北の隠れ家

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創作落語   「 般若の面 」     HP「kazemata劇場 第2幕」より

2017年08月09日 13時58分09秒 | 小説



「 創作落語  般若の面 」


  
え~、一席お付き合いのほどをお願いもうしあげます
なんでございますが、かの大町桂月さんてぇお人がおられましてね、へぇ、左様でございます、ついこの先の「層雲峡」の名付け親さんでございます。この方が、日本人は五十音のア行とハ行で「笑う」と、ものの本に書かれているそうでございます。つまり、アハハ、イヒヒ、ウフフ、エヘヘ、オホホ、といった具合でございますな。

この五通りの笑いによって、笑いの内容が変わってくるんでございますな。アハハは陽気な笑い、イヒヒはちょっと下げかかった卑俗な笑い、ウフフはふくみ笑い、エヘヘは太鼓持ちや番頭さんが見せる対従笑い、オホホはたもとで・・・・・ということでござんすな。

しかしですな、実は、何の音声も伴なわない「不可能な笑い」をわれわれ日本人は、生活手段の一部として持っているのでございます、へぇ。これが、俗にいう「ジャパニーズスマイル」てぇ云われる「微笑」てぇ奴でございます。「微笑」わかりますな、「微笑み返し」てぇ歌がございましたが、その「微笑」でございます。週刊誌の名前にも、ありましたな。

まぁ、前置きはこのくらいにしておきまして、へぇ。




「般若のお面」てぇもんを、皆様ごぞんじのはずでございますな?へぇ、あのこわ~い女性の角をはやした、珍しいお顔をしたお面でございます。なんでも、話を聞くと、現在でも、福井県の吉崎てぇところに、【肉づきの面】てぇ名の般若の面があるということでございます。


昔、この地に大変意地悪な姑さんと、心の優しい信仰心の厚いお嫁さんがおりましたそうで。このお嫁さんは、信仰心の厚いお方だけありまして、どんなことでも姑さんの言うことを聞いていたそうでございます。このお嫁さんのたった一つの楽しみは、毎晩仕事が終わった後での「お寺まいり」でございました。


姑さんは、何とかして、この嫁をいじめてやろうと思っていたんでございますが、いつも何をいっても逆らわずに、「はい、はい、おかあさま」「はい、かしこまりました」と言うことを聞くもんでございますから、いじめる機会がなかなか無かったのでございます。
それで、或る日、嫁を呼んで、「私はなぁ、こういう下の句を作ったんじゃが、どうじゃな、お前、これに上の句をつけて読んでごらん。下の句はな、

【世に鬼婆と人の言うなり】
というのじゃが」



すると、嫁はしばら~く考えておりやしたが、やがて顔をあげると、
「おかあさま、出来ました。
【仏にも、まさる心をしらずして】

というのは、いかがでございましょうか」と云ったんでございます。
その上の句を聞いた姑は、びっくりいたしやした。せっかく、嫁をへこませてやろうと、わざわざ自分の悪口を言い易いような下の句を作ってやったのに、

  ほとけにも  まさる心を知らずして

  世に鬼婆と  人の言うなり

 となれば、文句をつけようが全然無いではございませんか。


姑は、いよいよ嫁が憎くなり、今度は、嫁のたった一つの楽しみである「お寺まいり」をやめさせようと、考えたのでございます。或る晩、嫁が「お寺まいり」に出掛けてから、恐ろしげな般若の面を持ち、嫁が帰ってくる途中の暗闇にかくれて、嫁の来るのを待ち伏せしていたんでございます。



そのうち、やがて嫁が、真っ暗な道を提灯も持たずに、念仏をとなえながら、たった一人でやってきのでございます。般若の面をつけた姑は、突然、嫁の前に飛び出すと、「こらぁ~、とって食うぞ~」と、大声をあげたんでございます。それを見た嫁は、平然として
「私には、み仏がついておられます。この世の何が怖いでしょうか。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と念仏を唱え続けたのでございます。



拍子ぬけした姑は、急いでとってかえすと、嫁の戻らぬうちにと、鬼の衣装をぬぎ、面をとろうとしたのでございます。ところが、どうでしょう。なんとしても面が取れないのでございます。
そこへ、嫁が帰ってまいったのでございます。面がとれないで苦しんでいる姑の姿を見たとき、さっきの鬼は、姑が化けたものであったことに気がついたのでございます。



