2017年11月13日
Crystarカメラヤフオク!
クリスター光機㈱はCrystarKōkiK.Kという名前で1953年に設立されました。
岩手商会より発売されているCrystar Flex TLRを初めて製作しました。
その後CrystarKōkiの製品は、1954年初めにListaShōkaiによって販売された当時の会社の住所は荒川区三河島5-354でした。
二眼レフは戦後の一時期に四畳半メーカーといわれる群小メーカーがあり東京の板橋周辺の部品メーカーから部品を集めレンズを入手すればそれほどの技術力がなくても組立可能でカメラ名の頭文字はアルファベットのA~Zまで、ないのはQと?と言われるくらいの機種がありました。
同社の最後のモデルはCrystar 35-Sビューファインダーカメラでしたが1957年8月に姿を消しました。
『Crystar (画像)』
錦鯉(youtube)
5t池に83㎝を頭に15匹泳いでます。
STEKYカメラ(youtube)
1947年理研光学(現リコー) 坂田秀雄さんの設計により製作された16ミリフィルムを使用するカメラです。
敗戦後突如日本に現れて進駐軍兵士の人気をさらっていたのが「豆カメラ」という画面サイズ14×14ミリのカメラでしたがこれらのカメラは大半が玩具的な域を脱しておらず作りも粗悪なものが少なくなかったようです。
そんな時本格的な写真がとれるカメラを目指して作られたのが「ステキー」だったのです。他の豆カメラが幅17.5ミリで裏紙付きのフィルムを使用していたのに対しステキーは16ミリ幅のフィルムを裸で巻いたものをカセットに入れて使う方法を採用しています。 また画面寸法は、16ミリ映画フィルムのパーフォレーションを考慮してか10×14ミリとなっています。
ボディ横のフィルムカウンターには24まで目盛りが刻まれていますが、実際は45センチ程の長さのフィルムを使用して20枚撮りとしていたようです。
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