 RINAが参加者たちと、にこやかに握手や抱擁を交わしている最中、焼けるような熱い視線を感じて急に振り返る。
 視線を向けていたのは遥だった。
 しかし、今まで接してきた彼女とは明らかに違う、まるで鋭利な刃物のような気配を強く感じる。遥の意図はわからないが――只事ではない事だけは“格闘女子高生”も察していた。
 胸の中では早まる鼓動と共に、“危険”を知らせるサイレンがけたましく鳴り響いていた。

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蹴撃天使RINA 〜おんなだらけの格闘祭 血斗!温泉の宿?!〜  【第九回】

2017年04月30日 | ARTWORK & NOVEL

 ジェシカは、軽くファイティングポーズを取ると、上体を左右に揺らしながら、RINAを自分のペースに誘わんとするが、そんな単調な惑わしに引っ掛かる程、彼女も単純ではなかった。 ジェシカのこの行動に、頬もつい自然と弛んでしまう。
 そんなRINAの表情をみて、“自分は馬鹿にされている”と受け取った北欧の女闘士は 、「掛かってこい」とぽんぽんと軽く、自分の頬にパンチを当てて挑発すると、空気を斬り裂くような素速いジャブを二~三発放った。直撃すればノックアウト間違いなしのジェシカの攻撃に、ポニーテール女子高生は少しも慌てる事もなく、拳の軌道を見極め、顔にヒットする一歩手前で回避する。

 この一連の動作をみて、ジェシカは考えを改めざる得なくなった。

 ――彼女は素人ではない!

 となると、自分自身が「怖い」という感情を抱く前に、一秒でも速く相手を床板に這いつくばらせねばならない ―― そう直感した女闘士は、今度は低い体勢で素早く《蹴撃天使》の背後を取ると、腹の辺りで腕をグリップさせ、柔軟で強い己の背筋力を用い、RINAをスープレックスで後方へと投げ、彼女の身体を硬い床板に叩き付けようとした。
 大きく弧を描く軽量なRINAの身体。だが、彼女は床に打ち付けられるどころか、激突する前に自らが後方回転して脱出し、頭部へのダメージを防ぐ事に成功した。普段リング上で行っている総合格闘技の試合からは、思いもよらないほど《自由》な発想の《蹴撃天使》のディフェンスに対し、ジェシカの焦りは増すばかりだ。

 ――どうする? 何をすればいい?

 ジェシカは自分自身に問いかける。僅かな時間ながらも対策を考慮した結果は、あまりにも単純かつ、格闘における基本的な答えにたどり着いた。
 とにかく前に出て相手を思い切りブン殴る――これしかない。
 先程とは風を斬る音が全く違う、スピードと体重が乗った剛腕を、連続で目前の女子高生に撃ち込んでいく碧い瞳の戦士。ジャブやフックなど様々な拳種を用いRINAの意識を刈ろうとするものの、こちらの意図とは関係なく全て寸前で避けられてしまい、自分の拳に何の感触もない事が腹立たしく思えてくる。
 そんな苛立ちの真っ只中にあるジェシカの目前に、黒い影が飛び込んできた――RINAのオープンフィンガー・グローブだ。
 しまった! と我に返る《碧眼魔女》。
 被弾を食い止めるため、急いで腕のガードを上げる。
 RINAのフックが予想通り頬骨へ飛んできたので、自らの上腕部分で可愛らしい彼女の、“見た目”よりも重い攻撃をブロックした。そのパンチの力強さに、ガードした腕に当たった瞬間びりびりと電留が走るかの如く痺れた。
 間髪入れずに今度は、腕の痺れも吹き飛ぶほどの痛みが、ジェシカの腹部を襲う。

 ――うっ!

