試合終了を告げるホイッスルのあと、彼はうつぶせのまま、なかなか立ち上がってこなかった。惨敗・完敗・どうしようもない地力の差!?、彼は泣き崩れたという。彼が?中田が!?、全てはうつぶせのまま、その時、去来した想いとは?、ただ僕はいま、一言。「お疲れさん!!」それ以外になんの言葉があろうことか・・・。
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新しい風さんのブログの訪問は気付いていました。
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中田ヒデ、僕は彼が高校生の時、
日本で行われたU-17という世界大会、
国立競技場で初めて偶然彼を見ました。
それまで名前さえ、知らなかった。
後でその事を知ったのです。
確かDFの宮本もいたはずです。
それから2度、中田を見てます。
ジョホールバルでのイラン戦とフランスワールドカップのクロアチア戦。
どちらも、日本代表の中田であり、
日本の顔と言って差し支えなかった。
でも今回の中田は気持ちが空回りしていたように見えた。
伝え聞く仲間とのギクシャク感がTVからも伝わってきました。
一つは、彼は完璧主義者であり、仲良しクラブを許せなかった、我慢ならなかった。
もう一つは、初戦のオーストラリア戦に凝縮されているように思えて仕方ない。
2010年の南アフリカ、中田と同じく今は考えられませんね。