加薬飯

日々雑感 ときどき雑記 愚だくさん

【毬(いが・かさ・まり)】

2017年10月18日 | 読書・言葉・文字・漢字

坊主頭のことをイガグリ頭とも言うが、イガグリとは、イガに包まれたままの栗の実のことである。そしてイガとは栗の実のまわりのトゲトゲの外皮のことだが、ふつう売られている栗にイガはついていないので、イガグリを見ようと思ったら、栗の木の生えている場所に行くしかないだろう。
それにしても、ずいぶん久し振りにイガグリを目にした。娘が栗の木の下で拾ってきたものである。

イガグリは漢字で書くと毬栗(いがぐり)なのだが、毬は他にも松毬(まつかさ)のように「かさ」とも読む。しかし毬という字を見て、「いが」とか「かさ」と言った読み方はまず浮かんでこない。馴染みがあるとすればやはり、手毬(てまり)のように「まり」と読むのが一般的ではなかろうか。


【ハンドバッグじゃないんだから】

2017年10月17日 | 生活・飲食・家族・飼犬

ハンドバッグ抱えるみたいに、無造作に犬を抱えてるんじゃないよ。なに、ハンドバッグじゃなくてハンドドッグだ? ふんシャレにもなってねえや。ハンドドッグじゃなくてハウンド・ドッグという犬種(猟犬)ならいるけどな。

そういやむかし、” You aint nothin' but a hound dog ” っていう曲があったっけな。エルヴィス・プレスリーの「ハウンド・ドッグ」って曲。そんなの知らない? だろうな。
そうそう、大友康平のロックバンドもハウンド・ドッグだしな。プレスリーの曲名をそのままバンド名にしたっていう…、なに、まだ産まれてない? 確かにな。


【簡単に通れないように関所を設けてみた】

2017年10月16日 | 生活・飲食・家族・飼犬

キャバリア犬のケントの野郎は台所で調理をしている気配を察すると、おこぼれにあずかろうと透かさず飛んで行って、足許をウロウロチョロチョロするもんだから、「危ないでしょっ! 邪魔っ!」と叱られるのが常なんである。まぁ、わたし以外の者が叱っても効果は薄いのであるが。

そこで簡単に入れないようにするため柵を置いておくようにしたのだが、流石に隙間が狭すぎて通り抜けることはできないようで、そのうち諦めてすごすごと引き返してくるのである。




【思わず眉を顰めたくなる劣悪番組、ウイニング競馬】

2017年10月15日 | 乗馬・競馬・趣味・道楽

随分前にグリーンチャンネルを解約して以来、土曜日に競馬中継を見ようと思ったら、テレビ東京のウイニング競馬を見るしかないのだが、およそ競馬番組とは言い難い顔ぶれと内容である。
そもそも、元アイドル?の柴田阿弥とか、ジャングルポケットの斉藤とか、キャプテン渡辺(お笑いタレントなのか?)とかが必要なのか。

番組中の「キャプテン渡辺のく~ず~劇場」だか何だか知らないが、ジャンポケの斉藤やキャプテン渡辺のみならず、東京スポーツの虎石晃や、デイリースポーツの豊島俊介までもが一緒になって悪ノリして、面白くも何ともないおふざけに興じている図というのは、見ていて実に腹立たしい。業界人としての矜持はないのか! お粗末過ぎるにも程がある。

そもそも競馬中継にくだらないおふざけなんて要らないのだ。しょせん内輪のノリでしかない訳で、とても見るに耐えられるシロモノではない。そんなことやってるくらいなら、その間ずっと出走馬の様子でも映してろと言いたい。まだ、お笑いコンビ麒麟の川島明がキャスターを務める、日曜日放送の競馬BEATの方が、なんぼかマシと言うもんである。


【猫額の庭の秋の主役】

2017年10月14日 | 自然・生物・植物・園芸


夏の間中旺盛に咲き誇っていたメドーセージもそろそろ終わりかと思わせる頃、バトンタッチをするがごとくに今度は、赤紫色の萼と白い花のコントラストが印象的なアメジストセージが、猫額の庭の秋の主役とばかりに咲き染むっている。
あくまで個人的な嗜好ではあるが、セージ類の中ではやはり、アメジストセージが一番好きだな。


【金木犀はいつも突然に】

2017年10月13日 | 自然・生物・植物・園芸

昨日まではまるで気が付かなかったのに、今日突然オレンジ色の花が目の中に飛び込んでくる。毎年そんなふうに、不意打ちを喰らわせてくれる金木犀である。もちろん馨しい香りと共に。


【普段は飲まないけど、旨い肴があるとなれば話は別だな】

2017年10月12日 | 生活・飲食・家族・飼犬

普段から家でも外でも、ほとんど酒類は飲まない。飲むことがあるとすれば何かの会合に出席したときとか、たまに外食したときなどに、ほんの少量口にする程度のことである。
それでもごく稀に家でも、旨い肴があるときなど、微醺を帯びる程度に飲みたいと思うこともある。そこでさっそく昨日買ってきた「山芋かまぼこ」を肴に、昼間から缶ビールでも飲むことにした。

