風まかせ放浪記

バイクといろいろ日記帳

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しあわせに生きるために その2

2012年06月22日 19時11分34秒 | 読書感想文
だいぶ間延びしてしまったけど、前回の続きです。「平常心のレッスン」は、どこまでやれるのか、あるいはどこまで効果があるのかはよく判らないけれど、日常のストレスを溜め込まずに、上手く捌いて、マイナススパイラルに陥らないためには有効な手段ではないかと思います。どういうわけか、怠けているつもりはないのだけど、物事がうまく回っていかない時ってあるんですよね。焦って必死になればなるほど、空まわりする感じで、ゆらゆらと揺れている気持ちをどうすれば、自分ひとりで、うまくコントロールできるものなのか・・・

第1章「なぜ平常心でいられないのか?」

ここの要旨を整理してみると、平常心を保つには「反応しない」「物事に過剰反応しない」もあるが、何か物事が起きたときにそれをすぐに拾いにいかずに、仏道でいうところの「捨」でとりあえず「捨てておく」のだという。そして、その「捨」の対極にあるのが「執着」であり、ひとは自分が執着していることに対してひとから、褒められたり、けなされたりすると、それを「捨てておく」ことが出来ないらしい。

それを裏返すと、自分が執着していないことについては確かに「人の評価」はさほど気にならない。これを仕事の面からみると、一生懸命仕事をして労力を投入すればするほど回りからも認められるようになり「仕事が出来る自分への執着」が生まれることになる。仕事がうまくいってるときには有頂天になったり、傲慢になったり、生意気になったりする。そうやって「仕事が出来る自分」に執着してしまうから、反対にちょっとでもうまく行ってないときの落ち込みはひどくなる。このことを「成功に執着することはある意味で、落ち込むための準備をしているようなもの」という例えで書かれていて、なるほど、そうかもしれない。

また、他人を見ておかしいなあ、と思う気持ちは普通にあることだけれど、一転して、そのような評価が「自分」とうものに向かうときに、平常心は壊滅的に破壊されてしまう。なぜそうなるのか?「自分の・・」という形容詞がついたとたんに平常心はかき乱される(ここが胆なんだろうなあ、たぶん)。だから物事が「自分」により近づいてくると平常心を保つのは難しくなるわけで、自我に関する評価に七転八倒することになるわけだ。

また、平常心の対極にあるのが「プライド」であり、前回の記事にあるとおり、まじめで責任感の強いひとほど、うつ病になりやすいようで、それは「自分はここまで出来るはず」という過剰なプライドのなせる業であり、そのプライドの高さが「現実には出来ない自分」を許してくれないのだという。その結果で、自分の心が自分自身を許してくれず、ヨレヨレになってしまうと書かれていた。

文中ではこのプライドを「慢」とよび、この「慢」の根源的な意味は「比較する」という行為を指す。自我のイメージは何かといえば膨大な「過去の記憶の集積」であり、人は自分を他人とも比較するが、それよりも頻繁に行われるのが今の自分を「過去の自分、過去の記憶」と比較すること。なぜ、それがなされるかというと自分が優れているか、劣っているかに関わらず「そのように感じる自分が確かにここにいる」という自分の存在感を確認したくなるというからで、心は「確かに自分はいる」といことを確認したい衝動を根源的にもっている。これは、その目的のために他人や過去と比べるのだという考えが、西洋的な考えである「アイデンティティ=自己同一性」なのだが、仏道では、それこそが間違いなのだという(アイデンテティを持つことが間違いだなんて・・・)。

過去は過ぎ去ったものでありもはや存在しないという考え方。だからその刹那の一瞬だけが実際に体感できるもので過去は頭の中に刷り込まれた幻なのだという定義なので、そのような過去から積み重なって記憶に刷り込まれてきた感情の持つエネルギーを業(カルマ)と呼ぶ。「自分」なんてものはないんだというような、剥き出しの真理を認めたくないから心にたくさんの刺激をうけて「確かに自分はここに存在すると錯覚するようにプログラムされており、ありもしない「自我=慢」の幻覚を肥大させるべく、強烈な刺激ばかりを求めているのでは平常心などとても覚束ないことになる。自分で作り上げた幻想に振り回されて、一喜一憂し、喜んだり、苦しんでいる状態そのものが「慢」なのである。

前回の「4つのポイント」をもう少しわかり易く書くと

①心のエネルギーは勝手に上がり、下がりすることを認識して受け入れる
ではそのようにして既に出来上がってしまっている「業」からの脱却を目指すのだが、心が揺れ動かないようにするのではなく、心は勝手に揺れ動いてしまうものだと受け入れることで、過去の自分と比較して落ち込んだり、今の自分はすごいと浮かれたりすることを防ぐことが出来ることになる。そして、その受け入れることは「自分自身を愛しなさい」というようなナルシスティックな、自己愛ではなく「心というものは浮き沈みするものなんだと」認識して調子に乗らず、落ち込まず「そういうものだと」受け入れてやらないと、心の居場所がなくなり彷徨ってしまう。

