黒沢健一の諸々の曲を聴きだしてから、早5ヶ月。って、まだ5ヶ月かよぉ~。
L⇔Rが最初にミニアルバム「L]だしたのが、1991年11月なのにね。
しかも、黒沢健一の諸々をもっとheavyにもっとどっぷり聴きたいのに、今まで聴かなかった、ブライアン・ウイルソン(メイって書きそ)や、ビートルズやポールマッカートニーを、買ったり、倉庫のような所から出してきたり(そんなところにしまうなよ)して、聴いてしまう。
健ちゃんの諸々にタイトルやフレーズが似てたりすると、ルーツに触れたと言うほど大げさなものではないけど、思わずニコリンコとしてしまう。
そしてモロのカバーの曲に関しては、元歌聴いてみたいという衝動がいっそう強まる。
健’zのfirst album 健’z (健とzに告ぐ。もう少しくっつけ。メンドイからこのまま放置)は8曲中2曲がブライアン・ウイルソンの、残り6曲がポールマッカートニーのカバーである。
萩原健太さんのアコギに合わせて健ちゃんが歌う。ハモリ、コーラスも健ちゃん。
22分、8曲というこじんまりしたものである。
このサイズ、自分にとってはお手頃サイズである。
このアルバム、1回目聴いたときには、なんか物足りないような気がした。
が、とんでもなかった。
2回目で、・・でもいい感じだよね。
3回目で、・・う~ん、マンダム。
そして元歌が無償に聴きたくなった。元歌を聴いた記憶があるのは、VANILLA SKYとEVERYNIGHTくらいしかないという貧しい音楽的バックグラウンドだ。
そこで、出してきたり買ってきたりのアクション。
聴いた感じがやっぱ違う。のはあたりまえか。
例えば、MELT AWAY。リズムが入っているか入っていないかって差もあるけど、ブライアン・ウイルソンのは、テンポが軽快だが、声全体が人生の悲哀さを漂わせてる。が、聴き終わると暖かい。
健ちゃんのは、アコギの美しい音に、健ちゃんの声が重なり、どことなく悲しい声だが、透明で荘厳な感じになっている。もう少し厳格にすれば教会でもモスクの中でもどこでもいいけど、聖歌ですよ~っていっても、「ハイ、そうですか」って、充分イケそうな感じだ。
JUNKなんかは、ポールの方は、途中ベースやリズム入ってくるからかもしれないけど(というか、その割には?)、全体がさりげなくオシャレだなと思う。
健ちゃんの方は、ポールのに比べると、ギター一本、チョイねちっこく叙情的な曲に仕上がっている。といっても健ちゃんの声の伸びとか、日頃の歌い方からすれば、押さえて、さりげない歌い方な訳だが。
どちらが好きかとかいうのは考えても面白くないことだ。
面白いのはカバーする人が、元の曲をどう捕らえ、どう表現しようとしたのかっていうことだ。
スピッツのチェリーはいろいろな人にカバーされている。
みんな元の曲を自分なりに理解して、そこで新たに自分というものを盛り込んで
新しいものを構築する。違いがいっぱいで面白い。
なんかだらだら書いてるな。
2006年の前半の友人への贈り物はスピッツのサイクルヒットだ。
2006年の後半はこれだな、これ。これで決まり。健’z。
何故今頃。
答えは至って簡単。
自分が知ったのが、2006年だから(の自己中)。
サイクルヒットより値が安い。しかもツー(通)みたいでいい感じだよね。
と、世俗的発想の自分です。
でもそれ以上に、自分の知り合いに聴いて貰いたい。
オタカラの数を増やして貰いたい。のです。
健ちゃんの音楽活動は見えない。
出た物にたより、
根性いれて
出た物を聴こう。
ほかで見つけたんだけど
曲の提供か。
http://www.yukawashione.com/main.html
でも時として
健ちゃんのライブが入ったら
どんなに、毎日が張りのある
ドキドキな毎日になるだろうと思ってしまう。
ジャパンのロックフェスのインターネット予約の第2弾がやっと当たった。
といっても自分のではなくて頼んでおいた他人のがだが。
おもいっきりの他力本願。
で、
PUFFYも見られることとなった。
ということはき~ちゃんが見られるのだろうか。
初き~ちゃん。
って、動物園のお猿を見に行くわけではないな。
見られる>聴くことができる、だな。
J-waveの夏祭り、J=WAVE 2000+6の初日にも
PUFFYが出る。
木下裕晴は出るのだろうか。
ツインピークスのこと書くの忘れた。
