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スクープの数々17・竹槍事件

2011年05月08日 | ジャーナリズム

 

 條首の戦争政策 果敢に批判

 平洋戦争下の1944(昭和19)年223日、東条英機首相は毎日新聞の朝刊を見て陸軍省に乗り込み、「今朝の毎日を見たか。見たならなぜ、処分せぬか!」と怒鳴り、情報局幹部に会うと、「毎日を廃刊にしろ」と叫んだ。この騒ぎに、執筆した記者が進退伺いを出すと、時の吉岡文六・編集局長はそれを突き返し、逆に特賞の金一封を出して言い放った。「東条! 彼は陸軍大将ではない。伍長だ。ヒトラーも伍長だったが、東条は伍長も伍長、憲兵伍長だ!」。

 米軍は19432月、ガダルカナル島攻略を皮切りに、1944年に入ると破竹の勢いで日本海軍の太平洋での拠点、トラック諸島に迫っていた。この時期に、毎日新聞が東条首相の戦争政策を真正面から批判する「竹やり事件」が起きた。

 朝刊1面には、「首相・閣議で一大勇猛心強調」のトップ記事の下に、2つの関連記事が掲載された。見出しには「勝利か滅亡か」「竹槍(やり)では間に合わぬ 飛行機だ、海洋航空機だ」とあった。本文でも「敵が飛行機で攻めに来るのに竹槍をもっては戦ひ得ない」としていた。当時、陸軍は「一億玉砕」を叫び、竹やり精神で本土防衛に当たるよう国民に強制していた。記事はこれを厳しく批判し、飛行機による太平洋での決戦を求めていた。筆者は、海軍省担当で検閲を受けない慣行のキャップ、新名丈夫記者だった。

 東条首相は廃刊を思いとどまったものの、新名記者らを厳しく処分するよう求めた。しかし、毎日新聞は編集局幹部が辞職しても、新名記者への処分は拒否した。事件は、思わぬ方向に展開した。強度の近視を理由に徴兵検査で兵役免除になっていた37歳の新名記者を、陸軍は懲罰召集したのだ。海軍の主張を記事にした形の新名記者1人だけを召集したことに海軍が抗議すると、陸軍はつじつま合わせに同期の兵役免除者250人を召集して対抗した。なおも海軍は反対を続け、陸軍の一部もこれに呼応し、新名記者は3か月後、召集解除された。だが、巻き添えで召集された同期の兵士らは、後に硫黄島に送られ玉砕した。

 この記事は、新名記者の力だけで実現したのではなかった。竹やりでは米軍に太刀打ちできないと、毎日新聞の姿勢を報道したのだ。その証拠に、同じ日の社説で「今ぞ深思のとき」の見出しを掲げ「敵の跳梁を食ひ止める途はただ飛行機と鉄量とを、敵の保有する何分の一かを送ることにあると幾度()となく知らされた」と書いている。

 当時、新聞人として事件を知る評論家、故御手洗辰雄氏は「国民の間に俄然、この記事は大センセーションを起こし、筆者の訴えんとした志は半日にして全国民の胸に嵐のような感動をまき起こした」(日本新聞百年史)と書いた。記事に息づく権力者の横暴に対する批判精神は、現在の毎日新聞に受け継がれている。(「Maiぱれっと」2010年1月号から。写真:「竹槍では間に合わぬ」と強く主張した1944223日付毎日新聞朝刊1面の記事) 

 

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