 RINAの放った後ろ蹴りがヒットしたのだった。
 背を向け回転した事すら分からないほどのスピードに、目が付いていけなかった彼女は思わず、被弾した箇所を押さえ片膝をついた。最初のフックは蹴りへの「餌撒き」だったのだ。彼女は痛みと共に、相手の蹴りが見切れなかった事に戦慄し、顔をさぁっと青くする。
 おおっ!
 見物客からは、大きなどよめきが巻き起こった。
 誰ひとりも「今どきの女子高生」である彼女に対し、これっぽっちも期待をしていなかったからだ。それだけに見た目とファイトっぷりとのギャップに驚き、欧米人格闘士との体格差をものともせず押しまくる姿に声をあげた。

「いいぞ、ねェちゃんっ!」

 地元民であろう、中年男性が彼女に向かって下品な声援をおくると、それに呼応するように歓声や笑い声が会場中に飛び交う。見物客たちの視線は、完全にRINAが奪った格好となった。

 顔を青くしたのは対戦相手のジェシカだけでなかった。
 本部席で、伯父である初居大人の監視下の元、この《角力ノ儀》を観戦しているケンジは、卑怯な手を使ったとはいえ、弱々しく自分に怯えていた昨晩のあの女子高生が、著名な女子格闘家を相手に対等……いや、それどころか戦闘レベルの違いをみせ圧倒する姿をみて、背筋の凍る思いがした。

「何、顔を青くしておるんじゃ?」

 背後から伯父に声を掛けられ、びくっ!と身を震わせるケンジ。

「いやっ、俺全然ビビッてねーし」

 虚勢を張った態度とは対象的に、声が少し震えている。

「ははぁん。ひょっとしてお前、RINAの凄さに驚いておるんじゃろ?」

 ケンジの、分かりやすい動揺の仕方に、初居御大のニヤニヤ顔が止まらない。

「あの娘はな、あの年齢で、気性も荒く、腕に覚えのある強者どもが大勢集まる、武林の《果し合い》では未だ敗けておらん。修練もサボりがちで、悪い連中とフラフラ遊び回っていたお前さんとは、“度胸”と“覚悟”が違うわい」

 “偉大な”叔父にチクリと釘を刺され、先程の態度とは一転して小さくなるケンジ。舞台上で闘う《蹴撃天使》を目の前に、彼は自分勝手に抱いている怒りや嫉妬心、そしてあの叔父も認める《強さ》に対し、羨望の眼差しで眺めるしかなかった。

 ――ちくしょう……でも、凄ぇよなアイツ。認めたくはねぇが結局、同じ舞台(ステージ)に上がれる《器》じゃなかったって事か、俺は。

 ケンジの視線の先――神楽殿では女格闘士ふたりによる、男性に負けないほどの、火花散る激しい闘いが続けられていた。

 拳や脚が風を斬って迫り来る。その音が耳をかすめる度に身体がびくりと反応した。眼前の美少女が放つ、動作ひとつひとつが“自信”に満ち溢れていた。
 RINAの、変幻自在な攻撃を何とかかい潜り、何度目かのトライでようやく腕を取る事のできたジェシカは、ブリッジを利かせた素早い巻き投げで、彼女を固い床板へ叩き付ける事に成功した。
 身体が綺麗に宙を舞い、背中を強く打ち付けたRINAは顔をしかめる。だが内心は悔しさだけではなく、本気の「プロ格闘家」の実力を身をもって体感でき、むしろ満足気だった。
 ジェシカはグラウンドでの打撃を狙い、RINAの身体に跨がろうとするが、それを瞬時に察した彼女は横転して回避しようとする。だが、マウントが取れないとみた《碧眼魔女》は膝をついたまま、低い体勢からのニーリフトを数発、四点ポジションの状態にあるRINAへ横っ腹めがけて撃ち込む。
 ずしっ。
 膝頭が脇腹をえぐるように突き刺さり、その鋭い痛みでRINAの呼吸が一瞬止まる。患部を押さえうずくまる事も出来ず、ぐっと奥歯を噛み締め、ジェシカの顔から決して目を離さずに、彼女の次の行動に備えた。
 勢い付いた碧眼の女闘士は、スリーパーホールドを仕掛けようとRINAの細い胴に、トレーニングによってぎりぎりまで絞り込まれた、ふたつの太腿をフックし首へ腕を回さんとした。前腕が頸動脈に入り力一杯締め上げれば、彼女はタップして「降参」の意思表示をするか、もしくは脳に酸素が行き渡らなくなり、気絶してしまい「戦闘不能」で試合終了となる――はずだ。
 だが勝ちを急いだが為に、仕掛けが少し甘かった。
 大腿による胴へのフックが不完全だった故、RINAが勢いよく腰を浮かすと、ジェシカの体勢は崩れ彼女の身体からずり落ちてしまったのだ。《勝利》に繋がる頼みの綱だった、スリーパーホールドも腕が外れてしまい、せっかく自分に勝機が廻ってきたというのに、痛恨のミスで振り出しに戻ってしまう。
 うつ伏せになって目をつむり、“ガッデム!”と何度も呟くジェシカ。試合開始時にはあれほど自信に満ち溢れていた《碧眼魔女》だったが、ことごとく勝利へのチャンスを潰されて意気消沈しかけていた。
 耳元で空気を裂く音がした。無慈悲にもRINAは、顔面へめがけて蹴りを放ったのだ。気持ちと肉体とが上手くリンクしていない、現在のジェシカには酷な状況である。

