12日からのドイツ訪問を前にして、石川日独協会の定例会で、北陸大学名誉教授の鉢野正樹さんのドイツの戦後経済に関する講演を拝聴した。雪が戻ってきた夜、金沢文芸館の五木文庫が会場だ。
鉢野さんの演題は、「ドイツ型資本主義とは :戦後ドイツ秩序自由主義の目指すもの」。長年とりくんできた文献研究の手法は、「philologie」の語源である「言葉を愛する」ことであり、経済という現実に沈潜している奥深いところにある動向を発見する学問である。この文献研究から、戦後(西)ドイツが目指したのは、18世紀のイギリス市民社会をドイツに再興させることではなかったか。第一次大戦後に極度のインフレからナチスの独裁を生み出してしまった過去の失敗が、支配と従属の権力社会ではない水平な人間関係をイギリスの市民社会をモデルにさせたに違いない。
しかし、イギリスが傾斜していった自由放任主義ではなく、そこに動かすべからざる規律・秩序を置いての自由主義の路線を歩んできた。それは、資本主義ではなく、社会主義でもない、謂われるところの「社会的市場経済」である。社会的とは、福祉、配分を意味する。制約なき自由主義は格差を生み、独占を生み、自由そのものを崩壊させる。今日では、米英アングロサクソン型自由主義(新自由主義)とは異質な価値観を土台にする秩序自由主義が、グローバリゼーションにあっても社会の崩壊を防ぎ止めている。
講演は、そのドイツの戦後伝統が現在のユーロ危機への対応にも表れていると見る。欧州中央銀行に対し、アメリカをはじめ主要先進国からは、資金注入、積極的介入を求める声がドイツに集中している。かたくなに金融規律を守ろうと、政治介入を拒むメルケル首相は、頑迷な鉄の女宰相とも揶揄されている。しかし、ドイツはユーロ発足の折りに加盟国間で合意したGDP比財政赤字3%以内、累積債務60%以内の協定の遵守を求めている。この規律を守ろうとすることから、自由主義経済の健全な進展がもたらされるとの考えからだ。新自由主義的対応に対するドイツ的な「ノン」の姿勢と見る。講演の主旨はこのような内容だった。
当然にも、ドイツ経済体制には保守キリスト教民主同盟から社民党、緑の党、左翼党に到る政治勢力が論争している。しかし、その主たる揺れ幅は、社会的市場経済という幅の間にある。これを比較「社会民主主的」なドイツの経済社会の姿として我々も見ている。脱原発・エネルギー転換、戦後補償政策も、教訓から強固に学び、市民的コンセンサスをつくりあげながら確実に動くドイツを象徴している。私たちが今、ドイツを訪問する意味もそこに見いだしているのだ。
鉢野さんの演題は、「ドイツ型資本主義とは :戦後ドイツ秩序自由主義の目指すもの」。長年とりくんできた文献研究の手法は、「philologie」の語源である「言葉を愛する」ことであり、経済という現実に沈潜している奥深いところにある動向を発見する学問である。この文献研究から、戦後(西)ドイツが目指したのは、18世紀のイギリス市民社会をドイツに再興させることではなかったか。第一次大戦後に極度のインフレからナチスの独裁を生み出してしまった過去の失敗が、支配と従属の権力社会ではない水平な人間関係をイギリスの市民社会をモデルにさせたに違いない。
しかし、イギリスが傾斜していった自由放任主義ではなく、そこに動かすべからざる規律・秩序を置いての自由主義の路線を歩んできた。それは、資本主義ではなく、社会主義でもない、謂われるところの「社会的市場経済」である。社会的とは、福祉、配分を意味する。制約なき自由主義は格差を生み、独占を生み、自由そのものを崩壊させる。今日では、米英アングロサクソン型自由主義(新自由主義)とは異質な価値観を土台にする秩序自由主義が、グローバリゼーションにあっても社会の崩壊を防ぎ止めている。
講演は、そのドイツの戦後伝統が現在のユーロ危機への対応にも表れていると見る。欧州中央銀行に対し、アメリカをはじめ主要先進国からは、資金注入、積極的介入を求める声がドイツに集中している。かたくなに金融規律を守ろうと、政治介入を拒むメルケル首相は、頑迷な鉄の女宰相とも揶揄されている。しかし、ドイツはユーロ発足の折りに加盟国間で合意したGDP比財政赤字3%以内、累積債務60%以内の協定の遵守を求めている。この規律を守ろうとすることから、自由主義経済の健全な進展がもたらされるとの考えからだ。新自由主義的対応に対するドイツ的な「ノン」の姿勢と見る。講演の主旨はこのような内容だった。
当然にも、ドイツ経済体制には保守キリスト教民主同盟から社民党、緑の党、左翼党に到る政治勢力が論争している。しかし、その主たる揺れ幅は、社会的市場経済という幅の間にある。これを比較「社会民主主的」なドイツの経済社会の姿として我々も見ている。脱原発・エネルギー転換、戦後補償政策も、教訓から強固に学び、市民的コンセンサスをつくりあげながら確実に動くドイツを象徴している。私たちが今、ドイツを訪問する意味もそこに見いだしているのだ。










