毎日がしあわせ日和♪

熊野の里から穏やかな日々の暮らしをつれづれなるままに

そうなるようにできている

2017年05月17日 17時55分20秒 | 貴秋の視点、あるいは偏見


欲しくてたまらなかった物を手に入れるとさっそく使ってみたくなるように、これは!と魅了される情報に出会うと さっそく試したくなります。

情報は まだ口にしていない食物のようなもの、どんなに素晴らしくても 内に取り込んで消化して自分の智恵や力に変換しないと使えませんものね。

でもそこで無理強いせずとも すぐさま進んで試したくなるのは、生まれる前にそのようにインプットされているからなんだろうなぁ




しかし 最初はいいのですが、時間が経つにつれて 様子が変わってきます。

その情報を通して目に見える成果が上がらないと、だんだん不安になってくるのです。

情報自体が間違いだったのか?

自分の捉え方や用い方が違っているのか?

それとも まだプロセスの途中で 変化が形になるところまで達していないだけなのか?

このまま進む? やり方を変える?

迷いがどんどんふくらんで アタマを使い過ぎてくらくらし、しまいにわけがわからなくなってきます。

いったい自分はこんなところでなにをやっているんだろう?

氣は確かなんだろうか?

自信がどんどんなくなり、エネルギーが落ちていきます。




が うまくしたもので、こういう探究を今生のテーマと定めているらしい者は こんな状況も織り込み済みということなのでしょう、ちゃんと対処できる設定にしてあるらしく、煮詰まってぶちキレて もうこんなのやだー と投げ出しかけても、少し落ち着くと いや待て もう少し続けたらどうなるか ここまできて見届けずにおれようかと さいごはいつも好奇心のほうが上回るのです

あるときとことんアタマに血が上って もうこんなバカみたいなことやめだやめだ となりかけたとき、ふと氣がつきました。

内なる探究をやめた自分なんて考えられない、そんな選択はあり得ない、五感を超えた世界を見つめなくなったら それはもう自分じゃないのだ、と。

あれ以来、どんなに苦しくても やめる ・ 投げ出すという選択肢は上がってこなくなった氣がします (^^)

そして、ヤケにならずにじっと状況を見つめていると、ああ ここで間違えていたのかと氣づかせてくれる新たな情報が 必ず現れるようになりました。

っていうか、以前からいつも現れていたのに いら立ったり自信がなかったり迷ったりしていて 見逃してしまっていただけなのでしょう。




とにもかくにもそのように設定されて生まれてきている、そうなるようにできている、そう氣づくと 不安が薄れ 迷いがぐんと減ります。

そんなふうに定まっているものを “天命” などと呼ぶのかもしれません。




















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