葱白く洗いたてたるさむさかな 松尾芭蕉
葱は中国西部あるいはシベリアが原産といわれるユリ科の多年草。古くから
いたるところで栽培され、利用法は多い。これからの寒い季節の鍋料理になど
はに欠かせない野菜である。
「葱を捨てたりや/ しおれて枯れた/ 捨てりや葱でも/ しおれて枯れる
お天道さま見て/ 俺(おら)泣いた」野口雨情の代表作の一つである。
言葉の技法もないし、難しい字句もないが、それだけに一層、捨てられた葱、
それに象徴されるものに寄せる雨情の思いが胸を突く。
幼いころに聞いた、童謡「あの町 この町」を思い出していただきたい。
作詞・野口雨情、作曲・中山晋平のこの童謡は、大正3年1月、
童謡雑誌『コドモノクニ』に掲載、翌年4月には『金の星童謡曲譜集』に
収められ以来、歌い継がれている。
「あの町 この町 日が暮れる 日が暮れる 今きたこの道 かえりゃんせ
かえりゃんせ」 の歌詞からイメージされるような「もっと遊んでいたい」との
願いはいつの時代の子供も変わりはない。
野口雨情は明治15年、茨城県・磯原町(現・北茨城市)に生まれる。生家は
かって水戸藩主の御休息所として「観海亭(かんかいてい)」と称された
廻船問屋で現在では「磯浜御殿」ともいわれたほどの名家だった。だが、
父の死とともにその名家も衰退してゆく。以後、家督を継ぎ、
山林管理などの仕事をする。
雨情には「波浮の港」、「十五夜お月さん」、「七つの子」などの作品が
あるが、自ら鋤・鍬(すき・くわ)を手にして、山刀を腰にして山林で働いた人
の生活観、土のにおい、村に生きる人々の深い祈りがあるーといわれる。
雨情のその思いは「私はわが茨城の風土をして、童謡啓蒙に貢献せし如く、
民謡の啓蒙にも貢献せしめたい切なる希望を有するの」大正14年頃の
茨城『常総新聞』に掲載された「茨城の風土と民謡」にも伺える。