岡山県の宇野港と四国の高松港を結ぶ宇高航路が廃止になるとの新聞記事を読んだ。
本州と四国を結ぶフェリー航路として瀬戸大橋開通後も続けてきたもののついにやっていけなくなったようである。
このフェリー航路の前身はJR(当時はまだ国鉄)が運航していた宇高連絡船である。
1960年代後半東京に出てきた僕が愛媛県の実家へ帰省するときは必ずお世話になった。
当時は寝台急行「瀬戸」号で東京駅を夜出発、確か早朝に宇野駅に到着しこの連絡船に乗り換え高松港まで、予讃線に乗り換えて新居浜まで、記憶が定かではないが20時間くらいかかったと思う。
今も覚えているのが高松港に着き列車に乗り換える時みんな我先にと猛ダッシュで席取りをしたことである。怪我人がでてもおかしくない位のすさまじさだった。僕も眠い目をこすりながら走ったことを覚えている。
また、連絡船の上でうどんを食べた記憶もある。讃岐うどんである。
瀬戸大橋が出来、本州から四国に渡るのは便利になったが、船で渡る旅は格別のものがあった。淋しい思いをしている。
そういえば当時「チッキ」というものがあった。
国鉄の切符があれば荷物を運んでくれると言うものである。宅急便などなかった頃のことでよく利用した。