【筆者記】
あと3日で「偽」の年、平成19年が終わろうとしています。
皆さんにとってこの「偽年」はどんな年だったでしょうか。
子供が親を殺し、親が子を殺す、過酷な自然の中で生きるためには残虐性を持つしかない動物すらこのようなことはしない。
キリマンジャロの裾野に広がる大サバンナ地帯、セレンゲティ国立公園に生きるインパラやヌーはハイエナやライオンから自分の子を守るためには自分の身を投げ打って守ろうとする。中には同じ仲間の子供が襲われたことを知り、何頭かが死を覚悟の上で必至に助けに入りライオンに挑みかかるドキュメンタリー番組を何度も見たことがあります。
弱肉強食のセレンゲティ、単独では絶対に生きていけないことを知っているが故に彼らは集団で行動を共にします。この世界では単独では生きて行くことが出来ないことを彼らはちゃんと知っているのです。
集団を作ることで強いものに対抗しお互いに協力していくことで神から与えられた「生存権」を守るため必至に戦いを挑みます。
そして種を残そうと戦っているのです。
かれらは生きるために過酷な自然の中で自然のおもむくままに必至に生きようと努力します。だから彼らは生きるために嘘をつく暇がありません。捏造や偽装などそれは人間が作った生きるための一つの卑怯な手段に過ぎません。
彼らは集団という共有意識の中で生きていく力を身に付け、人間社会で言う「個人、個性尊重」というものがありません、これを求める能力、知恵もないのは当然ですがかれらの世界では「個人」つまり単独行動は死を意味します。
さて、戦後60年、欧米的個人主義が日本に導入され、この考えがずっと礼賛されてきました。今までの日本人が大切にしてきた共同社会で培って来た、甘えのない厳しさの中でのおもいやり、いたわり、つまり「情」そして作法、行儀、規範などの「型」が忘れ去れようとしています。
社会の価値観が乱れ、人の命をなんとも思わない人間が堂々と恥ずかしげもなく開き直る日本という国。同胞をいとも簡単に殺し、他人の生きる権利そして人権を抹殺した人間に対し、人権を傘にかけ、加害者に対してその殺人鬼の人権を擁護する不届き者がなんと多いことか。これも欧米の価値観、博愛、平等、自由、個人の舶来根性の成れの果てか。
フランスを見てください、自由と個人主義が横行し国家意識が解体され、福祉を強調しすぎた結果、手厚い保護下での公務員はわが世の春を謳歌し、挙句に自由を振りかざし不法移民がすき放題に暴れまくる国家に成り下がってしまいました。あの文化の中心といわれたパリはもはやヨーロッパの首都ではありません、だからこそ、その危機感から国民はフランスに競争原理を持ち込もうとするサルコジに期待し大統領として選ばざるを得なかったのです。
今の日本をよくみてください。日本には、日本人にとって個性は大切なものですが個性など振りかざす前に、まだ生まれて12年も経たない「ひよこ」に自主性が大切と「ゆとり」という自由放任を与えてしまい、家族という絆も教えず、このゆとり教育で育ったひよこ達が大人となり子育ても知らず、わが子を殺す。また育てる力もない親たちががノイローゼになることがなんと多いことか。全ては今までの教育が間違っていたと思います。また、その教える教員がプレッシャーでノイローゼになるとはなんとも、だらしのない日本になってしまいました。
私は何度も言ってきました。全ての教職員は自分の能力を知るべきです。
今ほど、教育の面でも日本人老若男女を問わず、今まで日本人が大切に育ててきた「型」を学び、子供達にしっかり教える必要性に迫られている時代はないと思います。
ここに日下公人氏が書いたい本の一説を紹介したいと思います。
「戦後60年の個人主義が国家意識を解体した。」
『デモクラシーと平和の五百年にスイス人は鳩時計をつくった。ならば平和と民主主義の戦後60年は日本人はなにをつくったか?