 ――回避しなければ!

 頭ではわかっている。だが「危険信号」を己の身体の隅々にまで伝える事ができず、「その場から逃げる」か「ディフェンスする」かで混乱してしまい、相手の攻撃を回避させる動作がワンテンポ遅れたのだった。その結果、膝をついて屈んでいた彼女の顎にRINAの蹴りがきれいにヒットしてしまい、身体は衝撃で流れて冷たい床板に自分の頭を強く打ちつけた。ジェシカの緑がかった長い黒髪が、経年により磨耗した床に、まるでスポイトで水を垂らしたように広がった。
 患部からじんじんと伝わる痛さよりも、自分が何もできない悔しさや恥ずかしさで、なかなか床から身を剥がす事が出来ずにいる彼女に対し、RINAは自分の左手首を指差して、試合前に「三分で片付ける」と吠えていたジェシカを、馬鹿にするようなゼスチャーをみせたのだ。見物客からはRINAを支持する歓声と笑い声が巻き起こった。一流とはいかないまでも、それなりに知名度のあるジェシカには、この状況はかなりショックだったに違いない。
 そのとき、消えかかっていた彼女の、闘志に再び火を着けるような出来事が起こった。

「がんばれー、ジェシカせんせい!」
 ――!?

 彼女は、可愛らしい声援が聞こえた方向を目で追う。中高齢者が多い祭の見物客のなかに、その「声の主」である、小学校就学前であろう女の子のグループを発見した。それは彼女が普段、町の英語塾で講師をしているときに、自分の事を慕ってくれている生徒たちだったのだ。寒風で頬は林檎のように紅く染め、「大好き」な先生の、初めて見るであろう闘う姿に声を枯らし、目を真っ赤にして応援する姿にジェシカは感激した。それまで彼女を形作っていた、自信満々で高圧的な《女闘士》の鎧は外れ、優しく子供好きな本来の性格が現れた瞬間であった。
 声も出さず、子供たちの方を向いたまま固まっているジェシカに、RINAが穏やかなトーンで話しかける。

「……もう準備はいいですか?」

 《蹴撃天使》の言葉に反応し、ゆっくりと顔をあげたジェシカは、先程まで全身から発していた、何者も拒絶するかのような威圧感はすっかり消え失せて、余分な力が抜けきった本来の《自分》を取り戻していた。それはRINAにも伝わったようで安堵と期待の微笑みをジェシカにみせる。

「ええ。あの子たちの一生懸命応援する姿を見てるとね――“何気取っていたんだろう、わたし”って思えちゃって。どんな攻撃を繰り出しても余裕でかわす貴女に対し、どんどんムキになってしまい自分を見失いかけた時、あの子たちの精一杯の声援を聞いて素直になれたの。だから――もう絶対迷わないわ」

