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監督輩出、存在感高まる ベルリン映画祭 3人出品 ぴあフィルムフェスティバル…

2017-03-24 23:10:23 | NewsPaper
日経産業新聞でぴあフィルムフェスティバルについての記事を見るとは…
もちろん取り上げます


本日の日経産業新聞から、16面の生活・サービス欄からこの記事をピックアップ
『ぴあフィルムフェスティバル
 監督輩出、存在感高まる
 ベルリン映画祭 3人出品』

世界三大映画祭の一つである、ベルリン国際映画祭が2月で開かれ
作品を出品した3人の日本人監督は過去に「ぴあフィルムフェスティバル」(PFF)に入選し
活躍の糸口をつかんだという記事

自主映画だけが対象のコンペティションでチケット販売大手のぴあが40年近く続けてきた
日本映画界を支える「縁の下の力持ち」として存在感を強めている

ぴあ自体は、中央大学映画研究会にいた矢内社長が1972年に情報誌の月刊「ぴあ」を創刊し創業した
70年代は家庭へのテレビ普及により映画人口へのテレビ普及により映画人口が急激に減った

監督志望者が有名な監督の助監督になり、ステップアップする仕組みが崩れつつあったなかで
矢内社長が、監督を生み出す登竜門をつくろうと1977年に第1回PFFを開催した

PFFは「才能を見逃さない」がテーマで、応募者の年齢、性別、国籍、上映時間、ジャンルは問わない
審査では全作品を途中で止めることなく完全に鑑賞
1次、2次、最終の3段階の審査を経て、毎年20作品を入賞作品として選ぶ

入選作品からグランプリなどの賞が選ばれるが、入賞監督は
商業映画の企画・制作を支援するスカラシップ制度にも挑戦可能

PFFは、約4カ月の審査やスカラシップなどで約1億円もの年間予算がかかり、ぴあは約2割を負担する
ぴあが経営難だった2007~2008年ごろには、社内でもPFFを取りやめる議論がされたこともあったが
矢内社長はこれをやめたら、会社の在り方が変わってしまう、と社員に話し続けてきた

2016年には、初めて日本映画製作者連盟がPFFに一部出資したことから
「縁の下の力持ち」としての実力が認められつつあるようで…

国内の映画業界としては今後も大変な中で、PFFが才能ある映画人を発掘していくことを
今後も大いに楽しみに、日々映画を鑑賞し続けていたい私です…


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