②周りの状況を「いい、悪い」と判断「しない
自分の心の浮き沈みとの受容と同様に大事なことは周りの状況もいちいち、いい、悪いと判断しないこと。会話をしないまでも、見えることや聞こえることなど、常に判断をしていては、心も、腹を立てたり、喜んだりしていては浮き沈みを繰り返してしまうので、平常心とは程遠い状態になってしまう。ではどうすればよいか?というと「そのようである」とだけ状況を判断し、○×をつけない。判断を繰り返すだけで心は疲れてしまうからこの判断を捨ておくことで心はホッとできる

③あるがままの心の状態を受け容れる
もう少し判りやすくいうと、自分の心に対する態度を自分の「こども」と同じように接する。子育てで大事なことは、「在るがままの子供を受容する」そうすることで子供は家庭の中に自分の居場所をみつけてホッとすることが出来る。特に思い通りにいかず、に落ち込み、心が苦しいときこそそのことを思い出して、自分を叱るのではなく、このあるがままの心の状態を受け入れようとする。「いま、うまくいってないんだね」と心でつぶやいて受け入れてみる「いまはそのようである」と

④心をモニタリングする
①~③を前提としたうえで、そうは言いいながらも、どうしても生じてしまう、自分の心の「揺れ動き」を、他人事のようにモニタリングする。「私は上司に褒められると疲れも吹き飛んでやる気まんまんになるんだな」とか「逆にちょっと指摘されるととことん落ち込むんだな」とか、自分から離脱して離れたところから自分を見つめることで、自分の反応パターンを認知してやる。こういうパターンだと自分は落ち込むから、「そんなことでどうするんだ」と叱るのでなく、それもみんなひっくるめて、自分なのだ受け入れてそっとしといてやる。そのうちまた元気になる。モニタリングすることでジタバタすることが少しづつ減っていく。自分の肉体から精神だけが幽体離脱してじっと自分を眺めているようなイメージ?

自分の経験から言えば、自分をモニタリングするということは簡単なようでなかなか難しいが、これは言い換えれば「自分の陥っているモードに気づく」ことが出来るということに繋がるのではないかと思う。これは私が過去に、バイクでとんでもない違反をして2日に及ぶ免停講習を受けてもまださらに30日の免停と、簡易裁判所つきの罰金を科されるという悪さをして・・・捕獲されたときに高い授業料のお陰で開眼でき、今でも実践できていることがある

講習の最終日に受けた「運転適正検査」なるクレペリン検査みたいなやつの判定結果シートがそれぞれに配布されたあと、白衣の美人講師が言った言葉を思い出した「皆さんは、今お返しした適性判定結果におそらく、思い当たるところが在るはずです。そして、もしかしたら、これを機会に治さないといけないと思っているかもしれませんね。でも、はっきり言って、それは治りません(キッパリ!)。治さなくていいんです。それは治そうと努力するのではなくて、自分にはこのような傾向があるんだなあということを認識して、これから運転するときに、自分がそのようなモードになりそうなときに、「あ、いまだな!」気づくことが出来ればよいのです」

まさに「目から鱗」とはこのことだと思った。「そうかあ!気づくことが出来ればいいんだあ」これこそ「平常心の極意」なのではないかと思う。

つづく

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4 コメント

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Unknown (ワイキキ)
2012-06-23 12:19:24
深い洞察ですねぇ。

気付き・・目から鱗・・

生きている醍醐味でしょうね^^

私の目には何枚の鱗が付いているのたら。

一枚ずつ 落として行くのが楽しみです^^
ワイキキさん (管理人)
2012-06-24 19:22:13
風まかせの部屋へようこそ!

ワイキキさんの「ワクワクすることしかやらない」という
ポリシーに強く共感しています。趣味は何ですか?とか
あるいは何が楽しみですか?という質問に「ワクワクすることです」
これって凄くいいと思います(^^)今の僕にはバイクでカッ飛び走りする
こと以上にワクワクすることはまだ見つかっていませんが
まだまだこれから楽しいことがいっぱいありそうで
ワクワクしてます(^^)
Unknown (nihao)
2012-06-25 20:55:51
さすがに宗教家の書かれた本ですから、内容が哲学的というか難解(私には)です。
でも又三郎さんには、すべてをご自分の日常に照らし合わせて納得されることができるのでしょう。
痛い思いと高い授業料を払って開眼することも大事ですが(^_^)、このようなお気に入りの一冊を発見することも大切ですね。

私自身は平常心ということを考えたことはあまりないのですが、いつもアホな失敗を繰り返すのは、あれはもしかしたら平常心の欠如からくるものかもしれないな...と書きながら...いや違う、やっぱりボケかなぁ。
nihaoさん (管理人)
2012-06-25 23:40:53
「日常に照らし合わせて納得・・・」
うーん、出来てるとはいえませんね。いまのところ
仕事以外のことはすべてうまく行っています( ´ ▽ ` )ノ
捨ておく事が出来ない、執着してる、プライドを捨てきれない・・・

まあ凡夫なんだから、それが普通なんでしょう
いい時もあれば悪い時もあるもんさと思うんですが
会社人間卒業まであと少し、いい形で締めくくりたい
よな~・・・・なーんて思うこと自体が「慢」で
上手くいかない時に落ち込む準備をしてるような(⌒▽⌒)




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