が、そのようなことには頓着せず、力を合わせて面をとろうとしたのでございます。どうしても取れないことがわかると、
「さぁ、おかあさま、一緒にお寺へ参ってきましょう。そうしたら、きっと面がとれますよ」と、やさしくなだめると、手を取り合って寺へむかったのでございます。
寺へ行って説教をきかせてもらった姑は、それまでの行為を恥じて、ぼろぼろと涙を流し、心から嫁に許しを乞うたのでございます。嫁は、姑の心がやっと信仰に向かったことを知って、共に手を取り合って喜んだのでございます。
そのとき、あれほど、どうしても取ることが出来なかった般若の面がぽろりをはずれて、下に落ちたのでございます。



この話を聞いた「お地蔵長屋」の連中は

ハチ公「聞いたかい、熊さんよ。えれぇ、嫁さんじゃねぇか。」

熊 公「そうだなぁ、おめぇのかみさんに比べりゃ、天女と鬼のちげぇだ~(笑)」

ハチ公「まちげぇね~、確かにアハハッ。それにしても、すげぇ上の句だなぁ」

熊 公「大家さん、どうお思いなさりました~?」

大 家「人間てぇのは、お互いに欠点がございます。それをあばきあったのでは嫁と姑どころか、夫婦、兄弟、職場の同僚においても、憎しみ会うだけでござんしょう。 それを「ほとけにもまさる」と受け止めるところに拝み合う世界てぇものがあるんですねぇ。」

ハチ公「へぇ、そんなもんで。拝み合うねぇ・・・。」

熊 公「まぁ、ハチ公にはとうてい無理だろうがねアハハッ。」

大 家「熊さん、そんなことを言っちゃいけねぇ。お互いに拝み合わなきゃなぁ。」

ハチ公「そうそう、そうなんでござんすよ、熊公。お互いてぇところがでぇじなんでさぁ、ねぇ、大家さん。」

大 家「そうですよ。この長屋の名前が、店子のみなさんにその意味をわかっていただける良いお話しでしたよ。怨憎会苦てぇ言葉があるのをご存知かい?」



熊 公「なんです?そのオンゾウエクてぇのは?」

大 家「つまり、この世で生きていくには、嫌な奴と会う苦しみ。わたしにも経験がある。嫌な奴の声を聞くだけでも心がいらいらする。この苦しみを克服するにゃどうしたらいいか悩んでもんでございます。
或る夜、夢の中に、お釈迦様があらわれて「許してやれ、許してやれ、お前が出来ることは助けてやれ、誰しも経験のないことはわからないものだ。お前にも非はある。それを反省して仕事に励め」といわれわたしの心は、すっきりと霧が晴れた。」

ハチ公「へぇ~、夢の中にお釈迦様がねぇ。まゆつばもんの話でござんすが、つまり、こう思えって、お釈迦様がおっしゃってるんで。自分のほうが悪かった、相手は悪くないのだと、心から思えたとき、さっき大家さんが云っていた「怨憎会苦」てぇ奴が克服することが出来るだと、こう、おっしゃってるんで。」

大 家「そういうことだな、八っつぁんもわかってきたじゃありませんか。」

熊 公「ハチ公、今の話とは関係ねぇが、この前、おめぇがこの長屋に引っ越して来たとき、いろいろなことおかみさんから聞いてるぜぇ。
引越しのとき、おめぇ、かみさんに今迄どこほっつき歩いていたんだっていわれたろう。大家さん、聞いてやっておくなせぇ。」

大 家「いったい、何があったんでございます?」



熊 公「この野郎、かみさんにそう云われたら、人力車と自転車が突き当ったんだといったでさぁ。それで、かみさんが、危ないねぇ、怪我しなかったかい?って、聞いたら、こん畜生、おれが突き当たったんじゃねぇ、向こう同士で、突き当たったんだって、云ったんでぇ。
引越しで忙しいのに、のんきに交通事故を見物していたんでさぁ。それから、まだ、あるんでさぁ、おめぇ、かみさんにほうきをかける長い釘を打ってくれって言われて、間違ってカワラ釘を打っちまったんだって。」

ハチ公「そうなんでぇ、その釘が運の悪いことに隣の家へ抜けてしまったんでぇ。
それで謝りにいくてぇと、相手の奴が、お前さんは本当にそそっかしい人だ。お宅は、ご家族は何人おられるんだって、聞かれたんで、自分と女房と、それから78になる親父になる親父がいまして、これがまた、身体の具合が悪いんで、年中、二階で寝たっき りで。と答えたんでさぁ。」

大 家「そこで、お前さん、引越しする前の家から、その親父さんを連れてくるのを忘れてきたことを思い出したんだろう。
あきれて、ものが云えねぇ。冗談じゃねぇ。なんぼなんだって、親父を空き家に忘れてくる奴があるもんじゃねぇ。あきれた奴だ。」



ハチ公「なぁに、親父を忘れるくれぇはおろか、酒の上じゃ、我れを忘れる。」

お後がよろしいようで。

                          平成19年6月26日執筆




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