![]() | ちいさな死神くん (講談社の翻訳絵本) |
| キティ・クローザー | |
| 講談社 |
普通に生活していると、『死』のついて考えることは少ない。テレビからは、相変わらず時間をもてあそぶだけの放送が垂れ流されている。テレビ関係者が、夜7時台の番組の視聴率が、すべての曲で1ケタになった日にそれを嘆いていたのは、当然の事なのもわかっていないようだ。テレビからは、盛んに節電を視聴者に呼び掛けるが、なんと矛盾したことか。夕方のニュースも、いつからか、デパ地下や格安旅行などをメインに紹介するバラエティ番組化していった。ニュースがそうなのだから、他の番組がどんなものかは言うまでもないことだろう。今や、まじめに考えたり行動することが、馬鹿にされる。節電をまじめにしたいなら、まず、テレビの放送時間を短くすること。隗より始めよ。いつか、教育テレビ(今はEテレ)が放送停止の実験を行った。今度は、すべての局で実行すればよい。
話が大幅に横道にそれてしまった。子供たちを中心に、テレビの代わりに読書をする絶好の機会が今で、節電にも有効である。心も豊かになれるかもしれない。
そこで、紹介したいのが、読者に『死』を少しでも考えてほしい本書である。
西洋では、絵画によく死神が描かれてている。鎌をもった恐ろしい姿をしている。円朝の落語「死神」もそうしたイメージが影響しているのだろうか。
この絵本に登場する死神は、なんと子供という設定である。彼が人間を死の王国へ導いていくのは、神の決めたことなのだろう。
どんな人間も、死からは逃れられない。しかし、この死神くんがベッドまで死にゆく人間を迎えに行くときは、その人間はいつも悲しみと死への恐怖などの気持ちに強く支配され、死神くんの思いやりのある行動も目に入らなかった。したがって死神くんは、いつだって、自分の任務に忠実で人間に親切であっても、充足感が得られなかった。
一人の少女に会うまでは。彼女の死の床に行った時、彼女は悲しむことなく、ひどくうれしそうだった。彼女は、重い病気で、生きている間はずっと苦しみの中にいたのだ。死は、彼女から痛みも悲しみも取り除いていたのだ。死神くんと死の王国へ同行する時も、楽しんでいた。死の王国では、少女は死神くんに遊びを教えてくれた。死神くんにとっては、初めて感じる喜びの感覚であった。しかし、少女はいつまでも死の王国にいることはできなかった。次の世界に行かなくてはならなかったのだ。彼女の去った王国のなんとさびしかったことか。
でも、この絵本には救いがあった。少女は、天使となって帰ってきたのだ。天国に行ってからのお願いがかなったということ。いつも、死神くんと一緒にいたいという望み。
死神くんが、死者のもとに行くときは、もう、その人間は嘆くこともなかった。お迎えには、死神くんの隣にいつも少女の天使がいたから、死にゆく人も、天使の笑顔を見ることができたから。















