泉を聴く

徹底的に、個性にこだわります。銘々の個が、普遍に至ることを信じて。

水木しげるの戦場 従軍短編集

2018-01-04 17:56:26 | 読書
 

 水木さんが亡くなって2年が経ちました。
 私が調布で働いていたとき、水木さんとお会いできたのは僥倖でした。
 お会いするまで、片腕がないことを知らなかった。
 その戦場での体験が、濃密に描かれています。
 軍隊を規律していたのは「びんた」であったこと。
 銃は、神である天皇からいただいた神聖なものであること。
 日本人以外は人間ではないこと。
「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず」
 この戦争訓、続きがありました。
「死して罪過の汚名を残すことなかれ」
 陸軍大将で総理大臣でもあった東条英機が示達したのは1941年(昭和16年)1月8日。
 しかし、東条は制作に関わっていない。以前から作られており、あの島崎藤村も校閲を担当した。
 水木さんは、21歳で招集された。わけもわからず、南へ送られた。
 所属する部隊が攻撃され、全滅。しかし水木さんは、海に落ち、流され、近くの大日本帝国軍に全滅を伝えに行く。
 そこで言われる。「なんでお前、生きているのか?」
 言いたいことを言えばすぐにびんた。
 マラリアに罹り、放っておかれ、空爆を受けて左手を失う。
 どんどん衰弱する中で、自ら食べ物を探しに出て、「土人」と出会う。
「土人」とは、原住民のこと。彼ら、彼女らは親切だった。人間らしかった。
 食べ物を分け与えてくれ、元気を取り戻していく。
 そうこうするうちに終戦。土人たちと再会する約束をして故郷に帰る。
 そして、水木さんは思う。あの土人たちこそがまともな生活をし、文明社会こそ病んでいるのだと。
 通勤で利用する東武東上線。元旦、二日、三日とすべて人身事故で止まりました。しかも二日は二件。
 信じられません。鶴瀬駅のすぐ近くです。この社会はまだ病んでいる。
 いや、また病んでいるのか。
 ポツダム宣言を受諾し、敗戦した大日本帝国は滅亡した。
 滅亡し、新しい憲法が発布され、日本国となったのに。
 日本国憲法第3章、「国民の権利及び義務」の第13条「個人の尊重と公共の福祉」にこう書いてある。
「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」
 なぜ、学校で、憲法の討論の時間がなかったのだろう?
 こんなにも私たちを守ってくれているのに。
 私が走り、大地とつながり、よく泣き笑い、より元気になったのは、土人に近づいたからとも言えます。
 この文明の病とどう向き合うか。水木さんから勝手に受け継いだ宿題は、沢山ありそうです。

 水木しげる著/中公文庫/2017
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楡家の人びと

2018-01-04 16:25:36 | 読書
 

 明治時代から昭和の終戦まで、楡家の人びとの生活を描く。
 戦争の始めから終わりまで、と言った方がいいかもしれません。
 主人公は、楡家の人びとですが、時間、時代、あるいは人々の意識の流れと言った方がいいかもしれません。
 この本もまた劇作家の平田オリザさんが毎日新聞で紹介した読書日記で知り、読みたくなった。
 楡基一郎は、山形から出て、東京の青山に精神病院を建て、院長として君臨している。
 精神科ではなく脳病科と称し、耳の穴から脳を診て、「ああ、確かに腐ってる。私が考案したこの薬を飲んでみたまえ。たちまちに治るから。何といっても私はオーソリティだらかね」なんか言ってえばっている。
 楡基一郎という名も自分で作った。髭を伸ばし、ひねり上げている。ラジウム風呂にいつも浸かっている。その効果も怪しい。
 それでも、基一郎を慕う人々は次々に集まって、楡脳病科病院は大きく発展していた。
 娘が三人に、息子が二人。長女龍子の子供が三人。それぞれに実在の人物がいて、一番下の孫、楡周二が作者の北杜夫ということになる。
 ちなみに、北杜夫のお兄さんが斎藤茂太。二人のお父さん(楡徹吉)は、斎藤茂吉。
 時間が主人公であるとはいえ、視点は楡家の人びとを通じて。
 ロシアと中国に戦争で勝ってしまったあの明治の誇大妄想的な自己愛過剰も。
 連合国軍と戦争に入らざるを得なくなっていく言論統制された時代も。
 まさに戦場の激闘も。
 戦後の食糧難と、生きている意味を失った喪失感も。
 病院に住み着いた人々も個性豊か。新聞を朗読するビリケンさん。飯炊きの伊助。子育てを任されていた下田のばあや。
 楡家の三女、桃子も印象深い。下膨れした愛嬌のある顔。映画好きで、美形でないことから楡家を恨んでいた。わかってくれるのは、下田のばあやと、ひいきの文房具屋、青雲堂の御夫婦。
 次男の米国(よねぐに)も強迫観念を持っており、医師にならず、病院の敷地内で農業に明け暮れる。熊五郎という、これも医師になれなかった元書生とともに。
 本当に、優れた時代の記録。戦争から、戦争の終わりまで。その時間に生きていた人々の今が活写されている。
 読み終えて思うのは、その時間、経験があったからこそ今があるということ。
 私たちは、楡家の人びとの後に生きている、という事実。
 ふつうの人びと。ふつうの人びとの過去、今、そしてこれから。
 ふつうだからこそ、時代に巻き込まれる。戦場の事実を知らされず、天皇を神だと思い込み、日本は負けるはずがないと信じている。
 それが過ちだったと、時間が教えてくれた。だから今の憲法がある。主権は、ふつうの人びとの手に渡された。
 失敗するのが人間。学ぶことができるのも人間。
 こんなにすごい本が、本屋の片隅にある。
 確かに今、読むべき小説でしょう。次の一歩の根拠として。

 北杜夫著/新潮文庫/2011
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