国家なんか知ったことかとひたすらわが身大事の個人主義をつくった、と言いたいほど、日本人は個人主義になった。
個人にはいろいろ選択の自由があると言って、日本人の集団を捨てる自由を拡大した。つまりは日本の歴史と社会を捨てた。
だから「わが国」ではなく、「この国」になった。
「合理的」とか、「グローバルスタンダードとか言われればいとも簡単になびく人が多数になり、日本国の利益を考える人が非常に少なくなってしまった。
国家意識は解体され、個人主義の弊害が今、各所で現れている。
戦前、日本の国家は、天皇、陸軍、海軍、内務省、大蔵省、警察など権力の締め付けがきわめて厳しかったから、それがなくなってホッとした日本人は、個人主義と自由主義と民主主義の三点セットで幸せを追求した。
しかしそのころその根底には伝統的集団の規律や論理はまだ残っていた。それがみんなが守っている中で、自分だけが自由というのはとても幸せだった。
しかし、みながみな、規律や論理から自由という世界は百鬼夜行の世界である。
可愛い女の娘がレイプされてしまう。そういうところにきているが、警察は民主主義になってもなかなか動かない。
そこで少年犯罪は警察の手を借りず、おたがいに取り締まらなくてはいけないという共同体精神や集団主義が甦ってきた。日本人はようやく目が醒めつつある。』
私は、今まで共産党や社民党ほどこの自由主義と個人主義を享受してきた党はいないと思っています。
それは彼らには「集団としての日本人」からのしがらみがまったくないからである。ですから彼らはよくスウェーデンでは、フィンランドではと、いつでも欧米を例に取り上げ、政府を批判します、批判は大いに結構です。しかしお国柄を忘れてはいけないと思います。国家には国の歴史がまったく違い、523万人しかいないフィンランドなど人口などをとっても比較は中々出来ないのです。福祉が世界一といわれても所得税が40%以上の国には住みたくはありません。今、そのような国は日本国を参考にして国の建て直しを図っているのです。
よく、かれらは「日本に軍国主義の兆しが見えてきた」と批判をします。不思議なことに日本には彼らの言う軍隊というものがないのにも関らずである。したがって軍備を持つ自衛隊と言う存在は彼らにとっては憲法違反なのである、しかしこれは間違いなく彼らは正しい。
軍備を持つ自衛隊を日本が保持しているとは。では国民に問うてみるべきです。
憲法第9条2項、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しないと書いてある。
であるならば非武装では憲法を変えなければ話のすじが通らない。しかし彼らは憲法改正に反対を訴えます。では国民に問うてみましょう、しかし国民投票で問うのも反対だそうだ。これって利己主義の何ものでもないですよね。彼らの性格は自虐性心配性と性善説からなる空想的平和待望論だ。
自分の家に鍵をかけ強盗から守ることは子供でもわかる話です。自分が所属している国家を守ることは至極当然のことです。
そのためには「この国」ではなく「わが国」という意識の中から生まれてこなければなりません。だから彼らには一つ一つの政策については批判をするがどのような国家を作りたいかとするビジョンがありません。
他の国家は決してフェアな国ばかりではありません、我々がフェアになろうともアンフェアな言いがかりをつけてくる国が多く存在することは言うまでもありません。ガス田問題など中国の理不尽な要求、人をさらっておいて逆に返してやるからと金銭を要求する国家、言うことを聞かなければミサイル実験を行い、わが国家を恫喝する国、どれをとってもまともな国などありはしない。
少なくてもわが国はガス田問題で戦艦を持ってくると恫喝などしたことはないしミサイルを撃ち込んだことはない。いたって平和国家でなのである。
従って、我が国は決してアンフェアな国になるのではなく少なくてもアンフェアな国に対ししっかりした防衛を行なうことは至極、当たり前のことなのです。
話はもとに戻りますが個人主義は、個々の人間の主体性を重んじて、一人一人の個人が自由に生きることの権利が保障されている代わりに、個々の人間が「集合して成立する社会」に対して個人としての自覚と責任を負うものだと思います。
日本人は今まで個人主義と利己主義を混同していませんでしたか。
