風まかせ放浪記

バイクといろいろ日記帳

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

幸せに生きるために その1

2012年06月08日 17時23分50秒 | 読書感想文
毎週、毎週、バイクで走り回って、子供のように遊び呆けていた去年の夏、
ツーリングの帰りに立ち寄った本屋で、何気に手にした一冊の文庫本に
目がとまった。小池龍之介和尚著の「平常心のレッスン」がそれ。そのときは、
こんなことをわざわざレッスンしないと出来ないもんかいな?とは思ったが、
現実には、平常心を維持し続けるというのはそう簡単なことではない

プライベートにおいては、家族もみんな元気だし、家庭内の悩みもなく、
余暇は自分の好きなことが出来て、良い仲間がいてくださり、かなり高い
満足度で幸せに生きていると思っているが、仕事については、日々、一喜一憂
して喜怒哀楽を繰り返し、瑣末なことに囚われて忙しい日々を送っている。

「忙」という字は心を亡くすと書くとおり、ウィークディは出張疲れや、
なんだかんだで、帰って寝るだけの毎日を繰り返しているが、若いころと
違ってこの年齢になってくると、そんなことに残り少ない貴重な時間を
費やしているのって、なんだかもったないない気もするが、まだのんびり
余生を過ごすという時期ではないのだから、当分は会社人間でがんばる
しかないんだろうなあと思っている。

その本には「ちいさなプライドを捨てて喜怒哀楽の揺れに振り回されず平常心で
いると楽になれる」とあった。逆境に立たされてもイライラしたり、凹んだり
しないこと。あるいは何かを成し遂げたり、手に入れたりしても過剰に喜んだり、
興奮したりしないこと。心の振れ幅はあるにしても怒っても、喜んでも再び
ニュートラルで凪いだ心へと戻れる心の柔軟性が大切で、平常心がすこしづつでも、
身についてくるなら苦しみは減り、穏やかで幸せな淡々とした日々が自然に
訪れるのだとある。

最初はペラペラめくって要旨だけ斜め読みで立ち読みしようと思ったが、
目次のあちこち気になるフレーズが目にとまり、店先で読み入ってしまった。
日常の苦しみを減らして幸せに生きるために、もっとも大事なものが平常心
であり、そのためには、プライドや、支配欲、快楽への欲求など心を苦しめる
ものの正体を知って、自分のあるがままの心を受け入れていけばよいという
ようなことが書かれていた。苦しめるものの正体を知るって・・・?自分を
苦しめているように見えるものは仮の姿なんだろうか?何が自分を苦しめて
いるのか判っているつもりで、実はよく判っていないってことか?

その苦しみの正体を知ることで、「どんなときでも平常心でいられたら、
生きるのが楽になるのだ」というお坊さんの考えに辿りつけそうな気もして
700円の文庫本を購入し、レッスンなるものを開始してみた。
その結果は?といえば、残念ながら半年が経った現在においても、ほとんど
身についていない。だから、理屈がわかっても簡単にできることでは
ないんだろうなと思う。この手の仏道に関する本はいくつも読んでいるので、
途中からフレームや落とし処が同じだなあと思うのだが、理解できたような
気になっても、いつものことだが実際にはなかなか身についていない。
しばらくはその気になってトレーニングに励むのだが、すぐに忘れてしまい、
いつもの自分に戻ってしまうけど、最近「あ・・今かな?」と気づくように
はなってきたかもしれない

この本を読み終えた直後に、これはまったくの偶然なのだが、定期健康診断の
再検査を知らせる召集令状が届いた。3日間検査入院の結果、ドクターからは
「今すぐにどうにかなるということはありません。でも、このまま治療せずに放置
すると「死」に至る可能性があります。手術が必要です」という宣告を受け
「え゛・・・」一瞬、言葉が出なかった。(これは既に入院手術で治癒済みなのだが)
頭の中が真っ白になって悪い夢を見ている気分だった。

しかし、まるで、神様がそんな事を受け入れるために、心の準備として
学習すべく渡された1冊の本だったような・・・他人事のように(他人事なのだが)
話すドクターの前で「あるがままを受け入れる」という言葉が頭をよぎった。
でも、そんなことは修行を積んだお坊さんだから出来ることで、我々凡人には
難しいことかもしれない

それにしてもこのお坊さん、34歳と若い年齢で、よくもここまで達観できる
ものだと、プロフィールをチェックしてみたら、『考えない練習』などが
ベストセラーになっていて、浄土真宗のお寺に生まれながらも、宗派仏教に
疑問をいだいてインディペンデントで座禅を教えたり執筆活動しているようだ

