物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

アクセスがぐっと減った

2018-01-17 13:00:31 | 日記

一昨日のアクセス数が300を超えたと喜んでいたら、昨日は元の100台に戻った。これが普通であるから、一昨日がちょっと異常だったのであろう。

今日は雨なので理髪店に行くのが難しいかと思っていたら、午前中はそれほど雨が降っていなかったので、理髪店に出かけた。私はあまりよく理髪店に行く方ではないので、理髪店泣かせであろう。

このところ解析接続についてインターネットの文献をプリントしては読んでいるが、なかなかまとめることができない。それと今月の27日には雑談会で複素数の導入の仕方について話をするつもりである。こちらの方は全く準備ができていない。

複素数の虚数単位を回転で導入する話であり、よく不思議な関係と言われることがある、恒等式e^{i\pi}+1=0は単に実軸上にある原点Oと点(1,0)とを結ぶ線分を原点のまわりに反時計方向に180度回転したことを示すのだとか、この見方がハミルトンの四元数への端緒を開いたこととかを述べたいと思っている。

 

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アクセスが300を超えた

2018-01-16 13:14:37 | 日記

昨日のアクセス数が300を超えた。こういうことは珍しいので何か原因があるのであろう。解析接続について昨日書いたのでそれと、昨年6月に書いた解析接続のブログとがランクに出ていた。複素解析では解析接続がやはり難しいのであろうか。

リーマン面も難しい概念かも知れないが、私はリーマン面については難しいと感じたことはなかった。それよりも分岐点の概念が難しいと感じている。

私のブログのようなあまり読んでも役に立たないブログでもそれにすがっている読者がいるのなら、少しはお役に立てることもあるのだろうか。もっともアkクセス数が急に増えただけであるので、コメントがあったわけではないので、アクセスが増えた理由をきちんと実情を反映して、私が評価できているかどうかはわからない。

そういう需要があるかもしれないということで、昨日のブログに先刻、付記をつけておいた。それは解析接続の方法に触れている書籍で私の知っているものから、解析接続の方法を箇条書しておいた。昨日読んだよりも突っ込んで書いてあるので、「解析接続」に関心がある方は再度読んでみてほしい。

大抵は私のブログを前に帰って再度読む人はいないと思われるので、特に注意書きをしておきたい。

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解析接続、その後

2018-01-15 13:45:06 | 日記

がようやくわかりかけてきた。

昨日の日曜日にインターネットで探してプリントしておいた、KENZOUというペンネームの方が書いた『「数学Tips」-解析接続ー』のコピーをほぼ読んだ。ほぼ読んだとしか言えないのは、まだ留数定理のところを読んでいないからである。もっとも留数定理のことは一応理解しているつもりだから、障碍ではなかろう。

なかなかわかりやすく書けていて理解の助けに大いになった。欲を言えば、もっと解析接続の方法について体系的に展開されていればもっとよかったのにというぐらいであろうか(2018.

1.16 付記参照)。それでも解析接続の例がかなり例題としてとりあげられていてよい。感謝を述べたいと思ったが、いわゆるSNSでしかコメントを伝達できないようだったので、感謝の念の表明をするのをあきらめた。残念である。

解析接続の例をたくさん挙げているのは、松田 哲『複素関数』(岩波書店、1996)であるから、これらを組み合わせて一度自分なりのエッセイに書いておきたいと考えている。

もっともKENZOUさんは解析接続のことを書くために多くの複素解析の復習事項を書いている。この項目にどのようなものがあるかを下にあげておこう。

1.正則関数 (1.1 極限と連続 1.2 微分係数と導関数 1.3 特異点)

2.複素積分 (2.1 コーシーの積分定理)

3.テイラー展開 (3.1 べき級数 3.2 テイラー展開(級数))

4.ローラン展開

5.留数と留数定理 (5.1 留数 5.2 留数定理)

6.解析接続 (6.1 零点 6.2 一致の定理 6.3 解析接続 )

であり、全部で 29 頁である。くだけた調子の文章であり、親しみがもてるものである。

 (2018.1.16 付記)解析接続の方法

今村勤『物理と関数論』(岩波書店、1981)52-56 では

1.べき級数展開

2.積分表示

3.関数関関係 (Schwartzの鏡像原理によるもの、漸化式を用いる ー(例)ガンマ関数)

があげられている。

後藤、山本、神吉 編著『詳解 数学演習』(共立出版、1979)169-174 では

1. べき級数による直接接続

2. 実関数からの解析接続

3. 積分による解析接続

4. 写像による解析接続

があげられている。上の二つの書の著書の著者たち(今村さんも後藤さんたち)は大阪大学の出身である。彼らを教えた先生が「解析接続の方法」について意識的に講義をされた結果かもしれない。

