計画的でない「計画停電」の影響が、まともに日々の透析生活に影響を与えている。透析クリニックの予定はすっかり狂って、日日の変更だけではなく、4時間透析が既に3時間の短時間透析に変更された回数も3回にのぼった。今後、夏の計画停電、冬の計画停電、そして来年の夏の計画停電のことを考えると、大きな不安に襲われる。短時間透析は、余命時間を短縮することは明白だから、僕たちは、今後命を削ることになる可能性が高くなっているようだ。社会の寄っていかされている僕たちは、少しずつ命を削って、社会に恩を返すことになるのであろうか。仕方ないことなのだろうか。銀河鉄道の夜の蠍の火から石炭袋への過程の中での、ジョバンニのような気持ちにはなかなかなれないよ、賢治さん。
3月31日の透析は、計画停電の中止で、4度目の短時間透析は免れた。中2日だったので、本当に安堵した。でも、先の事は不透明である。
帰りは、いつものように徒歩で帰った。駅前の枝垂れ桜のうちの日当たりの良い場所の1本が、他の3本に先駆けて、蕾がふくらんでいた。植物たちは、何事もなかったかのように成長を続けている。春を生きている。

帰り道、毎年、ブログに紹介している早咲きの小さな桜の写メールをとる。ソメイヨシノではない、この品種名のわからない桜の木は、毎年、早々と春の到来を告げている。今年もまた。この木の成長に比べれば、僕のほうがはるかに年を取るのが早いのである。花の散る時間は短くても、木自体は、僕がこの世を去っても、成長を続けるであろう。国道沿いの、クルマの往来が激しい空気の悪い小さな一角でも、その生を続けていく。今年も、ブログに写真を載せることができた。


漠然たる不安の中で、胃の調子がすこぶる悪い。朝方はなんともないのであるが、夕飯の前は、胃のむかつきが激しくなり、食欲が無くなる。胃カメラの予約も、計画停電の影響で先延ばしになっていて、何時になるかわからない。胃薬も増やしてもらったが、一向によくならない。精神的なものか。果物ならいくらでも食べられそうであるが、果物を健康な人並みに食べることはできない。透析患者が、果物や生野菜を食べすぎると、血中のカリウム値が急激に上がり、心停止してしまうからだ。食欲不振のときにも、食べやすいものは、水分過剰になるものが多いので、それもアウトである。なんとか、無理をしても、食事を取らねばならない。ここで、倒れるわけにはいかないのである。まだ、生きてやりたいことがたくさんあるのだから。
このシーズン最後のみかんの中に、ハートの形をしているものを見つけた。ささやかな慰めか。しばらくは、ウンシュウミカンは食べられない。そう、本当は、みかんだったら、小さいのが1個が限度なのだろうが、今回は、このハートを1個食べてしまった。甘かった。


3月31日の透析は、計画停電の中止で、4度目の短時間透析は免れた。中2日だったので、本当に安堵した。でも、先の事は不透明である。
帰りは、いつものように徒歩で帰った。駅前の枝垂れ桜のうちの日当たりの良い場所の1本が、他の3本に先駆けて、蕾がふくらんでいた。植物たちは、何事もなかったかのように成長を続けている。春を生きている。

帰り道、毎年、ブログに紹介している早咲きの小さな桜の写メールをとる。ソメイヨシノではない、この品種名のわからない桜の木は、毎年、早々と春の到来を告げている。今年もまた。この木の成長に比べれば、僕のほうがはるかに年を取るのが早いのである。花の散る時間は短くても、木自体は、僕がこの世を去っても、成長を続けるであろう。国道沿いの、クルマの往来が激しい空気の悪い小さな一角でも、その生を続けていく。今年も、ブログに写真を載せることができた。


漠然たる不安の中で、胃の調子がすこぶる悪い。朝方はなんともないのであるが、夕飯の前は、胃のむかつきが激しくなり、食欲が無くなる。胃カメラの予約も、計画停電の影響で先延ばしになっていて、何時になるかわからない。胃薬も増やしてもらったが、一向によくならない。精神的なものか。果物ならいくらでも食べられそうであるが、果物を健康な人並みに食べることはできない。透析患者が、果物や生野菜を食べすぎると、血中のカリウム値が急激に上がり、心停止してしまうからだ。食欲不振のときにも、食べやすいものは、水分過剰になるものが多いので、それもアウトである。なんとか、無理をしても、食事を取らねばならない。ここで、倒れるわけにはいかないのである。まだ、生きてやりたいことがたくさんあるのだから。
このシーズン最後のみかんの中に、ハートの形をしているものを見つけた。ささやかな慰めか。しばらくは、ウンシュウミカンは食べられない。そう、本当は、みかんだったら、小さいのが1個が限度なのだろうが、今回は、このハートを1個食べてしまった。甘かった。

















エイブルと東京内科医会の橋渡しをし、東京に疎開された患者さんを集団治療から医院から近い貸家にご案内しております。
敷金、礼金、仲介手数料は無料。三ヶ月分の家賃も無料。その上、当面必要な家具も揃えています
このプロジェクトは私が被災地の惨状を目にして
(良かった、木更津や苫小牧でなくて…)
と思ってしまった贖罪です。決して思ってはならないことでした。
思い悩んでいるときに、知り合いの記者から携帯に電話がありました。
「藤山、お前なんとかならんか」と。
受け入れ態勢が確立し、昨日は一家族の転居に成功しました。
なぜ、仲介業者が良いのか、それは患者さんは物ではありません人です。
引越しは大きな決断です。
「ここに入れ」では納得しないのは当然のことです。
病院から近い場所、日当たりの良い場所、公園の近くなど、人の好みは千差万別、選択するからこそ納得されるのです。
宮城県で2名の患者さんが死んでいたことが読売新聞で報じられました。
一刻を争う事態です。広く世論に呼びかけるには当方は力がありません。
被災者の中でも人工透析患者さんは特に死の淵に立たされています。
被災透析患者プロジェクトを広く知ってもらいたいたいと思っております。
どうか、お力添えをお願い申し上げます。
以上、略儀ながら伏してお願いとともに。
藤 山 勇 司
私自身があまり体が強くないので
直接的な支援参加はできないのですが、
上記システムを
広く皆様にご理解頂ける何かの方法
私にでもできる事がありましたら。
すみません、、、漠然としすぎたコメントで。。
七年前に亡くなった義理の母は脳溢血で死ぬまでの七年間人工透析で治療をしていました。新宿の三栄町にある小料理屋で
立ち仕事をしていました。足はむくみ、立つのもやっとなのに「長い間やった仕事だから、大丈夫よ」と笑っていらっしゃ
ったのが印象に残っています。
誰もがいつまでも強いわけではありません。いつ身体の具合が悪くなるのか分かったものではありません。「今、わたし
にできること」このACのフレーズが私を突き動かしています。できることからひとつずつ。目の前にいらっしゃる方々の
支えになることができれば、生かされている甲斐があると思っております。
これからも、手を抜かず懸命に取り組んでまいります。今後とも宜しくお願い申し上げます。
被災透析患者救済プロジェクトにご賛同くださりまことにありがとうございました。
以上、略儀ながら感謝とともに。
藤 山 勇 司
トッペイさんは体の疾患。私は心の疾患ですが、でも何かに没頭しすぎるあまり、身も心も削られます。
ブログをリニューアルしたのでリンクを貼っておきます。森林浴日和と両方新たなコンテンツで始めたので、またよろしくお願いします。
エディタには顔を出さないのですか?最近あしあとが残っていないのでさびしいです。