錦鯉とカメラ

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今日のカメラはKONICA EE matic Sです

2017-09-06 07:57:44 | 趣味

2017年9月6日

 

KONICA EE matic Sカメラヤフオク!
コニカは銀塩フィルムの最大手として杉浦六三郎(のちの6代目杉浦六右衞門)が1873年に、東京麹町で薬種問屋小西屋六兵衛店を立ち上げ写真関係商品や石版印刷材料の販売を開始したことに始まりのちに小西六写真工業株式会社へと発展し1987年にコニカ株式会社と改称した。
1903年、国産初の印画紙を発売、1940年11月3日には国産初のカラーフィルムであるさくら天然色フヰルム(後のサクラカラーリバーサル)を発表。
日本の写真用カメラフィルムのトップブランドの1つとして成長した。また東京都新宿区にある新宿中央公園の区民の森は、1902年に、乾板・印画紙の工場である「六桜社」が設けられた場所であり、記念碑として写真工業発祥の地が建てられている。
戦後の国内シェアは、さくらカラー(後に「サクラカラー」に表記変更)が富士写真フイルム(現・富士フイルムホールディングス)のフジカラーを圧倒する状態が続いた。
しかし、1970年代に入ると圧倒的な広告費を投入して知名度を向上させたフジカラーが逆転、サクラカラーはその後、コニカカラー、コニカミノルタカラーフィルムを経て事業撤退するまでの間ついに首位の座を奪いかえすことはできなかった。
1987年に日本以外でのブランド名であるコニカに統一し、社名もコニカ株式会社に変更。フィルムもサクラカラーからコニカカラーに商標を変更した。この際、コーポレートカラーを赤色(朱色)から青色(コニカブルー)に変更している。
コニカミノルタ東京サイト日野(旧 日野事業所)の所在地東京都日野市「さくら町」の名はこの場所で上記のさくら天然色フヰルムを生産していたことにちなんで命名された。
2006年、写真フィルム・レンズ付きフィルム・感材(印画紙・薬品)を含めたDPE分野の事業を大日本印刷(DNP)に譲渡して撤退しコニカブランドのフィルムは事実上消滅した(その後2009年にDNPも生産を打ち切ったため完全にフィルム製造およびフィルム販売事業から撤退した)。
『KONICA EE matic S (画像)』



 


錦鯉(youtube)
5t池に83㎝を頭に15匹泳いでます。



 

STEKYカメラ(youtube)
1947年理研光学(現リコー) 坂田秀雄さんの設計により製作された16ミリフィルムを使用するカメラです。
敗戦後突如日本に現れて進駐軍兵士の人気をさらっていたのが「豆カメラ」という画面サイズ14×14ミリのカメラでしたがこれらのカメラは大半が玩具的な域を脱しておらず作りも粗悪なものが少なくなかったようです。
そんな時本格的な写真がとれるカメラを目指して作られたのが「ステキー」だったのです。他の豆カメラが幅17.5ミリで裏紙付きのフィルムを使用していたのに対しステキーは16ミリ幅のフィルムを裸で巻いたものをカセットに入れて使う方法を採用しています。 また画面寸法は、16ミリ映画フィルムのパーフォレーションを考慮してか10×14ミリとなっています。
ボディ横のフィルムカウンターには24まで目盛りが刻まれていますが、実際は45センチ程の長さのフィルムを使用して20枚撮りとしていたようです。


 

小千谷市錦鯉の里オーナー鯉






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