ケイ菅原 気まぐれ ぶろぐ

日々の出来ごとや 思い出を気まぐれに…
明日の子どもたちのために@小学校受験 ワンポイント アドバイス

幸せだった 雑司ヶ谷時代

2016年09月17日 | 日記
先日、妹の睦子をご紹介させて頂きました😀
知人の方々から懐かしい〜のメールを たくさん頂き ありがとうございました。

長男の権力で理不尽な行為を行っていましたが 3人とも仲が良かった…
日曜日の朝は よく父と兄弟三人で雑司ヶ谷墓地をサイクリングしましたね✨
私は まだ寝ぼけていますね。
弟は補助輪が取れないので 遅れて よく泣いていました…^_^


あの頃は子供が多く 黄色い声で 雑司ヶ谷の町も賑やかでした。
私が 遊びに行く所に よく妹と弟がついて来たものです😱今日はダメ!
そんな時もありましたが…同級生の女の子や仲間たちが面倒を見てくれたり
遊んでくれました。妹には 今だに あのお姉ちゃんは元気?…なんて聞かれます。
雑司ヶ谷の町は 隣近所が家族のようなもので 妹と弟は よく近所の おばさんたち に「可愛いわね〜…」なんて声をかけられて チリ紙に包んである
お菓子を貰って 鼻の穴を膨らませていましたよ。嬉しいと ひろがる のです。
母はよく夕飯時に近所へ お醤油や お米などを借りに行ってましたね👏
隣から、悪いわね〜 いいのよ〜 …
私は 近所のおばさんに よく注意され、そんな事しちゃダメよ!お母さんは
知っているの? 本当に大丈夫? 否定的な言葉だけが 思い出です…^_^
お菓子を貰った記憶はないなー😰
私たち家族は この雑司ヶ谷に育てられ、見守られながら成長してきたのだと
思います。

この時代のCMで、ケンとメリーです…^_^

スカイライン(1972年) CM ケンとメリー~愛と風のように~ -


6畳と4畳半 二間の小さな家、六畳は母と妹、弟の寝室 兼 居間で4畳半は父と私
の2段ベッドに洋服ダンス、勉強机…閉所恐怖症の人は無理でしょうね😭
子どもの頃は不思議と狭いな…と感じることは ありませんでした。
この狭い空間で 家族五人 仲良く生活していました😀 狭い分 関わる時間が多く
会話もしていました。たくさんケンカもしましたが、笑っている時間の方が全然
多かったと思います。

思い出深い雑司ヶ谷の生活も 私が中学3年生の時に終わりを迎え、東久留米へと
引っ越しをしました。今度の家は8部屋あり トイレは2つ、それに広い お庭まで…
皆んなで手を叩いて喜んだことを覚えています…


両親と一緒に撮った 懐かしい1枚です😭

しかし、8年後には 家族がバラバラに 暮らすことになります…😭
両親が他界してから27年、父と母には 本当に感謝しています。
でも、はく息が白い部屋より 肌ふれ合う あたたかい部屋の中の方が いいですよね。

あの雑司ヶ谷時代が あったからこそ、今でも3人 仲良くいられるのでしょうね!
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