松田 哲『複素関数』(岩波書店、1996)148-153 では

1.べき級数による

2.積分表示による

3.部分積分による

4.実軸上で与えられた関数の複素領域への拡張

5.鏡像原理による

があげられている。この最後の書の4.と5.とが関数関係による方法に入るのかと思われる。鏡像原理による解析接続の例はこれらの書にはあげられていない。

(2018.1.17付記)上にあげたような解析接続の方法でほとんど尽きているかとは思うが、どの書物だったか忘れたが、物理学者の高橋秀俊さんが提唱した解析接続の方法があると読んだことがある。それがどういうものだったか、その内容をよく知っているわけではないので、文献を調べてみたい。これはもちろん高橋さんの本ではなかったと思う。 

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土曜日にブログを

2018-01-15 11:29:03 | 日記

書くのを忘れた。こういうことが最近多くなった。これも年を取ったせいであろうか。わからない。

午前中に算数教育に関係した会に出たので、仕事場に来るのが午後になった。そしてそれから私の先生の量子力学の講義録の入力をするのに忙しくてブログを書くことなど忘れてしまった。

学習会で聞いたことは小学校の先生が忙しくなっているということだけではなく、あまりにも生真面目すぎる人が多くなっているということであった。ある元教師の先生によれば、2,3人の不真面目な先生がいた学校が全体としてはうまく運営されていたと回想されていた。

全員が真面目な先生ばかりだとかえってうまく学校を運営できないのだという。真面目なことがいいというのは一般的には言えることだろうが、どうも生真面目すぎる先生だけだと小学校も運営がうまくいかないものらしい。

いまや、先生方に真剣に「不真面目の勧めをしなくてはいけない」という憂慮すべき時代が来ているのは嘆かわしい。

教育はそれを天職とする人もいるのだろうが、すこし斜に構えた人の方が小学校教育等でいい役割をするらしいと聞くとちょっと複雑な気持ちになる。

いじめなどもどこの学校でもないはずはない。それだのにいじめがまったくないなどという報告がでてくると教育委員会が安心するなどと聞くと、どうかしているのではないかと思うという話もあった。

「いじめを許容する」というのではないが、なかなか根絶するなどということはできないのが実情だという。

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健康なものの責任

2018-01-12 12:22:14 | 日記

いまのところ私は体のどこも痛いところはない。健康かと言えば、その辺はわからないとしか言えないが、そういうある意味では幸福なものとしての責任がこのごろあるような気がしている。

それは私の場合には「数学・物理通信」の発行だったり、ブログを書くことだったり、する。もちろん一人の人の考えられることには限りがあり、そのための視野が制限されているということはある。

だが、昨日も書いた通り、発見的な数学の理解を自分の理解している限りで書くということは私が自分に勝手に課している義務である。これはだれからも別に強制されたわけではないが、自分の奥底からくる要請でもある。

ベクトル解析についてなら、「数学・物理通信」に「ベクトル代数再考」で1/3か1/4くらいのところを果たしたが、残りのところがまだたくさん残っている。

立体角についてはもう私が書くことは残っていないようだが、それらをわかりやすくしておくのはまだするべきことかもしれない。対数と指数についてもそれに近いが、やはりどこかで見解をまとめておくべきであろう。すでに E 大学の学生用のe-Learningのテクストとしては書いたが、それをもっと広めることが必要であろう。

虚数単位 i の導入についてはインターネットで見る限り、どうも私の出る幕ではなさそうだ。だが、それを定着させるためにもう一押しをしておく必要がある。自然対数の底 e のことは、以前に愛数協の機関誌に書いたが、やはり「数学・物理通信」にも書いておくべきであろう。

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自分の数学

2018-01-11 18:05:37 | 日記

をつくりたいという気がしている。これはちょっと誤解を招く表現だが、新しい数学をつくるという意味ではない。そういう意味ではつまらないことだろうが、発見法的に納得できる数学をつくりたいということである。

世には秀才の方々がたくさんいて、それらの方々の数学の理解とか物理の理解とかにもときどき感銘を受けることがあるが、それでもそういうことはあまり多くはない。

数学というモノは論文として提示されるときにはきれいにまとめられて論文が書かれるので、なかなかそのはじめの原点がわかりづらいのである。

たとえば、微分積分学でも数学をつくるというような観点から書き直しをしたいという考えをもった人もときどき出てくる。「数学・物理通信」の共同編集者の N さんなどもそういう気持ちの強い人である。だが、残念なことに彼は病気で仕事があまりはかどらない。