 そう言うと穏和な笑顔をみせるジェシカ。初めて見た“嘲笑”ではない自然な笑みにRINAは、何だか訳もなく嬉しくなった。

「約束の“三分”はとうに過ぎたけど、ここからが本当の――わたしとジェシカさんとの闘いです。OK?」

 RINAが拳をぐっと突き出した。彼女の“戦闘再開”の合図にジェシカも同じ動作で応える。

「ええ、ワクワクするわね。闘う事が“楽しい”と感じるなんていつ以来かしら」

 ふたりの拳がこつりと重ね合った瞬間、互いは素早く別離しファイティングポーズを構えた。
 彼女たちがするのは奉納角力の続き。しかし小休止の後――特にジェシカの場合――では気持ちの入り具合も違っていた。ギスギスとした殺気に近いものではなく、緊張感を保ちつつもっと、“闘い”をエンジョイしようと気分一新したのだった。
 内腿に狙いを定めてローキックを放つ《碧眼魔女》。
 彼女の呼吸に合わせ防御の体勢を取るRINA。
 攻撃するジェシカの脛と、ガードで出されたRINAの脛とが激しくぶつかり合った。
 再度チャレンジすべく続けて蹴りを放つジェシカ。彼女の重い蹴りが、最強女子高生の脛へ幾度と打ち込まれた。防御で何度も脛にキックを受け続け、次第にRINAの足の感覚が鈍くなっていく。
 休む暇もなく、唸りをあげてジェシカの蹴撃が迫ってきた。
 反射的に足を上げたRINAだったが、何故か脛に衝撃は走らなかった――その意味を理解するのに時間はかからなかった。
 先ほどのローキックは実はフェイントで、ジェシカは素早く彼女の背後を取ると、間髪入れずにスープレックスを敢行した。一度はRINAの、超人的な反射神経により阻止されたが今度は注意深く、投げるスピードやタイミング、落とす角度等を変化させてRINAへ再び仕掛けたのだった。
 胴へのグリップから投げるまでの間があまりにも速く、投げ技への対応が遅れてしまい結果、彼女は鈍い衝撃音を廻りに響かせて硬い床板へと落下した。
 幸いぎりぎりで受身を取り、大事には至ってないものの頭部への衝撃は避けられず、頭を押さえて転げまわるRINA。
 どん――
《蹴撃天使》は胸部への圧迫感を感じた――ジェシカがマウントポジションを取ったのだ。頭痛に顔をしかめて見る彼女の姿は、自信に満ち“強者”の威厳を感じさせた。
 殴る、殴る、殴る!
 《碧眼魔女》はひたすらRINAの顔面へパンチを入れ続けた。綺麗だった顔が切り傷と腫れで次第に変色していく。
 この凄惨な状況を前に、舞台上唯一の“男性”である行司は「試合続行か否か」の判断を迫られていた。年端も行かぬ女の子が危機的状況にさらされているのを目の当たりにし、取組を止めようとするのは《男》として当然の心理ではあるし、かといって未だ闘志に燃えるRINAの眼(まなこ)を見ると、一刻の情にほだされ中断させてしまうのは《行司》として正しいのか悩んでしまう。だが唯一判っているのはこのままでは彼女が危険だ、という事だけだ。

「どうしたのよ? 早くストップさせなさい!」

 ジェシカが、躊躇する行司に怒鳴る。
 その戸惑いは攻撃している側である彼女も同じだった。《勝利》に最も近い状況にある“優越感”からかくる想いなのか、早急に試合を止めてくれないと「いくところまで行っ」てしまうので、第三者判断で《レフェリーストップ》という采配を期待しているのだ。事実、日頃のトレーニングで培われた筋肉量から生まれる、彼女のパワー溢れるパンチは説得力十分である。
 だがそんな憂慮も一瞬にして吹き飛んだ。
 上から降ってくる拳の嵐を受けながらも、RINAは太腿でがっちり固定されている上半身を、左右によじったり反らせたりせながら、この不利な体勢から逃れるべく“抵抗”を試みているのだ。
 呼吸すらままならないシチュエーションの中で、大きく深呼吸して肚に力を溜めこむRINA。只でさえ赤い顔色を更に真っ赤に染め、全ての力をを腹筋と背筋に割り振り一気に爆発させた。

「~~~~~!!」

 下から湧き上がる、尋常でない力の波に圧倒されたジェシカの体勢はぐらり崩れ、彼女とRINAとの間に隙間が生じた。まるで針の孔のような、このミニマムすぎる機会を逃してはならないと《蹴撃天使》は必死で身をよじり、とうとう危機的状況下から脱出する事に成功する。
 まさか――! と目の前で起こった“現実”に、意識が追い付かず放心状態のジェシカ。が、徐々に事実を脳が受け入れていくにつれ自然と笑みがこぼれた。それは自分を蔑ますような卑下した笑いではなく、相手の凄さに対し“リスペクト”の意味を持つ笑いだった。

