森かずとしのワイワイ談話室

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基本条例特別委 具体的な条項案をさらっていくことに そしてドイツ視察報告4

2012-02-23 23:52:56 | 議員活動
 3月当初議会が迫る中、今日は午前中、議会基本条例制定特別委員会で議論した。金沢市議会が基本条例を制定するのはなぜか、どのような議会を目指すのか、その中身を共通認識するために、素案の全体を条項に即して審議していくことになった。


 さて、ドイツ視察その4は、14日午前、ナチスの強制労働被害者への個人賠償基金である「記憶・責任・未来基金」を運営する財団事務局を視察報告だ。
 地下鉄で移動したベルリン市内のリンデンシュトラーセ(通り)にある事務所は、人権擁護に関わる団体のオフィスが入居している歴史的外観のビルにあった。玄関には、EVZの頭文字が表示されていた。ERINNERUNG・VERANTWORTUNG・ZUKUNFTつまり、記憶・背絹院・未来の頭文字だ。私たちは、歓迎され、事務所内に招き入れられた。説明に当たってくれたのは、支払い部門の女性審査担当者UTA GERLANT(ウタ・ギャラン)さんだ。EVZ基金に関する説明の概要を以下に記す。

 EVZ基金は、2000年、社民党と緑の党が連立していたときに創設された。基金は48カ国160万人に対し、総額46.5億ユーロ(約4750億円)を支払い、2007年に終了した。現在は支払い業務以外のプロジェクトを推進しており、人権問題や貧困者支援、平和に関する啓発広報活動、報告書の作成などにとりくんでいる。
 第二次大戦後55年も経過した2000年に、なぜ補償のための基金が創設されたのかとよく問われる。敗戦後からドイツ社会には、被害者への補償をすべきとの考えがあった。しかし、反対が強く、遅れた。ニュルンベルク裁判では主要な戦争犯罪者が処罰されたが、60年代になって残党への裁判が刑期になって再び問題が提起された。70年代には、西側で映画「ホロコースト」が制作され、600万人の殺害が社会的な問題になった。80年代には、連邦議会内に少数派ながら補償すべきとの意見を持った議員が現れた。個々のケースの裁判は提訴されていたが、全体を解決する考えはなかった。犯罪者への処罰は意識されていたが、被害者のことは表面に表れなかった。
 1998年に連邦議会に多数派として連立政権が誕生した。社民党と緑の党だ。1956年に成立したドイツ賠償法は、平和条約を前提としたため、ソビエト、ウクライナなどの被害者に賠償は及ばなかったが、1990年になってそれらの国々の被害者がドイツと行き来できるようになった。講和条約は結ばれなかったが、4プラス2会議で協定を締結して補償を行えるようになった。強制労働被害者で最も多かったのは、ウクライナだった。
 また一方では、ドイツは強制労働被害者に補償すべきとの海外圧力がアメリカから高まった。アメリカでの訴訟が影響した。ドイツ企業はアメリカとの貿易が不利にならないよう解決の必要に迫られた。そこから国際交渉が始まり、国際法上の取り決めを法制度にする法案が連邦議会で成立することになった。これが、「記憶・責任・未来基金」だ。国と企業が半分額を拠出し合ってつくる基金から賠償金を支払う。その代わりに被害者個々が裁判に訴えるのをやめることを誓約するのだ。このことへは批判が出されてきた。
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ニュルンベルク裁判 第二次大戦 特別委員会 議会基本条例
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