では利己主義は、自分が益することだけを行為の基準として、他者のことや個々の人間で成り立つ社会の利益を全く考慮することなしに、自己本位な生き方を推し進める考え方です。
今の日本人は個人主義と利己主義をはき違えてしまっているように私には思えます。
我々は日本人です。世界の中で堂々と歩んでいける優秀な民族です、しかし、今の日本人は日本人が歩んできた歴史や文化、伝統を忘れていると思います。今こそ、歴史を学び、しっかりした歴史認識を持つことで多くの先人が残してきた英知と偉業を学ばなければいけないと思います。そして優秀な人材を育て、政治、経済、産業、文化の各面にわたり、活躍する、人格を伴った若人を育てていかなければなりません。
経済界だけでなく政治でもメディアの世界でもあまりにも嘘が多すぎると思います。「嘘」や「でまかせ」を日本の子供達に教えてはいけないのです。
今年を振り返った時、これほどまで乱れに乱れた日本はかってなかったと思います。まさに狂乱の年と言ってもいいのではないでしょうか、ほんとうに日本人として残念です。そして無念です。今年もあと3日、残り少なくなりました。皆さんは今年をどのように思われたでしょうか。
今日は文章がバラバラで申し訳けなかったですね。今日思ったことを少し書いてみましたがまた長くなってしまいました。ただ一つだけ最後に言っておきたいことがあります。
もう世界中から日本は「政治は二流、経済は一流」などと言われたくはありませんよね。ぜひ、この日本を立て直すためには信念の政治家、平沼赳夫さんが必要です。そして城内みのる君には来年こそぜひ当選してもらいたいものです。
平成20年、来年こそ皆さんにとってすばらしい年でありますように心からお祈りいたします。
今日も、最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。
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あと3日で「偽」の年、平成19年が終わろうとしています。
皆さんにとってこの「偽年」はどんな年だったでしょうか。
子供が親を殺し、親が子を殺す、過酷な自然の中で生きるためには残虐性を持つしかない動物すらこのようなことはしない。
キリマンジャロの裾野に広がる大サバンナ地帯、セレンゲティ国立公園に生きるインパラやヌーはハイエナやライオンから自分の子を守るためには自分の身を投げ打って守ろうとする。中には同じ仲間の子供が襲われたことを知り、何頭かが死を覚悟の上で必至に助けに入りライオンに挑みかかるドキュメンタリー番組を何度も見たことがあります。
弱肉強食のセレンゲティ、単独では絶対に生きていけないことを知っているが故に彼らは集団で行動を共にします。この世界では単独では生きて行くことが出来ないことを彼らはちゃんと知っているのです。
集団を作ることで強いものに対抗しお互いに協力していくことで神から与えられた「生存権」を守るため必至に戦いを挑みます。
そして種を残そうと戦っているのです。
かれらは生きるために過酷な自然の中で自然のおもむくままに必至に生きようと努力します。だから彼らは生きるために嘘をつく暇がありません。捏造や偽装などそれは人間が作った生きるための一つの卑怯な手段に過ぎません。
彼らは集団という共有意識の中で生きていく力を身に付け、人間社会で言う「個人、個性尊重」というものがありません、これを求める能力、知恵もないのは当然ですがかれらの世界では「個人」つまり単独行動は死を意味します。
さて、戦後60年、欧米的個人主義が日本に導入され、この考えがずっと礼賛されてきました。今までの日本人が大切にしてきた共同社会で培って来た、甘えのない厳しさの中でのおもいやり、いたわり、つまり「情」そして作法、行儀、規範などの「型」が忘れ去れようとしています。
社会の価値観が乱れ、人の命をなんとも思わない人間が堂々と恥ずかしげもなく開き直る日本という国。同胞をいとも簡単に殺し、他人の生きる権利そして人権を抹殺した人間に対し、人権を傘にかけ、加害者に対してその殺人鬼の人権を擁護する不届き者がなんと多いことか。これも欧米の価値観、博愛、平等、自由、個人の舶来根性の成れの果てか。