山葵醤油を付けて食べると、これが頗る旨いのである。外側のかまぼこのモッチリ感と、中に入っている山芋のサクサク感が相俟って、サッパリと爽やかな食感を醸し出し、幾らでも食べられる。
結構値が張るので常時は食べられないが、たまに出掛けたときには土産物感覚で購入してくるのだ。


【秋の味覚を求めて幸田町へ】

2017年10月11日 | 生活・飲食・家族・飼犬

秋といえば秋の味覚が恋しくなる。そこで例年のごとく、幸田町の梨農家の直売所や、道路脇に設けられた柿の無人販売所を目指して出掛けることとなる。

一袋百円の柿の無人販売所では、4枚のコインを投げ入れて柿を4袋買い、梨の直売所では豊水を買い込んだあと、ついでにそこで飼われていたダルメシアンと暫しの間戯れたのち、どうせ出掛けたついでだからと、道の駅「筆柿の里」まで足を延ばしてみた。

目にするとついつい買いたくなってしまう、山いもかまぼこ、塩麹きゅうり、あべ川だんご、あぶりやき鰯などを買ったついでに、駐車場に設けられた屋台でビッグフランクを買って舌鼓を打つことも忘れない。要するにお決まりの購買パターンなのである。





【不覚にも3分以内で眠りに落ち込んでしまったらしい】

2017年10月10日 | 乗馬・競馬・趣味・道楽

月曜日が祝日ということで、今週は三日連続の競馬開催だったのだが、どうにも食指の動くレースがない。来週の秋華賞(GI )に向けて資金を温存しておこうと、口座残高の端数 1,200円分だけ京都大賞典(GII )を買い、ゴロリと横になりながらテレビ中継を見ていたのである。京都大賞典の発走は3時35分だったのだが、発走3分前までは間違いなく起きていたのだ。なんせテレビ画面の時計表示を見ながら「発走まであと3分か」と思ったことを覚えているのだから。ところが…、「えっ?」
何気にふっと目覚めたときには、一瞬状況が呑み込めなかった。「あっ!」と思って透かさずテレビの時計に目をやると4時15分を示しており、別の番組が流れていた。「しまった!」

あろうことか、僅か3分足らずの間に、ストンと眠りに落ちてしまったようなのだ。そのまま40分も眠ってしまったことになる。いやはや、京都大賞典の実況中継を見逃してしまったではないか。
結果が気になったので慌ててパソコンを立ち上げ、取り敢えずレース結果の映像をば確認してみたところ、ほぇ? 当たってた! しかも、31,790円つけてた。これがホントの果報は寝て待てだな。

10月9日(京都)京都大賞典(GII )
1着 4 スマートレイアー(4番人気)
2着 8 トーセンバジル (6番人気)
3着 3 シュヴァルグラン(1番人気)
3連単 4-8-3  31,790 円(的中)



【おでんが食べたくなったら、手っ取り早くコンビニで】

2017年10月09日 | 生活・飲食・家族・飼犬

わたしが子どもの頃には、おでんと言ったら「味噌田楽」のことを指していた。それでは、醤油味で煮込んだおでんは無かったのかと言えばそんなことはない。それはそれであったのだが、そちらの方は「関東煮」と言っていたのである。それが今では逆転してしまって、おでんと言えば醤油味で煮込んだものを指すのが一般的となってしまった。それに対して具に味噌だれを付けて食べる方のおでんのことは、わざわざ「味噌田楽」と表現しなくてはならなくなってしまったのである。

近頃はどこのコンビニでも売られるようになった、醤油味で煮込んだ「おでん」であるが、これからの季節「おでんが食べたい!」と思ったときなど、手軽に購入できてありがたい。
昔っから「味噌田楽」も「関東煮」も、どちらも好きだった。どうせなら、味噌田楽の方もコンビニで売られるようになれば、わたしのおでんライフは、もっともっと充実したものになるに違いない。


【記憶も一緒に漬け込んでしまうのに違いない】

2017年10月08日 | 生活・飲食・家族・飼犬

そもそも目の届かないところに仕舞い込んでしまうからいけないのだ。やがて日が経ち時が経過するにつれ、いつしか当の本人すら忘れ去ってしまうのだろう。つまりは困り者の女房の話なのだが。
女房には昔っから梅干やラッキョウのみならず、果実やら何やら、色んなものを広口瓶に漬け込むと言った習性がある。ジャム作りにしてもしかり。しかしそれらのものを、これまでわたしは口にしたことがない。要するに、目の前に出てきたためしがないのだ。

あるとき家の中を整理したりすると、出てくるわ出てくるわ。あっちからもこっちからも大小様々な瓶類がこれでもかというくらいに発掘されるのだ。
蓋は錆付いて開かなくなっていたり、中身はどす黒くドロドロに濁って、もとは何だったのかの判別すらつかなくなっていたり。いったい何年いや、何十年経っているんだといった代物どもが。

