ハトとたんぽぽ

和子の気まま日記

2017年12月11日(月)、あとがき

2017年12月12日 04時21分15秒 | 家族
夫の一周忌が近づいてきましたので、以前2階の部屋を片付けていたら、自分史を作るにあっての気持ちが書いてあった文章を見つけたので、「あとがき」としてパソコンに入力する。

 あとがき

 人は70歳(古希)を迎えるころになると、人生を振り返るものらしい。
それを振りかえり、文章にする人もいれば、そうでもない人様々である。自分はどういう訳か、文を残す部類になったようだ。そうなったのは、ごく自然のようにも覚える。
 中学生の時、春休み、夏休み期間限定で、先生に見せることを意識した日記をつけた。そして、それが触発したかはわからないが、高校3年間日記をつづっている。それに学校の図書部員になり、大家の「宮本武蔵」「徳川家康」「戦争と平和」などなどを読破した。一方、映画(和洋問わず)を観るのも大好きで、社会に出てすぐ労組の映画サークルに入った。映画誌の一つ〟シネフロント〝を医療生協を退職するまで愛読していた。
 社会に出てからは、本を小説を買って読むことを知らなかったが、松本清張の小説のとりこになり、小説を読み漁った。
 6年前(2007年)から「肺気腫」を拝命してから、闘病生活?のつもりで、今まで続いている日記。
これらの要素が重なり合って、人生を振り返ってみた「古希を迎えて」になったようだ。家族以外には公開していないが、そろそろ友人には公開しようかと思っている。
 古希云々は未完であり、完成作にするには、ひと仕事かかるものがある。
自分が政治信条しているものをどう一般化するか、先が見えず、端にもついていないのである。書くべきことかも躊躇しているのだ。とりあえずこの躊躇しているものは横において、「古希を迎えて」で書き足りていない。家族に贈る言葉とかいうものを自分の死を見つめながらつづってみたい。(前置きが長くなりお許しあれ)
 「死」は避けて通れない。朝は必ず来る。太陽は東から上る。止まない雨はないように、人類共通のものであり、死後を覗き見ることもできず『死』そのものが重きをなしている。
 人は死ねば火葬され、骨と灰が残る。その遺品をツボに入れるか、海、山に散骨するのもめずしくない。

(文章はここで終わっている。夫は好きな山や生まれ故郷の海、今まで出かけた思い出の地に散骨してほしいのではないかと、この1年間東京の柴又の寅さんの聖地江戸川。毎年登っていた多度山。京都大原。そしてふるさとの長崎茂木港の海。日進市の五色園の「不屈の闘士ここに眠る」の碑にも散骨してきました。
 これから、私たち家族が行くところには必ず夫も連れて行って、散骨してこようと思っています。
 お父さんそれでいいですか)

夫の文章は、途中までしか書いてありませんでしたので、私の気持ちを追加しておきました。

 今日の万歩計は、12,235歩でした。

 














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