フランスを見てください、自由と個人主義が横行し国家意識が解体され、福祉を強調しすぎた結果、手厚い保護下での公務員はわが世の春を謳歌し、挙句に自由を振りかざし不法移民がすき放題に暴れまくる国家に成り下がってしまいました。あの文化の中心といわれたパリはもはやヨーロッパの首都ではありません、だからこそ、その危機感から国民はフランスに競争原理を持ち込もうとするサルコジに期待し大統領として選ばざるを得なかったのです。
今の日本をよくみてください。日本には、日本人にとって個性は大切なものですが個性など振りかざす前に、まだ生まれて12年も経たない「ひよこ」に自主性が大切と「ゆとり」という自由放任を与えてしまい、家族という絆も教えず、このゆとり教育で育ったひよこ達が大人となり子育ても知らず、わが子を殺す。また育てる力もない親たちががノイローゼになることがなんと多いことか。全ては今までの教育が間違っていたと思います。また、その教える教員がプレッシャーでノイローゼになるとはなんとも、だらしのない日本になってしまいました。
私は何度も言ってきました。全ての教職員は自分の能力を知るべきです。
今ほど、教育の面でも日本人老若男女を問わず、今まで日本人が大切に育ててきた「型」を学び、子供達にしっかり教える必要性に迫られている時代はないと思います。
ここに日下公人氏が書いたい本の一説を紹介したいと思います。
「戦後60年の個人主義が国家意識を解体した。」
『デモクラシーと平和の五百年にスイス人は鳩時計をつくった。ならば平和と民主主義の戦後60年は日本人はなにをつくったか?
国家なんか知ったことかとひたすらわが身大事の個人主義をつくった、と言いたいほど、日本人は個人主義になった。
個人にはいろいろ選択の自由があると言って、日本人の集団を捨てる自由を拡大した。つまりは日本の歴史と社会を捨てた。
だから「わが国」ではなく、「この国」になった。
「合理的」とか、「グローバルスタンダードとか言われればいとも簡単になびく人が多数になり、日本国の利益を考える人が非常に少なくなってしまった。
国家意識は解体され、個人主義の弊害が今、各所で現れている。
戦前、日本の国家は、天皇、陸軍、海軍、内務省、大蔵省、警察など権力の締め付けがきわめて厳しかったから、それがなくなってホッとした日本人は、個人主義と自由主義と民主主義の三点セットで幸せを追求した。
しかしそのころその根底には伝統的集団の規律や論理はまだ残っていた。それがみんなが守っている中で、自分だけが自由というのはとても幸せだった。
しかし、みながみな、規律や論理から自由という世界は百鬼夜行の世界である。
可愛い女の娘がレイプされてしまう。そういうところにきているが、警察は民主主義になってもなかなか動かない。
そこで少年犯罪は警察の手を借りず、おたがいに取り締まらなくてはいけないという共同体精神や集団主義が甦ってきた。日本人はようやく目が醒めつつある。』
私は、今まで共産党や社民党ほどこの自由主義と個人主義を享受してきた党はいないと思っています。
それは彼らには「集団としての日本人」からのしがらみがまったくないからである。ですから彼らはよくスウェーデンでは、フィンランドではと、いつでも欧米を例に取り上げ、政府を批判します、批判は大いに結構です。しかしお国柄を忘れてはいけないと思います。国家には国の歴史がまったく違い、523万人しかいないフィンランドなど人口などをとっても比較は中々出来ないのです。福祉が世界一といわれても所得税が40%以上の国には住みたくはありません。今、そのような国は日本国を参考にして国の建て直しを図っているのです。
よく、かれらは「日本に軍国主義の兆しが見えてきた」と批判をします。不思議なことに日本には彼らの言う軍隊というものがないのにも関らずである。したがって軍備を持つ自衛隊と言う存在は彼らにとっては憲法違反なのである、しかしこれは間違いなく彼らは正しい。
軍備を持つ自衛隊を日本が保持しているとは。では国民に問うてみるべきです。
憲法第9条2項、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しないと書いてある。
であるならば非武装では憲法を変えなければ話のすじが通らない。しかし彼らは憲法改正に反対を訴えます。では国民に問うてみましょう、しかし国民投票で問うのも反対だそうだ。これって利己主義の何ものでもないですよね。彼らの性格は自虐性心配性と性善説からなる空想的平和待望論だ。
自分の家に鍵をかけ強盗から守ることは子供でもわかる話です。自分が所属している国家を守ることは至極当然のことです。