結局のところ捨てるしかない訳で、わざわざ捨てるために何年も掛けて漬け込んでいるようなものではないか。作るときにはそんなつもりはないにしても、恐らく記憶も一緒に漬け込んでしまっているに違いない。そして綺麗さっぱり忘れてしまうのだ。頼むからもう何もしないでくれと言いたい。


【チリカラってなんだ?】

2017年10月07日 | 行事・行楽・旅行・土産

もちろんチリからの観光客のことであろう筈がない。辛いチリソースのことでもない。ようするに、チリカラ(囃子用語)とは、いわゆる伝統音楽の類なんである。

ナイトパトロールと称して、週に一度の割合で評議員が、夜の町内を巡視しながら歩くのであるが、ここ一か月ほど神社の近くを通ると笛や小鼓・大鼓などの音が聞こえてきていた。
誰からともなく「チリカラの練習をしているな」との言葉が発せられる。
そういえば支払いやら何やらで町内のあちこちを訪ね歩いたときも、「チリカラの練習している?」なんて質問を投げかけられたりもしたっけ。生憎とわたしはチリカラとは一切関わりがないのだ。

明日は秋の例大祭(秋祭り)なので、そこでチリカラ囃子が奉納されるのだろう。町役員として式典に参加せねばならない。しかもスーツを着用しろという。
10着以上持っていたスーツ類は身体に合わなくなってしまって、とうの昔に全部処分してしまった。かろうじてカジュアルなものが一着残っているだけである。ふん、別に構うもんか。
だいたい「フォーマル」とか「ドレスコード」と言った言葉ほど嫌いなものはないっ!


【フランス凱旋門賞にて、サトノダイヤモンド惨敗す】

2017年10月02日 | 乗馬・競馬・趣味・道楽

日本時間の10月1日(日)午後11時07分、フランスのシャンティイ競馬場で、世界最高峰のレース凱旋門賞が行われた。日本からはサトノダイヤモンドとサトノノブレスの2頭が参戦した。
サトノダイヤモンドは2番人気に推されるも結果は15着と惨敗。昨年のマカヒキに続いてまたしても日本馬の悲願は達成されなかった訳だが、それだけ世界の壁は厚いってことなんだろう。

観戦料を払うつもりで3連複のBOX馬券を1,000円だけ買っておいたのだがこれが的中していた。海外競馬は的中馬券の画像(A-PAT)が添付されないので掲載はできないけど。
ガチガチの1番人気エネイブルが勝利したため、3連複配当は3,550円しか付かなかったが。

わたしの買い目の中に9番のサトノダイヤモンドは含まれていないが、例えばオリンピックなどで、無条件に日本の選手を応援すると言ったような、ナショナリズム的感覚がわたしの中には無いので、要はそれと同じことなのである。もちろん複勝圏内に入ると思えば買ったんだろうけど。







【やっとこさ眼鏡を新調しに行ってきた】

2017年09月30日 | 健康・病気・見舞・介護

「あぁー、どうにもこうにも、こう見えなくっちゃ、早いとこ眼鏡を新調しなくっちゃ」

などと思いつつ、気が付けば何だかんだで三年近い年月が経過してしまった。いざとなるとついつい面倒になってしまい、いずれその内とズルズル先延ばしにしてきてしまったのだ。日々の生活に支障を来たすということになれば、面倒だなどと言ってる場合じゃないのだが。
そもそも退職を決意したのだって視力の限界を感じたからであって、文字に係わる仕事においては、小さい文字が見えないってことは致命的なのである。

ここまで放置してきたのは偏にわたしの怠慢さに拠る処であって、決して眼鏡を買う金がなかったということではない。贅沢こそできないにしても、そこまで困窮していた訳ではないのだ。
運転免許証の更新時が近付いていることと、今年から町内会の会計を引き受けパソコンの数字が判別し辛いという現実をヒシヒシと感じるに至って、やっとこさ重い腰を上げたと言う次第である。

視力を測りなおして判明したことは、これまで左目だけ乱視だったものが、右目にも乱視が入っていて、それが見え辛さの一番の原因だったと言うことだろうか。もっとも眼鏡を作り直したからと言って、もともと弱い視力が劇的に変化する筈もなく、相変わらず暗いところや小さい文字が見え辛いことに変わりはない。なんたって近視と乱視と老眼なのだから。オマケに黄斑部異常である。


【今日は朝から立哨当番】

2017年09月29日 | 仕事・社会・地域・交通
秋の交通安全市民運動(全国一斉)ということで、今日は朝早くから横断歩道での立哨当番だった。いわゆる街頭監視活動というやつである。
集団登校の小学生の群れがゾロゾロと歩いてくるのを待ち受けて、横断歩道を渡るのを誘導するのであるが、大きな声で挨拶をしてくる子もいれば、無言で通り過ぎていく子もいる。
別にどっちだって構わないのだが、それよりも自分の住む町内には、こんなにも大勢の子どもがいるんだという、ちょっとした驚きを覚えたりもした。自分が小学生の頃には集団登校なんてものは無くて、毎朝始業ギリギリにひとりで登校していたものだが、なんてことを思い出しつつ。