 はぁ……はぁはぁ……

 リズムの狂った呼吸をし、こびりついた鼻血と殴打されて出来た腫れで、ぐちゃぐちゃな顔をしたRINAが立ち上がる。彼女も同様で笑顔でこれに応える。
 ジェシカが意を決し、拳を固め渾身の一撃を放つ。被弾すれば即KO間違いなし!の勢いで打ち込んだ彼女のストレートだったが、思惑とは裏腹に拳はRINAの顔面には到達しなかった。碧眼の女闘士の攻撃よりも更に速く、腸(はらわた)をえぐるような重いボディブローを一発叩き込んだのだ。耐え難い痛みで、意思とは裏腹に後退りをしてしまうジェシカ。
 一発、更に一発とRINAの攻撃の数が増えていくと同時に、次第に彼女の圧力に押され、ジェシカの手数が少なくなっていった。一進一退の攻防に、見物客の声援はますます熱を帯びていく。性別や年齢層を問わず皆、神楽殿で激しく打ち合うふたりに釘付けになっているのだ。
 ジェシカがニーリフトを狙いRINAの首に手をかけた。自分の元へ彼女の身体を手繰り寄せ、膝頭を下顎へ打ち込めばこの状況を打破できる――そう思っていた。しかし現実は非情だった。RINAは落ち着いて両手でブロックすると、反対にジェシカの顎へアッパーカットを叩き込んだのだ。衝撃で脳が揺れ視界が乱れる。“生命線”であった首のグリップも外れ、スローモーションのように彼女の身体は床板へと膝から崩れ落ちていった。
 それと同時にはらりと、RINA自慢のポニーテールがほどけ髪の毛が肩に垂れ下がった。ジェシカが倒れる際、無意識に彼女の髪を掴んでしまい、ポニーテールを纏めていたヘアゴムが切れてしまったのだ。肩まで掛かる長髪姿となったRINAはそれまでの「少女」のイメージとは違い、何処か艶めかしく少し大人びた印象を与える。
 上下に大きく肩で息をするRINAは、中腰で待機し事の成り行きをじっと見守った。騒がしい筈の声援も気にならず、耳にはダウン状態の、ジェシカの荒い息遣いだけが聞こえていた。

「……まだ続けますか? 正直ご遠慮したいんですけど」
「全くだわ。この試合……貴女の勝ちよ」

 ジェシカ自らが遂に“敗北宣言”を口にした。
 どどんっ!
 和太鼓の皮が破れんばかりに強く打ち鳴らされた――広く周りの見物客たちに、《蹴撃天使》RINAの勝利が知らされたのだ。激しい闘いの末“勝者”となった、女子高生ファイター・武田リナを祝福せんと、多くの人々から拍手と声援が贈られた。
 RINAが倒れているジェシカに手を差し出す。

「立てますか……?」

 彼女の言葉にこくりと頷くと《碧眼魔女》は彼女の手を借りて立ち上がった。自ら“敗北”を選択し、この死闘の幕を引いた彼女の顔は実に晴れ晴れとしている。

「悔しくない――と言えば嘘になるけど、これ以上闘い続けるのは私の実力では無理だった。リナ、あなたという素晴らしいファイターと闘えた事を誇りに思うわ」

 そう言うとジェシカはRINAにぎゅっと強く、労いと尊敬の意味合いを持つ熱いハグをした。彼女から伝わる体温や匂いを感じながら、RINAはこれで全て終わったのだ、と実感するのであった。
 泣き声と共に、ジェシカの可愛い生徒たちが神楽殿の縁に押しかけてきた。大好きな「先生」が敗けてしまったのでどの子の顔も涙で濡れている。

「ありがとう……もう、みんな泣かないの。最高の笑顔をね、先生に見せてちょうだい!」

 舞台上から、ひとりひとりの目元に浮かぶ涙を拭き取り、優しく抱きしめている心温まる光景を、傍でしばらく見ていたRINAだったが、邪魔をしてはいけないと思い彼女の後姿に向かい一礼し、早々と舞台を降りて選手控室のテントへ向かった。
 その途中で、腕を組みじっと自分の出番を待つ遥と目が合う。

「遥さん……」

 彼女は何も言わなかったが、笑顔でRINAの健闘を祝い労ってくれた――RINAにはそれで十分だった。

 遠くで祭囃子が聞こえてくる中、刻々と《角力ノ儀》最後の取組である今井遥対ビアンカ・レヴィンの開始が迫っていた。

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