初出:2006・5
ひとしきり、泣くという行為は美しい。「ひとは泣くことによって自我を知るのだ」とは、ある大家の作家のものした一節だが、ひとには、この泣くという行為と笑うという行為が残されており、他の生き物の如く、怒るという行為ばかりを演じてはいない。泣くという行為は悲しむという行為に通じ、ひとはそこから人生の哀感を、それこそ、おのおの感じ方はさまざまあれど、その心根に刻む。悲しまずに生きられればそれはそれで愉しい人生かもしれないが、この哀感なる感じとめ方の意義は見いだせまい。「苦しむからこそ人間」僕は、そういったまるで、この胸中を高みにおいたかのような観念にはさらさら行き着きたくは無い。悩むなら悩んだだけのものを何がしか得て、再び立ち上がりたいと想うばかりである。ひとは、どこか、ひとには厳しく自身には優しいものだ。僕も、そのひとり。いま、されど僕はいくつかの煩瑣な日常の出来事において、この自身の「人間力」が試されている、と想うのだ。逃げずに向かい合う。それが一番、大事です。
※日々、執筆の励みに致します。⇒
ひとしきり、泣くという行為は美しい。「ひとは泣くことによって自我を知るのだ」とは、ある大家の作家のものした一節だが、ひとには、この泣くという行為と笑うという行為が残されており、他の生き物の如く、怒るという行為ばかりを演じてはいない。泣くという行為は悲しむという行為に通じ、ひとはそこから人生の哀感を、それこそ、おのおの感じ方はさまざまあれど、その心根に刻む。悲しまずに生きられればそれはそれで愉しい人生かもしれないが、この哀感なる感じとめ方の意義は見いだせまい。「苦しむからこそ人間」僕は、そういったまるで、この胸中を高みにおいたかのような観念にはさらさら行き着きたくは無い。悩むなら悩んだだけのものを何がしか得て、再び立ち上がりたいと想うばかりである。ひとは、どこか、ひとには厳しく自身には優しいものだ。僕も、そのひとり。いま、されど僕はいくつかの煩瑣な日常の出来事において、この自身の「人間力」が試されている、と想うのだ。逃げずに向かい合う。それが一番、大事です。
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>ひとしきり、泣くという行為は美しい。
「男は泣くもんじゃない」という教育を永らく受けてきて、また自分もそう想うようになってしまい・・・
でも、やはり涙してしまうことがある。
そんな自分に、非常に心深く訴え掛けられる一文でした。
有難う御座います。
要するに緊張感無くだらりと毎日を只生きているのです。こころの中に自分の森があります。
そこで生活しながら、たまに森を出て、失意の中また森に帰りつき傷を癒しながら深い眠りにつくのです。森に飽きるとまた出て行きたくなるのです。それの繰り返し、毎日が。
まさしくオオカミ少年な日々です。
(オオカミ少年・・・マキハラノリユキUNDERWEAR)