泉を聴く

徹底的に、個性にこだわります。銘々の個が、普遍に至ることを信じて。

14歳の君へ

2016-07-04 17:17:23 | 読書
 

 読めば読むほど味が出てくる。そんな本でした。
 ご本人が、受験には役立たないけど人生にはきっと役立つとおっしゃっていますが、その通りです。
 どの章も役立つと思いますが、今の私にとっては「歴史」が一番でした。
 暗記だけの歴史は、私は得意でしたが、おもしろいものではなかった。テストが終われば忘れてしまうし。
 しかし、本当に歴史を学ぶとは、単なる暗記ではありませんでした。
 私を学ぶことでした。
 その前に、私の構造について触れる必要があります。
 私は、私。私は、私ではなく、私です。「私から出て、私に還る」運動が「私」です。
 この私と、私ではないものと、二つがある、と自覚し、バランスを保つことが精神衛生上大事です。
 私ではないものに、授かった命や体、生き物として続いてきた流れ、花々や風景、そして他者があります。
 この命が、今、たまたま私になっている。
 私は、バングラディッシュに生まれたかもしれないのです。
 意識としての私が、ここにある理由はない。出て、還る場所として、私という意識はある。
 この前提がわかると、やっと歴史がおもしろくなります。想像する楽しさが出てきます。
 まあ子供たちは、こんな前提など知らずとも夢中に本を読むのでしょうが。
 大人になると、私だけを強めざるを得ない場合が多いので、忘れがちだとは思います。
 私だったらどうしただろう? 歴史上の人物を想像することと、毎日のように会う友達を心配することは同じでした。
 時間や場所を越え、その人と会うことも成り代わることもできるのが歴史であり想像。
 だから、歴史を学ぶとは、私を学ぶことと等しいのでした。
 で、この学びに終わりはありません。
 私の構造については上田閑照(しずてる)さんの『私とは何か』(岩波新書)に詳しいので、私をおさらいしたい方にはおすすめです。
 私は、想像する根拠をおさらいできました。
「社会」や「戦争」も、紹介できませんでしたが、素晴らしい内容です。

 池田晶子著/毎日新聞社/2006
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幸福に死ぬための哲学

2015-05-06 22:31:42 | 読書
 

 お店で自前のPOPも書かせていただきました。
 池田さんは、以前から気になる人でしたが、初めて読みました。
 やはり、よかった。
 何度も読み返しました。
 そのたびに、見えなかったものが見えてくる明晰さを感じました。
 今までの著作から、テーマごとに文章を選び出した言葉集。
 どこを読んでも、曇りがちな頭を晴れに変えてしまう確かさがあった。
 鋭いのにあたたかい。ひとつだけ引用させてください。

 人間を創るものは

 言葉は人間を支配する力をもつから、それを言うその人を、必ずそんなふうにしてしまうものなんだ。面白いから、そう思って、まわりの人を観察してごらん。正しい言葉を話す人は正しい人だし、くだらない言葉を話す人はくだらない人だ。その人が話すその言葉によって、君はその人を判断するだろう。その人の話す言葉が、その人をまぎれもなく示していると気がつくだろう。
 世界を創った言葉は人間を創るということを、よく自覚して生きることだ。つまらない言葉ばかり話していれば、君は必ずつまらない人間になるだろう。  87頁(出典は『14歳の君へ』156頁-157頁)

 池田晶子著/NPO法人わたくし、つまりNobody編/講談社/2015
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君自身に還れ 知と信を巡る対話

2010-09-15 20:44:30 | 読書
 この本は、対話者の一人である池田晶子さんが2007年2月23日に腎臓がんで亡くなってすぐに発売されたもの。務める書店でのサイン会も直前(1月20日)にあったので、その死去が信じられなかった。タイトルにも引かれて買った本。3年半経って、やはり今、読むべき本だった。
 とても刺激的でした。後半は、難しくてついていけなかったかも知れませんが。
 例えば46ページの池田さんの発言。「言葉は自分で書いてはだめなんです。言葉をして語らしめないと、絶対にいいものは書けません」
 池田さんが亡くなって、2008年から「(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞」が創設されている。第1回受賞者は川上未映子。
 わたくし、つまり、NObody。
 言葉に語らしめること。
 大事なのは書く「僕」ではない。
 そういうことなんだ。

 なぜ、どうして小説を書こうとするのか?
 伝えたいものがあるから。
 伝えたいものとは何なのか?
 生きていくのに必須だった真理。
 かつての僕が、もっと早くに知っていればよかったと思う宝石たち。
 読者が気づき、読者が泣き、読者が笑い、読者が一皮むける物語。
 それらが可能になる言葉のつらなり。
 僕、は出てこない。
 主人公たちが生きる。
 あるいは、死ぬ。
 わくわく、どきどきする流れ。本を読むおもしろさ。
 わたくし、しか作れないもの。
 しかし、そこにわたくしはいない。
 人間が求めてやまない、本当の言葉こそが生き残る。
 命のリレーのように。

 私、という存在の不思議。
 謎。
 僕は、なぜ誰かを殺そうとしたのか?
 まったく私は不可解、奇天烈。
 この認識から、読書(本当の言葉探し)が始まった。
 あるいは、高校を卒業しても無業で、何をすればいいのか、したいのかわからなかった。
 自ら決断し、そのことが正しくなかったとわかったとき。
 私は正しかったはずなのに、相手から否定されたとき。
 僕は何も知らなかった。
 僕は間違っていた。
 だから、読書が必要になった。
 一日も休むことなく。休むことなんてできずに。
 
 言葉を用いること自体が人間と関わることだった。
 言葉以上に大事なものはなかった。

 なんというか、この本の感想が書けません。
 詩(のようなもの)でしか応えられなかった。

 読む人の数だけ、読むたびごとに、その人が触発されるのではないでしょうか。

 哲学科で学んだこと。
 それはただ一つ。
 自ら考えること。
 それだけは枯らさないように。

池田晶子、大峯顯著/本願寺出版/2007
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