ゆるなちゅ生活

人生の放浪と、旅の放浪と、自然な生活の仕方について綴ってます。

より深く愛する。

2013-03-14 13:13:13 | 日記
前ログで書いた、「ガールパワー」と「愛され続ける覚悟」について。
このテーマに至るまでの経緯を含めた、もうちょっと深いお話を、過去の下書きからコピペでしようと思いましたが。

やっぱり過去に書いたもののコピペは、温度差があって面白くないなーーー。
と思ったので、書き直しています。


個人のブログやエッセイって、きっと、生でリアルだから、面白いんですよね。
少なくとも、書いている本人はそんな感じです。

なんていうか、こういうのは全て「表現」だったり「表明」の一部なので。
アーティストと同じく、自分で「コレッ!」っていうのを表現できる楽しみ、というものがありますよね。



前ログの更新を通知したFaceBookへの投稿に、紳士なお友達から「ガールパワーを発揮しているね!」という嬉しいコメントをもらいました
(なべさん、ありがとう

それで気付いたんですが、「女子力」じゃなくて、「ガールパワー」があるって言われる方が、うれしいなっと!


女子としての「気遣い」や「心遣い」云々を誉められるより、(もちろんこういうのも大事ですが。)
「女子だなぁーー」「女の子だなぁーーー」「女(っていう種族)だなぁ」と、なかば「しょうがないなぁ」っていうくらいのニュアンスでつくづく感心?されたり、そこを魅力として評価してもらえる方が、うれしいです。
(「女子力」と「ガールパワー」の意味の違いについては、前ログをご参照ください

なんていうか、いわゆる「女子力」と違って、「ガールパワー」という表現には、「女子であることそのもの」を感じるんです。

女子力は、女子が女子になるための、力。
ガールパワーは、女子ゆえに最初から備わっている、力。


というニュアンスです。

つまり。ガールパワーは頑張って身につけるものとかじゃなくて、どんな女子にも初期設定で備わっているモノ。
それがどんな「女子具合」「女子加減」「女子の香り」であれ、どんな女子にも、ゼッタイある女子としての良さ。

バラにはバラの、桜には桜の、ヒマワリにはヒマワリの。
それぞれの女子と言うお花には、それぞれのお花らしい良さがある。


ちなみに、面倒見の良い彼氏さんからは、「ジョシッ!」とか「女子女子しているね。」と、よく言ってもらっています。
(たぶん誉め言葉だと思います。)
そしてなかば「しょうがないなぁ」っていうくらいの感じで、できないことや苦手なことを助けてもらったり、面倒を見てもらったりしています。
(裕也さん、いつもありがとうございます


そう言ってもらってウレシイと思えるのは、私自身がそれだけ「女子」であることそのものを、気に入っているからです。
女子に生まれて良かったっ
大好き、女子っていう性別、種族
そしてなにより、大好き日本女子という生き物。


私は「松本 裕子」ですが、その「個」として在る大前提に、「日本人」だったり、「女子」だったり、「人」だったりします。


自分のことを「日本人だな」と自覚したのは、初めて海外に出たときでした。
私の初海外は短大1年生の18歳、アメリカ、マサチューセッツ州。
異なる文化の元で生活している人達に会って、ホストファミリーに「シャワーが長い。30分も何しているの。」って笑われて、自分は日本人だと自覚しました。

20歳でモントリオールへ行った時にも、ディスカッションで自分の意見を出せない自分に、「日本人」を自覚しました。
このお話は以前、開国ジャパンのコラムでもちょこっと書いています。


そして自分が「女の子」だな、と実感するのは、やっぱり男性といるときです。
男子がいてくれるから女子は女子になれるのだ、とつくづく思います。

身の回りにいる、頼れる男子の皆様には、いつも心から感謝しています。
あなた方がいてくれるから、私達女子は、女子になれます。
(いや、改めて思い返してみて、本当に私の周りにはそういうイケてるメンタルのイケメンが多い!恵まれてますね
 イケてるメンタルでイケメンっていうのは、某イケメンサッカー選手に教えて戴きました!ありがとうございます