それでときどき会いに行って話をするときにいつも彼の焦燥感を感じてしまう。これは悪いことばかりではないので、ときにはいいふうに回ることもあるであろう。だが、気持ちだけがあせるのはあまり精神的にはよくない。

私にしてもほんとうに自分でも納得できるような事項の方がすくないので、まだ納得したことが点にもなってはいない。点から線になり、それが面へと広がっていくことを期待したいのだが、なかなかそうはいかない。

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複素数に i をかけると

2018-01-11 12:59:04 | 日記

この複素数 a+bi をガウス平面で90度回転したものが得られる。このことを証明しようとして、いろいろ考えた。

一番初めに考えたのは、原点と座標 (a,b) とを結ぶ直線と原点と座標 (-b,a)とを結ぶ直線の傾きの積が-1となることを用いた。それだと

(a/b)(-b/a)=-1

となって二つの直線が互いに直交していることを示すことができた。

ところが、わたしはなぜ直交する二つの直線の傾きの積が -1 となるのか、その理由を知らないことに気がついた。この理由を知らないことに気がついたので、他のいくつかの方法で座標 (a,b) が90度だけ反時計回りに原点のまわりに回転すれば、(-b, a)となることを調べた。

その詳細はブログに書くことができないが、 (a,b) と(-b, a)とをベクトルと考えて、その内積が0になることとか、原点のまわりの90度の回転の行列をかけて、 (a,b) から (-b, a) が得られることとか、a+bi=r(\cos \theta +i\sin \theta)がi(a+bi)=r[\cos (\theta +\pi/2)+i\sin (\theta +\pi/2)]となることを示した。

それらの方法で -b+ai は a+bi に i をかけたものだが、それは  a+bi を原点もまわりに90度回転したものであることは疑うことはできなくなった。

ところが仕事場に来て、一番初めに考えた、はじめの直線の傾きが -1 になることの理由を調べてみたが、私の持っている本は少なくはないはずだなのだが、なかなかその証明には行き当らなかった。

とうとう、何十年も前に子どもが使っていた、高校の数学の学習参考書に確かめ問題としてこの知識が出ているのを見つけてようやく納得したが、このことを示す方法はいくつもあるらしい。そのうちのたったひとつをようやく知っただけである。他の証明もこの機会に知りたい。

いやあ、自分にとって当然と思えた知識もまったく、その理由をよく知ったうえで使っている知識ではないことに気がついてびっくりした。 

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情報をインターネットで知る時代

2018-01-10 10:52:09 | 日記

だとつくづく思った。昨日、久々にインターネットサフィンして、立体角とか、ステラジアンとかまた虚数の導入のしかたとか、指数と対数についてしらべた。

いままで、これらについての世に存在するテクストがあまりわかりやすくないと思っていたからである。ところがこれらについてどれも私があまりインターネットでもわかりやすくはないと思っていたのが、覆された。

いつも N 先生が私にわからないことがあったら、インターネットで調べるのがいいですと言われているのがやはりそうだと思わされたことであった。

これだと私の思っていることの幾分かはもう私の出番ではない。もっともこういう知識とか情報をもっと体系立てておく必要はあるのだと思うが。

冒頭にあげた「立体角」とか、「ステラジアン」とかまた「虚数の導入のしかた」とか、「指数と対数」とかについてはすでに私も私の意見を発表しているが、それでもその考えを広く知らしめるところまではいっていないと思う。

だが、私が考えた考えの大部分はすでにインターネットに載っている。これは私の考えにヒントを得ているわけではないのだから、誰かの考えることはその考えが知られていなくても、同じようなことを人は考えるものだと強く思わされた。

 

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誤解を招く表現

2018-01-09 11:18:03 | 日記

先日の日曜日、昔のテニスの仲間から電話がかかってきた。来週の金曜日に新年会をするが、参加するかという。

それには参加すると答えたのだったが、来週の金曜日という言葉が気になってもう一度電話を掛け直してみた。それは1月12日の金曜日ですか。それとも1月19日の金曜日ですかと。

私の理解では1月19日の金曜日だろうと思っていたが、そうではなくて、1月12日の金曜日とのことだった。アメリカと日本では週は日曜に始まると普通には考える。だとすると日曜日に電話をかけてきたら、来週の金曜日とは1月19日の金曜のことだと思うだろう。

