愛は哀を深くして藍を深めん・・・。

徒然なる侘しさ哀しさ辛さ未練などなど心にわだかまる悲哀を見つめて綴り人生の無常を悟りたい・・。

琉歌にであった。

2009年04月25日 | 日記
小学校5年生の頃、学校の図書室に古びた色の表紙に「おもとそうし」と書いてあった。 沖縄のことに熱中していた私は浅はかにもそれを「”おもしろ”そうし」と読んでしまった。 本棚からすかさず引き抜いて机の上で本を開いた。面白いとあったのに中を開くと難解な文字が氾濫していた。でも気にせずに内容を探った。読めるようなところだけ読んで読み飛ばした。 . . . 本文を読む

『為朝伝説の真実』

2009年04月15日 | 日記
時は桓武天皇(794年)以来の悠久の安泰を続けていた平安朝末期、朝廷の勢力は突如2分した。  永治元年(1141年)、鳥羽法皇は実子であった時の崇徳天皇を中宮の待賢門院(たいけんもんいん) 藤原 璋子(ふじわら の しょうし/たまこ、康和3年(1101年) が我が祖父白川上皇との不倫の叔父子であるという噂に仰天憤慨しこれを有無を言わせずして退位させ崇徳天皇の弟の弱冠2歳の躰仁親王を近衛天皇 とし即位させた。 これは鳥羽法皇の寵愛をうけていた皇后・藤原 得子(ふじわら の なりこ、永久5年(1117年) の産んだ皇子である。時の世衆はこれを皇后得子の陰謀説だともっともらしく噂した。  そんな俗世的な儚い権力争いに落胆した崇得天皇の母・璋子は心も体も蝕まれて病に伏せ鳥羽法皇を恨んで世を去った。  この璋子の恨みか健体盛んな若者であった近衛天皇に突然原因不明の病魔となって襲いかかたようであった。近衛天皇は母得子の献身的な介護の甲斐なくあっけなく薨去した。  そのあまりの不可思議な死に様に璋子の因縁を感じずにはいられない鳥羽法皇はその呪縛に恐怖した。周囲の重鎮達の反対を無視して今度は璋子への詫びる気持ちからか突如璋子と自分の間のことしても間違いないとおもえる璋子の第四皇子雅仁を擁立。後白河天皇とした。 . . . 本文を読む

対比

2009年04月11日 | 日記
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朧陽

2009年04月11日 | 日記
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隆起珊瑚礁

2009年04月11日 | 日記
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千切れ雲

2009年04月11日 | 日記
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擬態モアイ像

2009年04月11日 | 日記
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清風景

2009年04月11日 | 日記
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隆起珊瑚礁断崖

2009年04月11日 | 日記
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亜熱帯王統属墓稜壁

2009年04月11日 | 日記
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奇景

2009年04月11日 | 日記
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琉球眺望

2009年04月11日 | 日記
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琉球松

2009年04月11日 | 日記
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原野華候紅零す

2009年04月11日 | 日記
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琉球林

2009年04月11日 | 日記
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