年齢やらいろんな物事関係なく、男の子って本当に頼もしいなーーーと思います。
いつもありがとうございます
私たち女子と同じように、女子といることで「自分の中の男子」を実感し、「男子」を楽しんでもらえたら、私もうれしいです



なんでこんな脱線気味なことを書いたかと言うと、これって全部「自分をまるごと愛する」っていうことだから。



前回のテーマ「愛される覚悟」は、ただの「愛される覚悟」ではなく。
「愛され続ける覚悟」、サステナブルな愛される覚悟、なんです。


それは、「どんなときも」「どんな自分も」ってこと。

良いときの自分、おめかししている、よそいきな自分だけじゃなくて。

閉じている、内向きモードなときの自分や、すっぴんおうちモードな自分も含め、です。


すっぴんやおうちモードを「見せられる」っていうレベルじゃなくて。

それすらも「愛される」(=自ら自分を愛する)レベルで、ということです。
(自分自身が自分を愛しているから愛される、というのは大前提のお話で

限定的ではなく、永続的で、サステナブルな愛です。


これってなんだか、「お部屋をどのくらいキレイにするか」っていうお話に、似ている気もします。

いつでも人に見せられる、というレベルか。
いつ何時も、自分や他人にとって居心地の良い空間、というレベルか。



先日、小学校時代の私の写真を見た裕也さんに、こんな感想を戴きました。

「大学・社会人始めの頃の、しっかりお化粧をした茶髪の裕子より、今の方が原型(小学時代)の裕子に近い」と。


あぁ、そういえば、そうだなー。
と、我ながら写真を眺めていて思いました。

自分でも、お化粧や縮毛矯正や雑誌を追いかけたようなファッションをして。
あの頃、どれだけ別人になろうとしていたんだろう?って、改めてつくづく思いました。


新旧入替、卒業&進級で、次のステップへ上昇するこの時期に、このような小学校時代の写真の話もあり、
もう一段階深く、自分をまるごと愛したいっと思いました。

そう思い始めたら、今まで何気なく、おうちモードの自分を「干物」と呼んでいたことも、
そう呼ぶことで、いつのまにか「お外モードの自分」と「おうちモード」の自分に、優劣をつけている気がしてきました。

「干物」という表現からは、どこか憎めない感じはするものの、「自信」は感じられません。
「粗末なものですが」と言って差し出す贈り物に、似ている。

わたしだったら、「つまらないものですが」と言って何かをもらうより、
「美味しかったから」「似合いそうだから」「裕子のイメージだから」「すごく気に入ったから」そうやって戴きモノをする方が、好き!
「お裾分け」じゃなくて「お福分け」で。



先日「How to Love」という曲について書かせて戴いた August Rigo に引き続き、ヘビロテしていた、この曲。


EASY / Ne-yo




すごく爽やかですが、実はこれ、お別れの曲です。


しかし、最近こういう心境のわたし的には、

「これまでの自分にサヨナラをして、今まで以上に深く、本来の自分を愛していく」

という、変化の曲にも感じられます。



It was easy
easy to love me
But you didn't even want to try
So it was easy
easy to leave you

Goodbye

Goodbye

Goodbye



自分を愛するなんて、簡単なことなんだよ。

キミはただ、試みようともしなかっただけ。

だから、そんな昔のキミを卒業するなんて、簡単なことなのさ。

Goodbye x3

<ゆうこ的意訳>



今回、さすがに意訳のレベルを超えちゃっていますが。

どうでしょう?



自分のことをまるごと愛する、本来の自分を愛する、ということは、すごくシンプルで、簡単な生き方。

どこへ行っても見せる自分に表裏がなくなるから、いつもフラットでリラックスして、ちょうどよい自信と心地良さをもって、いつでもどこでもラクに生きられるようになる。

だから、本来の自分・素の自分を愛せば愛せれるようになっていくほど、生活や考え方も simple & easy になっていく。



サクラと共に、一段と上昇した、新しい世界へ。

本来の自分をより愛することで、より単純で、より簡単で、よりラクな生き方へ、シフトしていきます。





The song“EASY”was brought by my LOVE“裕也”. Many Thanks! :)xxx


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。