時間がない。
次回にしよっと。
L⇔Rが最初にミニアルバム「L]だしたのが、1991年11月なのにね。
しかも、黒沢健一の諸々をもっとheavyにもっとどっぷり聴きたいのに、今まで聴かなかった、ブライアン・ウイルソン(メイって書きそ)や、ビートルズやポールマッカートニーを、買ったり、倉庫のような所から出してきたり(そんなところにしまうなよ)して、聴いてしまう。
健ちゃんの諸々にタイトルやフレーズが似てたりすると、ルーツに触れたと言うほど大げさなものではないけど、思わずニコリンコとしてしまう。
そしてモロのカバーの曲に関しては、元歌聴いてみたいという衝動がいっそう強まる。
健’zのfirst album 健’z (健とzに告ぐ。もう少しくっつけ。メンドイからこのまま放置)は8曲中2曲がブライアン・ウイルソンの、残り6曲がポールマッカートニーのカバーである。
萩原健太さんのアコギに合わせて健ちゃんが歌う。ハモリ、コーラスも健ちゃん。
22分、8曲というこじんまりしたものである。
このサイズ、自分にとってはお手頃サイズである。
このアルバム、1回目聴いたときには、なんか物足りないような気がした。
が、とんでもなかった。
2回目で、・・でもいい感じだよね。
3回目で、・・う~ん、マンダム。
そして元歌が無償に聴きたくなった。元歌を聴いた記憶があるのは、VANILLA SKYとEVERYNIGHTくらいしかないという貧しい音楽的バックグラウンドだ。
そこで、出してきたり買ってきたりのアクション。
聴いた感じがやっぱ違う。のはあたりまえか。
例えば、MELT AWAY。リズムが入っているか入っていないかって差もあるけど、ブライアン・ウイルソンのは、テンポが軽快だが、声全体が人生の悲哀さを漂わせてる。が、聴き終わると暖かい。
健ちゃんのは、アコギの美しい音に、健ちゃんの声が重なり、どことなく悲しい声だが、透明で荘厳な感じになっている。もう少し厳格にすれば教会でもモスクの中でもどこでもいいけど、聖歌ですよ~っていっても、「ハイ、そうですか」って、充分イケそうな感じだ。
JUNKなんかは、ポールの方は、途中ベースやリズム入ってくるからかもしれないけど(というか、その割には?)、全体がさりげなくオシャレだなと思う。
健ちゃんの方は、ポールのに比べると、ギター一本、チョイねちっこく叙情的な曲に仕上がっている。といっても健ちゃんの声の伸びとか、日頃の歌い方からすれば、押さえて、さりげない歌い方な訳だが。
どちらが好きかとかいうのは考えても面白くないことだ。
面白いのはカバーする人が、元の曲をどう捕らえ、どう表現しようとしたのかっていうことだ。
スピッツのチェリーはいろいろな人にカバーされている。
みんな元の曲を自分なりに理解して、そこで新たに自分というものを盛り込んで
新しいものを構築する。違いがいっぱいで面白い。
なんかだらだら書いてるな。
2006年の前半の友人への贈り物はスピッツのサイクルヒットだ。
2006年の後半はこれだな、これ。これで決まり。健’z。
何故今頃。
答えは至って簡単。
自分が知ったのが、2006年だから(の自己中)。
サイクルヒットより値が安い。しかもツー(通)みたいでいい感じだよね。
と、世俗的発想の自分です。
でもそれ以上に、自分の知り合いに聴いて貰いたい。
オタカラの数を増やして貰いたい。のです。
健ちゃんの音楽活動は見えない。
出た物にたより、
根性いれて
出た物を聴こう。
ほかで見つけたんだけど
曲の提供か。
http://www.yukawashione.com/main.html
でも時として
健ちゃんのライブが入ったら
どんなに、毎日が張りのある
ドキドキな毎日になるだろうと思ってしまう。
ジャパンのロックフェスのインターネット予約の第2弾がやっと当たった。
といっても自分のではなくて頼んでおいた他人のがだが。
おもいっきりの他力本願。
で、
PUFFYも見られることとなった。
ということはき~ちゃんが見られるのだろうか。
初き~ちゃん。
って、動物園のお猿を見に行くわけではないな。
見られる>聴くことができる、だな。
J-waveの夏祭り、J=WAVE 2000+6の初日にも
PUFFYが出る。
木下裕晴は出るのだろうか。
ツインピークスのこと書くの忘れた。
時間がない。
次回にしよっと。