トッペイのみんなちがってみんないい

透析しながら考えた事、感じた事。内部障害者として、色々な障害者,マイノリティの人とお互いに情報発信したい。

五日市憲法草案 その1

2008-05-04 02:26:09 | 多様性
 1968年(昭和43年)、東京都西多摩郡五日市町にある土蔵の中から思いがけないものが見つかった。東京経済大学教授だった色川大吉氏による、深沢家の土蔵の調査の際、たくさんの書物、文書とともに、農民らにより作成された「五日市憲法草案(日本帝国憲法)」が発見されたのだ。明治憲法の制定の前に、民間で私擬憲法と呼ばれる憲法草案が40種類ほど作成された。植木枝盛や政党によるものは、よく知られるところだが、東京のチベットとでも呼べるような土地で、名もない青年たちが作った草案は特異なものだった。
 千葉卓三郎という青年がいた。彼は、仙台藩の下級武士の父とその妾の子として1852年に生まれた。ペリー艦隊来航の前年のことだった。父は、卓三郎の分娩前に危篤に陥り間もなく死亡、家督は養子が継いだ。卓三郎は、実母から離され、養母さだに育てられた。養母の生家は代々医業を営み、維新前後には寺子屋も開いていたから、卓三郎の学問好きはこうした環境が影響したようだ。12歳頃から、大槻盤渓に師事した。盤渓は、蘭学者大槻玄沢の子で、幕末の先覚的思想家で、開国論者だった。卓三郎は、17歳の年に、師の許を離れ戊辰戦争に従軍、2度の戦争を行うも敗走することになる。時期は、まさに会津落城の直前であった。天皇側に抗戦した「賊軍」「敗残者」の汚名を着て、この後放浪の人生を送ることになる。
 医学、国学、浄土真宗、ギリシャ正教、反キリスト教、カトリックと卓三郎の人生の遍歴は続いた。
 ※千葉卓三郎という人は、不幸な星の下に生まれた人なんですね。はじめは、医者になりたかったのに、師であった石川桜所が将軍を補佐した罪で、明治元年に投獄されたので挫折してしまうのですから。その後は、色々な人の所へ教えを請うのですが、どれも彼の心を満たすことはできない。彼は、帰るべき故郷も失って、精神的にも悩みは深かったんですね。天涯孤独の青年の苦悩。
 明治9年に、卓三郎はカトリックの伝道師のウィグローに教えを乞う。この頃、ウィグローは八王子付近を布教していたので、卓三郎が五日市で後に憲法草案を作ることになる仲間たちに出会った可能性がある。その後、プロテスタントのメソジスト派の牧師マクレーのもとで学ぶ。メソジスト派は、新教の中でも最も社会的活動に熱心なグループで、この派から自由民権運動、平和運動、社会運動に多くの者が輩出されている。卓三郎の精神遍歴も、最終局面に差し掛かっており、自由民権家として思想も確立したのでしょう。
 当時の三多摩地域は、自由民権運動が盛んでした。五日市の深沢村の名主の深沢名生(なおまる)と権八親子と卓三郎が出会い、意気投合するんですね。先の、憲法草案が出た土蔵はこの深沢家のものでした。今では、土蔵と門しか残っていないそうです。土蔵には、東京で出版される書籍の7,8割が所蔵されていたそうです。

 憲法記念日に、民衆憲法を生んだ名も無き若者たちの事を思い起こしています。

また、今の憲法について、アメリカから押し付けられたと主張する人がいますが、
鈴木安蔵という憲法学者の作った草案が、今の憲法に反映されていることを、合わせて考えさせられる記念日でした。
ジャンル:
政治
キーワード
自由民権運動 メソジスト派 五日市憲法 憲法記念日 反キリスト教 1852年 ギリシャ正教
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2 コメント

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女性の権利 (obichan)
2008-05-04 11:36:35
アメリカの憲法にも記述がなかった男女平等に関して、ヨーロッパ諸国の憲法を見習い、民法に反映させるために憲法への記述が必要と、日本の女性のために一生懸命考えて草案を作った人を忘れてはならないと思いました。(ベアテ・シロタ・ゴードンさん)

昔にTVで観たことあったのを思い出しました。
決してアメリカの押し付けではないと思います。
女性の権利 (トッペイ)
2008-05-04 12:02:34
 今回は触れませんが、先駆性を持った五日市憲法も自由民権運動も、女性の観点がすっぽり抜け落ちているんですね。これは、歴史を見ても、日本でも外国でも女性は蚊屋の外(死語?)に置かれていました。
 男性中心主義が、今も根強く残っています。

 ベアテさんは、今の憲法成立の上でも大変な貢献をなされた方です。女性の権利は、今の憲法で法律の上では、やっと認められるようになったことを忘れてはなりません。

 一部の改憲論者は、民法の夫婦別姓制度の成立も認めません。彼らの頭の中にあるのは、旧来の男性中心の「家」制度の復活です。

 obichanさんの、コメントを受けて補足とさせていただきます。コメント、ありがとうございました。

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