だが、ヨーロッパの国では週の始まりは月曜日で最後が日曜日である。それだと私の知人のいう来週の金曜は1月12日となる。日にちが1月12日だとわかったあとで、この慣習を私がぐつぐつと説明しようとしたら、妻にグダグダ言ってと一喝された。

しかし、こういうまちがいはよく起こるので、少し考えてみよう。交差点のところで、道を尋ねたら、3つ目の交差点で右へ曲がりなさいと言われたする。このとき今自分たちのいる交差点は数に入れないと考えるのが普通だと私は思うのだが、そうではなくて自分たちがいる交差点を一番目の交差点と考える人もまれにはいる。そういうときにはあいまいさをなくすためには自分たちのいる交差点を含めてかどうかを確かめておく必要がある。

 

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カフカと「お見通し発言」

2018-01-08 12:53:54 | 日記

という書(鳥影社、2016)を昔の知人である N さん(金沢大学)から新年早々に送っていただいた。少々私がドイツ語を解するということから送ってくれたのであろう。

もともと、このNさんが10年くらいにわたって論文として発表してきたものを一つの書としてまとめたものである。立派なものであるが、その中に引用されたドイツ語のカフカの文章のいろいろの翻訳者の翻訳のしかたもいろいろ変わっており、その人の意味のとり方の違いが窺われてとてもおもしろいものである。

もっとも私などはなかなかドイツ語の原文を見てもそのまますぐには意味が理解できないものが多い。NHKのラジオのドイツ語講座を何年も聞いているので、その間には確かにカフカの小説の短編なども取り上げられたものもあるが、それらをよく分かっているわけではない。

お返しに私の古い旧著をお送りしようかと思っている。

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徳島科学史雑誌36号

2018-01-06 12:36:21 | 日記

を昨年末に送ってもらった。毎年一号しか発行しないから、西條敏美さんはだからもう36年以上、約40年の長期にわたって、この雑誌と徳島科学史研究会を主宰しているわけである。

昨年末に私が自分の発行しているサーキュラー「数学・物理通信」7巻8,9号をお送りしたときに感心してメールをくれたが、ほんとうにすごいのは実は私ではなく、西條さんの方だと思っている。

だが、いろいろと年末年始と小旅行をしたりして、忙しくてそのことをお伝えする機会を失してしまった。というのは私たちのサーキュラーなどまだ10年も経っていない、ひょっこだが、西條さんたちの「徳島科学史雑誌」は40年近い歴史を持っている。これは誰にでもできることではない。

ローカルな科学史研究の雑誌としては中部地方の科学史の研究者たちが発行している「東海の科学史」という雑誌があるが、定期的にきちんと発行されているという点では「徳島科学史雑誌」の方が勢いがあるという感じがしている。

だから、私もできる限り発行しているサーキュラー「数学・物理通信」を「徳島科学史雑誌」をお手本にして長く続けていきたい。

西條先生、今年もお互いに頑張りましょう。

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昔の知り合い

2018-01-06 12:17:49 | 日記

とはいってもインターネット上の知り合いである。仙台在住の私の娘くらいの年齢(正確な年齢は知らないが、40歳なかばであろう)の女性である。もう彼女と知り合ってから20年以上となろうか。

彼女はある IT 関連の会社に勤めており、とても多忙であるらしい。それにもかかかわらず今年も私だけにというわけではないが、年賀のメールをもらった。

しかし、私はあまり返事として書くことがなかったので、最近発行したサーキュラー「数学・物理通信」7巻10号を添付して送った。もともと物理とか数学の好きな彼女はこういうサーキュラーが誰にでも読めるようにインターネットで公開されていると聞いて喜んだ返事をくれた。この人は大学では工学部応用物理学科の卒業である。

一度だけある集まりで彼女と会ったことがある。それからでも20年以上になるが、元気に働いているらしい。いろいろな家庭の事情から知り合いになった人がいる。

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Levi-Civita記号の縮約

2018-01-05 11:22:44 | 日記

Levi-Civita記号の縮約についてはすくなくとも3回にわたって論じてきた。これらのエッセイは小著『数学散歩』(国土社、2005)(品切れ)に収録された(その後、『物理数学散歩』(国土社、2011)に再録)。その後、岐阜大学におられた川崎さんのアイディアにしたがったエッセイも書いた。これは「数学・物理通信」1巻2号 (2010.3) に掲載されている。

しかし、Levi-Civita記号の縮約についてはいくつかの議論をその後にも見てきた。それでそれらをすべて(とはいっても私の目に入った限りで)を「そうさらい」として、どこかでとりあげて論じてみたいという気がしている。

