毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

差取り

2016年05月09日 12時28分23秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


二極対立の世界は、「差がある世界」 なんですね。

本来 ひとつのものの程度の違いでしかないところに くっきり分け目をつけ、そこに 早いほうがいいとか 高いほうがえらいとか 比較概念を持ち込むことで、「差」 が生じます。

比較が入らなければ、高かろうが早かろうが重かろうが遠かろうが、それはそれ、というだけのこと。




そんなこの二極世界の性質を活かして、私たちは長い時間をかけ 差がつく ・ 差をつける というのはどういうことか、とくと体験してきました。

そして今は再び、いったん分け出したその 「差」 を取り去る、ゼロに戻す道のりに入っている。

それが、差取り = 悟り の時代ということなんですね。




私が悟りにこだわっていたころ、悟りとは なんかすごいこと、めったにできない神秘的な体験をすることだと思い込んでいました。

そして、自分はめったにない体験をしたんだ、どうだ すごいだろう、と優越感を感じたかったのです。

それぐらい自分に自信がなかったということです (*^-^*)ゞ

でも、今見えている悟りは まるっきり逆、差をなくしてフラットにすること、分け隔てなかったころに戻ること。

それは、失っていた自信を取り戻すことでもあります。




「差」 は 二極世界の産物、悟り = 差取り は 対立する二極を越えてゆくこと。

「差」 には 基準となる線引きという条件がつきますが、差取りは 条件をなくす ・ ゼロに戻すこと。

二極世界の愛や幸せは条件つきだけれど、差取りの世界の愛や幸せは 無条件。

そして、無条件とは 誰にでも実現できるということです (^^)




よりよくあろうというのは 人の自然な欲求だけれど、「よりよく」 にこだわり過ぎると 対極の 「より悪く」 の存在も大きくなってしまうのを避けられません。

「前向きでいなさい」 「いい氣分でいなさい」 というアドバイスも その真の意味ではもっともなのだけれど、実践に当たって 「前向き」 「いい氣分」 に執着してしまうと、その反対のものにつきまとわれて悩む羽目になります。

ブレイクスルーのカギは、「ワクワク」 などという表現でよく表されるもの、貴秋風に言えば 「今の一番」、その瞬間 内側から迷いなく 「は~い、これ (⌒∇⌒)ノ」 と飛び出してくるもの、相対的でなく 絶対のもの。

それが飛び出してくるのは、無条件にいのちが開いている状態、岡本太郎さん言うところの 「爆発」 なんですね。

比較が入ると 他者の目を氣にして 見る者と見られる者に分裂してしまうけれど、「ワクワク」 に夢中になっているときには それどころじゃない、“まったきひとつ” の自分だから、いのちのエネルギーそのもの、いささかの目減りもないわけです。

表現の形はなんでもいい、瞬間瞬間そんな自分であり続けることが 最高の人生なんじゃないかなって思います。



本来のありのままの自分から離れる体験をするため 「行き」 の道で身につけた さまざまな偽りの情報、その向こうに ほんとうの望みと一体の 本来の自分がいます。

悩んでいようと 迷っていようと いつでもいるのです、雨風吹きすさぶ灰色の空の向こうにも つねに輝く太陽のように。

ほんものでないものは、無心に見つめれば 消えます。

自分の心を見つめ続けると、いつも消えずに残る “なにか” の存在を 次第に感じるようになります。

それが 自身のエッセンス、ほんとうの自分そのもの。

五感では掴めなくても、その存在を感じることはできます。

そして それとひとつであるとき、不安とか失敗とか挫折というものは 存在し得ないのです (*^^*)

余分な情報が少ない 幼い子どもほど 生き生きしてパワフルなのは、そのため。

そして 私たちみな、そんな子ども時代があったのです。




「かえる」 道のりは、いったん離れたいのちそのものの幼子のありように戻る道のり。

それを生きるには、ただ自分をまっすぐ見つめ、そこに現れたものに素直に沿って生きるだけで十分なようです \(^o^)/



























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