そのためには「この国」ではなく「わが国」という意識の中から生まれてこなければなりません。だから彼らには一つ一つの政策については批判をするがどのような国家を作りたいかとするビジョンがありません。
他の国家は決してフェアな国ばかりではありません、我々がフェアになろうともアンフェアな言いがかりをつけてくる国が多く存在することは言うまでもありません。ガス田問題など中国の理不尽な要求、人をさらっておいて逆に返してやるからと金銭を要求する国家、言うことを聞かなければミサイル実験を行い、わが国家を恫喝する国、どれをとってもまともな国などありはしない。
少なくてもわが国はガス田問題で戦艦を持ってくると恫喝などしたことはないしミサイルを撃ち込んだことはない。いたって平和国家でなのである。
従って、我が国は決してアンフェアな国になるのではなく少なくてもアンフェアな国に対ししっかりした防衛を行なうことは至極、当たり前のことなのです。
話はもとに戻りますが個人主義は、個々の人間の主体性を重んじて、一人一人の個人が自由に生きることの権利が保障されている代わりに、個々の人間が「集合して成立する社会」に対して個人としての自覚と責任を負うものだと思います。
日本人は今まで個人主義と利己主義を混同していませんでしたか。
では利己主義は、自分が益することだけを行為の基準として、他者のことや個々の人間で成り立つ社会の利益を全く考慮することなしに、自己本位な生き方を推し進める考え方です。
今の日本人は個人主義と利己主義をはき違えてしまっているように私には思えます。
我々は日本人です。世界の中で堂々と歩んでいける優秀な民族です、しかし、今の日本人は日本人が歩んできた歴史や文化、伝統を忘れていると思います。今こそ、歴史を学び、しっかりした歴史認識を持つことで多くの先人が残してきた英知と偉業を学ばなければいけないと思います。そして優秀な人材を育て、政治、経済、産業、文化の各面にわたり、活躍する、人格を伴った若人を育てていかなければなりません。
経済界だけでなく政治でもメディアの世界でもあまりにも嘘が多すぎると思います。「嘘」や「でまかせ」を日本の子供達に教えてはいけないのです。
今年を振り返った時、これほどまで乱れに乱れた日本はかってなかったと思います。まさに狂乱の年と言ってもいいのではないでしょうか、ほんとうに日本人として残念です。そして無念です。今年もあと3日、残り少なくなりました。皆さんは今年をどのように思われたでしょうか。
今日は文章がバラバラで申し訳けなかったですね。今日思ったことを少し書いてみましたがまた長くなってしまいました。ただ一つだけ最後に言っておきたいことがあります。
もう世界中から日本は「政治は二流、経済は一流」などと言われたくはありませんよね。ぜひ、この日本を立て直すためには信念の政治家、平沼赳夫さんが必要です。そして城内みのる君には来年こそぜひ当選してもらいたいものです。
平成20年、来年こそ皆さんにとってすばらしい年でありますように心からお祈りいたします。
今日も、最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。
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あっという間でもありましたが
イロイロなことが起こり長い一年でした。
来年は
来年こそは、と希望を抱いているのですが
なかなか世知辛い世の中です。
重い通りにいかないことは沢山ありますが
一歩一歩前進していきたいと思います。
あと今日含め二日しかありませんが
良いお年を。
敬具
どこかに置き去りにしてしまっています。
社会的弱者に対する福祉は、そうでない人達に
とっても(例えばもし障害者になったときなどの)
セーフティネットとしてあるのならば正しい。
(なぜなら、結局は其の予算は大多数の人が納める
税金によって運営されるのだから)
ところが、昨今は弱者の人権にとって社会的生活に
ハンディがあることはそれすなわち人権の侵害である、と言う風にだんだんと解釈がすり替わってきている。
これは同和団体が自分たちだけの行政優遇を
求めたのと構造は一緒。
彼らのいう「マイノリティを優遇することはマジョリティのためでもある」というのは嘘。もしくは、単なる建前に過ぎない。