仏道の専門家からすれば小池言説に異論はあるのかどうか知らないけれど、
著書の中には興味深いものがいくつもある。大阪府の中学校教諭の家に生まれた
小池和尚は、11歳のときに父が寺の住職として働くことになった山口県山口市に
転居。東大の教養学部地域文化研究学科ドイツ地域文化研究分科を卒業し、
卒業後は寺院に勤務。東大時代、学生結婚をしていたが離婚。著書『坊主失格』
においては、自らの奇行癖、複数の女性との同時交際、妻や母親への暴力、
恋人の自殺未遂を告白している。この本は、自分がいかに酷いヤツだったか
という半生をカミングアウトして振り返りつつも、仏道で「変われた」という
自らの体験を書いたものだ。

書によれば「平常心」の対極に在るものといえば、それは「執着」であり
「執着」とは、特定の反応様式へと「心がパターン化」することでもあるのだという。
例えば、「仕事ができる自分」への執着があるとすれば、自分のイメージ以下の
仕事パフォーマンスしかできなかったとき、自己否定に陥り…。
繰り返すうちにどんどん、執着しているはずの「仕事のできる自分」から
遠ざかってしまう。あるいは「やせて美しい自分」に執着している人は、
進まないダイエットから自己否定、ストレス、過食、太ってしまう自分、
さらなる自己否定と、悪循環へと陥っていく。そして「平常心」の一番の
敵は慢心するの「慢」(プライド)と説く

「慢」には根源的には「比較する」という意味があって、真面目で責任感が
強い人ほどうつ状態に陥りやすいといわれる。「自分はここまでできるはずだ」
という過剰なプライドのなせる業と捉えることもできるのだ。仏道の立場に立てば、
過去は過ぎ去って、もはや存在しないもの。その過去は頭のなかに刷り込まれた
幻に過ぎないのだが、過去から積み重なってきて記憶に刷り込まれた感情の持つ
エネルギー「業=カルマ」により、今、この瞬間を味わうことを、妨げられて
しまうのだ。

また、「自分を無条件で愛して欲しい」という「慢」は絶望的に実現が
不可能なもので、その実現不可能なものを望み、当然手に入れられないから、
人間関係で疲れるはめになる。こんなふうに考えると、多くのことに合点がいく。
金メダリストなど頂点を極めた人が、そののち多く苦しんだり、会社のトップが、
とげとげしく、攻撃的になるのも、家に帰ると家族に対してつい腹を立てて
しまうのも、みんな、傷ついた「慢」のせいなのだということ 

次回は、本に書かれた内容を引用して、もう少し深堀りしてみようと思う
ジャンル:
ウェブログ
コメント (2)   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 退職貧乏父さん、5つの落とし穴 | トップ | しあわせに生きるために その2 »
最近の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (nihao)
2012-06-09 18:07:29
私のような専業主婦は、幸か不幸か外界との接触が少なく、緊張したりストレスを感じることがあまりありません。
だから平常な時は平常心で、異常な時はそれなりの異常心(?)でなんとなく乗り切っています(^_^)
しかしスポーツ選手とか勝負師とか企業戦士とか...
常に『平常心』を保たなければならない職業の方は大変ですね。

それにしても又三郎さんは、病気や仕事のことで窮地を乗り越えられた方ですから、既に『平常心』はクリアされていらっしゃるのではないかと思っていましたが、このような書物を読んで指針を得ていたのですね。
私は心が平常ではないときは物語の世界に入り込むのですが、ここらへんの違いが面白いなと感じています。
nihaoさん (管理人)
2012-06-10 21:40:34
いやはや、まだまだですねぇ~(^^)
病気も含めプライベートは安定しているのですがし
仕事関係のジレンマというか上手くいかないことを
あるがままに受け入れて仕方がないのだと気持ちを
落ち着かせようとするような考え方は、まだやるべきことを
やり切ってないだけのような気もしています
そのような手法で自分を納得させようとしても単なる逃避のようで
この本に書かれたロジックとは少し違うような気もします
自分が辛くないように平気でいる訓練を積むみたいなことは
問題からの逃避で何も解決にならないような気もしています
なんて書くと、かなり落ち込んでるように見えますが、
実はさほどでもありませんのでご心配なく(^^)
遊んでばかりいて、怠けているせいもあります(^^)

コメントを投稿

読書感想文」カテゴリの最新記事

関連するみんなの記事

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
ブログ作成者から承認されるまでトラックバックは反映されません。