森かずとしのワイワイ談話室

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2011禮山郡月進会来訪団との四日間(その2)

2011-06-06 10:35:59 | 平和のために
 韓国に帰国する16人を今朝見送った。3日からの4日間、新たな訪問団メンバーとも人間的な絆が深まった。
 昨日5日は、午前中、昨秋新装オープンした安江金箔工芸館を視察し、全国シェア99%の金沢金箔の製造術を興味深く見聞した。その足で東山地内の金箔製品販売店に立ち寄り、実際の金箔切り取り、移し替えの作業を見学した。黄金色には、韓国人も魅了されるようで、買い物にも熱が入った。

 午後は、市議会に戻り、私たちが昨年来重視している意見交換会をもった。「韓国併合100年以後の東アジア平和構築のための自治体市民交流」について、論じ合った。
 上海爆弾事件によって負傷し、後に死亡した白川義則大将が出身の愛媛県松山市から、愛媛大学の和田寿博先生と学生が所望して加わった。「坂の上の雲」のイデオロギーでのまちづくりは決して市民の関心を高めてはいないが、放送メディアと行政主導の歴史観が徐々に浸透することは問題があると報告された。白川と尹奉吉の関係性から、未来の平和に通じる思想を紡ぎたいというのが、和田さんの平和学の指向するところだそうだ。金沢の禮山郡との交流史に大いに触発されると締めくくった。私たちも、軍都金沢の底流に流れてきた地域ナショナリズムを乗り越えようとする愛媛の学究に勇気をえる。今後の交流を約束した。
 こちらからは、厚い保守意識の中でも、19年に及ぶ禮山郡月進会との相互交流が、全州市との姉妹縁組を誘引し、暗葬之跡が日韓双方によっての公的認知へと着実に前進し、市民にもまさに徐々に知られるところとなってきたことを確認させてもらった。「偏狭なナショナリズムを超える人類普遍の人権思想へ」昨年禮山郡で開催された東アジア平和シンポジュウムに参加した半沢英一氏は、現地の徳山小学校で子どもたちにも語りかけた経緯を報告した。同行した田村光彰共同代表は、不戦条約の思想が憲法9条に流れ込み、尹奉吉の独立精神と9条の戦争放棄がアジアから平和を発信するとその意義を共有した。
 意外だったのは、李佑宰月進会会長の問題提起に、私たちが思うほど、禮山を含む韓国の地域で尹奉吉義士を夫九九学んでいないことの要因があった。アメリカの強い影響下で戦後分断国家として建国された韓国政権では、アメリカ傀儡故に独立運動の系譜(上海で地下活動した韓国臨時政府)から正統性を奪い取るために独立運動の義士たちは、教育から遠ざけられたと。それは長く軍事独裁政権下でも続けられたが、その影響は残っている。
 独立精神と民主主義は、南北の平和的統一を年頭に、南北の共同の平和運動が必要だ。市民団体によるその動きは始まっている。韓日中が協力することでアジアの時代に展望を開く。秋に再びより大きなシンポジュウムを開くことも報告された。

 世代交代の困難さも抱えながら、韓国月進会は、義士の精神の真の具現化と日本との平和友好の共同作業から東アジアの平和構築の原動力になろうとする脱皮を模索している。時間を大きく超える有意義な意見交換会をもつことができた。これが、今回の来訪受け入れの成果だと思う。



 

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1 コメント

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徳山小学校での挨拶 (半沢英一)
2011-06-08 07:42:41
 お疲れ様でした。意見交換会でも紹介したのですが徳山小学校での私の挨拶は次のようなものでした。
「日本はみなさんのお祖父さん、お祖母さん、曾お祖父さん、曾お祖母さんたちにひどいことをしました。けれどもほとんどの日本の人たちはそのことを知りません。私や田村光彰さんはその間違いを言い続けています。しかし間違いを認める人は少なく、ほとんごの人が耳をそむけ私たちを嫌がります。ではなぜ嫌がられながらそれを言い続けるかといえば、人間は嘘ではなく真実とともに生きなければならないと思うからです。真実とともに生きるということは、日本人である前に、理性を持った人類の一員だと思うことです。皆さんもこれから韓国人であると同時に人類の一員でもあることを考えながら学び育っていってください。世界の人々がそういう考えを持ったとき、またそのときに限り世界に平和が来ると思います。話を聞いていただいてありがとうございました。」
 壇上からは学生諸君のほとんどが聞いていないように見えたのですが(笑)、田村さんによるとけっこうな数の子供さんが真剣に聞いていてくれたようです。

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