泉を聴く

徹底的に、個性にこだわります。銘々の個が、普遍に至ることを信じて。

沈まぬ太陽

2008-08-16 17:00:47 | 読書
 以前の「読書」への投稿が7月18日だったので、約1月かかっていたことになります。約400ページで5巻もあるのだから、それもしかたない。
 読み終わって、組織が変わるというのはこんなにも大変なものなのかと思います。特にお金が、人間に上も下もないと思いますが、組織内では上下がある。人事権を持つ一部がある。資金を配分する中枢がある。そこにおもねり、いくらかでも多く収入を得ようとする。不快ではなく快楽を追い求める。一度知ってしまった甘い汁は、再度舐めたいもの。心弱い人々こそ結託し、私こそ王様だと威張り散らす。
 国民航空(モデルは日本航空)の腐敗ぶりは目を覆うばかりです。会社が腐っているから事故も起こる。自己愛への配慮ばかりが優先されていては、他者が、お客様がないがしろにされるのは当然の帰結。そこからありえない大惨事が起きてしまった。530名が亡くなったジャンボ機墜落事件。今年8月12日、23回忌でした。
 その日のことは鮮明に覚えています。当時僕は8歳でしたか。夏休みで父の実家へ遊びに行っていた。夕飯、新鮮な刺身をほおばりながら、テレビから身を刺すような緊急事態を知らせる音が鳴り、子供ながらに驚き、おびえた。未だに飛行機を利用したことがなく、田舎へもいつも新幹線だったから、身近とは言えなかったけど、続々なされる報道に釘付けになった。飛行機への不信は、使っていないことからも、まだ払拭されていないようです。
 その背後を読むと、あれは起こるべくして起こったとしか考えられない。今も御巣鷹山に登っている遺族の無念はいかばかりか。想像もできません。
 山崎豊子さんの作品は、本としては初めて読みました。ある営業さんに薦められたのがきっかけでした。横山秀夫の「クライマーズ・ハイ」を読んで震えたこともあった。しかし、一番大きかったのは、「元気になりますよ」の一言だった。長いから買うのに迷っていたとき、僕は確かに元気がなかった。小説世界にはまりたかった。
 主人公恩地元にはモデルがいます。小倉寛太郎。2002年に亡くなっています。小説のままではもちろんありませんが、実際に生きていらした。また会長の国見にも、伊藤淳二という元鐘紡の会長が。この二人が働いたことで、保守派から散々のひね曲がった中傷を受けますが、結果的には機付き整備士の制度も、黒幕の長である岩合(これにも残念ながらモデルが)の解雇も実現した。信じるところを貫くことが、当たり前のように正しいことが、いかに人のフィルターにかかって曲げられるか、マスコミによる歪曲も通じて考えさせられます。というかそれが実際にあったし、今でもあるのでしょう。思い通りには誰も生きられない。だからといって自分を自分で損なわないこと。その強さを学びたい。
 しかし、闇に、病に倒れてしまった人もいます。度重なる便利屋として使われ、心身を削られ、ついに海に還った一人の元社員。命がけで書き留めてきたノートを東京地検特捜部に送る。不正を正すには、遺族を含めて一体何人の命が必要なのか。彼の命は、やはり報われます。官僚と接待ゴルフに行こうとした行天(これは想像上の人物)に、捜査員からの電話がかかり、蒼白になる彼。ざまあみやがれ!自殺した彼の声が聞こえるようでした。
 今でも思い出したように官僚が捕まったり大臣が自殺したりしてますが、それが露見するまで、いかに大変な思いがあるのか。日の目に当たらない多くの人間がいるか。必ず自分の行いは自分に帰ってくる。そうできているんだと信じたい。
 作家生活40年にして、使命感あってこそ書くことのできた作品だと山崎豊子は言っています。毎日新聞社に入り、井上靖に師事し、33才で「暖簾」を刊行。書き方はやはり記者だなと思いました。多くの参考文献、インタビュー、資料を縫い合わせるようなストーリー。資料があまりにそのままなので、たびたび盗作で訴えられてもいるとか。僕にはできない芸当です。よくここまで書いたと、ほんとに脱帽するし、社会的な意味も十分にあって尊敬しますが、なんというか、人間の深い心理には入っていく隙間がないというか、事故、会社の全体を書き留めるのが目的だったのでしょう、細かいデータとか為替の10年先までの予約とか、正直飛ばしたくなるところもあった。
 でも、一気に読んだと言えます。2000ページも、おもしろくなかったら、律儀な私といえども、途中で投げ出したでしょう。
 最も印象に残ったのは、ニューヨークの動物園の「鏡の間」です。
 そこには小部屋があり、鏡だけが壁にかかっている。だから自分が映る。
 なんだこれはと思ってふと目を上げると、こんな言葉が添えられている。
「THE MOST DANGEROUS ANIMAL IN THE WORLD」
 ここに達したとき、恩地同様、僕もぐきっと来た。そうだ、まったくそうだ。自分の思いのためだけに、他の命を奪う、しかも人間同士で、存在が、他にあるだろうか。この僕だってそうだ。
 初めて詩集を刊行したとき、その冒頭に、当時キルケゴールを卒論に取り上げ、執筆していた私は、彼の言葉を引用した。最近、よく思い出すのです。
「同情は、一人の人間に起こったことは全ての人間に起こり得るものだということを心の底から納得してこそ初めて生きてくる」
 自殺や殺人や保身や策略や欲望や、それらの芽は、僕という人間のなかにもある。その芽を文学作品として汲み取ること。毒をもって毒を制す。それが特に小説の役割なのではないかと、思い始めています。
 その意味で、臭いところを書き切ったこの「沈まぬ太陽」、傑作です。
 僕も一会社員でもあります。組織に生きる全ての人たちにとって、勇気と正義を、ほんの一センチでも増すことのできる作品だと思います。だからこそ、みんなに必要とされる。売れる。
 あの営業の彼女が言ったように、確かに元気になったようです。あのときと今の僕は、もう違う。逃げずに、曇りのない目で、しっかりと見ることです。この心身で、全力で対応していくことです。

山崎豊子著/新潮文庫/2002
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