Levi-Civita記号の縮約については、私がずっと以前に書いたことが一番基本的なのではないかといま思っている。ところが、書いた本人の私がその重要性に気がついていなかった。もっともこの拡張されたクロネッカーのデルタという考えは私のアイディアではなく、私は穂苅四三二(ほがりしさじ)さんの古いテンソル解析の本(『テンソルの理論と応用』(生産技術センター、1977)、この本は元のもっと古い本の翻刻である)から学んだことである。

また、分かりやすいのは前掲の「数学・物理通信」に書いた方法ではないかと思っている。この方法と同じような記述を一石賢さんの書でも書店の立ち読みでみたことがある。残念ながら書名は覚えていない。

ところで、まだその本を見る機会はないのだが、最近”Exercises of Tensor made simple”とかいうタイトルの本が出ているらしい。アマゾンコムでその本を検索すると、その表紙に「拡張されたクロネッカーのデルタ」の式かと思われる式が出ているので、私の知っていることを対比のために記録しておきたいと考えている。

 

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0.999・・・=1である

2018-01-04 12:21:13 | 日記

とは私もこのタイトルでエッセイを書いたことがある(小著『数学散歩』(国土社)所収)。だが、昨年末の12月31日だったかに旅行先の高知市帯屋町の書店「金高堂」で数学書を立ち読みしたときに私の知っている方法ではない説明があった。ここに書いておこう。

いま、x=0.999・・・とおこう。要するにこの x の値が 1 であることを示せればいい。いま10x=9.999・・・であるから、これから前の x を引けば、

 9x=9

が得られる。ここで、両辺を 9 で割れば、x=1が得られる。という論の進め方であった。

普通にはどう説明しているか。

1=(1/3)*3

であるから、1/3=0.3333・・・を右辺に代入すると

1=(0.999・・・)*3=0.999・・・

であるから、ということがわかる。

他の方法としては、高校数学の無限等比数列の公式を知っていれば、

0.999・・・=0.9+0.09+0.009+0.0009+・・・

は初項0.9で公比1/10の無限等比数列であるから、この無限等比数列の和は収束する。したがって、この値は

0.9/(1-(1/10))=0.9/(9/10)=0.9/0.9=1

である。したがって、0.999・・・=1である。

0.999・・・=1であることを知ったのは、もう60年ほど前の大学生のころで、数学者の吉田洋一さんのエッセイを読んで、であった。

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amazonの推薦書

2017-12-28 13:26:54 | 日記

だが、山本直樹著『複素関数の基礎』(裳華房、2015 )¥2592円が私あてに勧められていた。ちょっとamazonの読者の書評だとベタ褒めである。

ちょっと食指が動くが、 自分で実際に書店等でみてみないことにはなんともいえない。これは187ページの薄い本である。「自分で複素解析をつくっていくような感じで書かれている」と書評にある。多分優れたいい本なんだろうと思う。そういう本は少ないが、だんだんそういう数学の本の著者が増えて来ているのはさすがに日本の学問や文化の厚みを与えているのだろう。

毎週の日曜日の新聞の書評等を見ても訳書が多いが、その訳者にはかなり女性の人がいる。これは女性はまだ子育て等で家庭にいることが多いが、ある分野に関心があり、学もあって、外国の書の翻訳にたずさわることが多いのだろうかと推察する。

これは別に書評にかかる本だけではなく、新聞広告に出る本などを見てもそうである。別に国粋主義に陥るわけではないが、そういう一国の文化としての奥深さとかがあるのだろうと思う。もっとも学校の教師の忙しさはもう普通の会社勤めの人と変わらないくらいになり、夜の11時ごろまで学校で処理をしないとどうにもならないくらいだと聞くとこの国はどうなっているんだと愚痴も出る。

昔、私の学生で工業高校の教師になりたがった、ある優れた学生がいたが、彼の言い分は彼の音楽の趣味を生かした演奏旅行とかに夏休み等の休暇に行けるからというのであった。しかし、それを思いとどまらせて、ある会社に勤めることを助言した。結局彼はある会社に勤めて元気にやっている。

いま彼が学校の先生方の忙しさを聞いたら、学校の教師にならなくてよかったと思うだろうか。

それにしても学校の先生方の多忙はとても困ったことである。こういう事態はいちはやく改善されねばならない。

だいたい、クラブ活動なんて学校の教師が面倒を見なくてはいけないなんて、日本では教育を軽視していすぎである。こういう義務からは早く抜け出すべきであろう。

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