カヤックと過ごす非日常

大人は水辺で子供に返ります。男は無邪気に、女はおバカに。水辺での出来事を通してそんな非日常を綴っていきます

820.湾の始まりと終わり ― 錦の海

2016年12月13日 | Weblog

KW-NIS 

湾と浦と入り江。漠然と大きさで区別されるようだ。大きいから湾? 小さいから浦? しかし時々その基準が合わないことがある。国土地理院は自分達が出す地図に自分達の(?)基準でつけた名前を付けているが、私は私の地図に、私の基準で判断した名前を付けている。国地が湾と言っても、私がYESと言わなければ、そこは湾ではない。

私がYESを躊躇する湾を漕いだ冬の日の記録。

 

朝、寒々とした赤い空の色で目が覚める。 近くを散策すると枯れ色の岸に明るく光る一画がある。何だろう。

 

 グリーンリリー?

 いいえ、小さな苔たちです

 でも、こう見ると立派な主役

 

 

 

 

 

群衆となるかスターとなるか。それは本人の努力もさることながら、スターに仕立てる何かの力が働いてこそ、光る存在になれるのだろう。人も、自分を引き立ててくれる何かによって人生の主役になるに違いない。私は誰に光らせてもらい、誰を光らせたか。 小さな苔との出会いが1日の始まりとなった。

 

今日は寒いのだろうか、漕ぐの、どうしようか。とちょっと弱気になったが、前を漕ぐ人が行くと言うなら、それじゃあ行きましょう。と漕ぎ支度をする。どこを漕ぐか? 海も穏やかな様なので、ではあの海へ行きましょう、とKWシリーズの続きを漕ぐ。

出艇の浜は、夏にはさぞかし賑わっているのだろうが、今はひっそりとして他に止まっている車もない。こんなに良い漕ぎ日和だというのに他にカヤックがいないというのはもったいない。では私たちが存分に使わせてもらおう。漕ぎ出すころには陽もさし、風もなく、今日もまた暖かい日となりそうだ。

 

遥か熊野の山々が重なり、その道のりの遠さを影にしている。 しかし、今日私たちが目指すのは、あんなに遠い所ではない。

漕ぎ出せばじきに熊野灘が大きく開ける。この辺り、岩礁、大岩、小島、名のある物、ない物、数え切れないほどある。地図で真上から見てそれと知る島も、海上で真横から見ると、どれがどれやらさっぱり、いや、全然わからない。

岬をぐるりと回り込むと磯伝いに目指す湾がある。何年か前、この岸の沖をガツンと漕いだことがある。ただひたすら目的地を目指して漕いだその時はこの岸にこんな隠れ家的な浜があることなど知りようもなかった。

夏になったらここでシュノーケリングして、ちょっと凝ったパスタを作り、浜でコーヒーすすり、林を探索して、あるいは向いの島まで漕ぎに行き、昼寝をする。 ガツンと漕がない日にはとっておきの場所となりそうだ。 しかし、ュノーケリングもパスタも夏のお楽しみとして今日は先へ進む。 

おや? 何か海に建物のような物がみえたのだが。

近づくと、それは大きな採石場だった。石を積み込むベルトコンベアだろうか、山から海上へと長く伸びている。 錆びた足場とひっそりした山。 大きく削られた山肌がこの機械が大活躍していたことを物語る。今も稼働しているのだろうか。

振り返ってみるとシルエットに浮かぶ姿が映画の一シーンで見たような気がする。あれは何の映画だっただろう。 これもまた私のコレクションの一つ、「錆びた物」シリーズに堂々と入った。

 

岸には小さな浜と大きな磯と、大きな岩と小さな波が続く。あの島は、もしかすると、4年前、カメラさんと行った島だろうか。 ペンタさんも一緒だった、あの島に違いない。

あの時はずっと西からはるばる漕いで行った気がしたが後で見ると岸から7キロ。ここからでも6キロほど。意外と近い島だと思えるようになった。上がることはできないがいい島だ。また、行きたい。

 

昼にはまだ早いが、あの浜に何か気になる物がある。行ってみなくては、と大きな浜に上がる。

 

 赤い浮標

 ニグチノ島灯浮標

 

 

 

 

 

 

海に浮かぶ浮標は当たり前の形として見ていたが、陸に上がった錆びたその物体はグロテスクだ。何百年も大洋を彷徨う幽霊船か、銀河をワープして来た宇宙船の残骸か。 

後で調べるとその島はここから4キロほど南にある島のようだ。 多くの船と船乗りたちの命を守って来たその挙句が、漂流ゴミとしてのこの姿なのか、と哀れに思えた。

しかし、

もしかすると、スクラップとなりそうな時に、彼が必死に、「ここに、この浜においてほしい。錆びて、崩れ、砂となるまでこの海を見続けたい」と、懇願しての姿なのだろうか。

あるいは、どこかの芸術家が、「浜辺のオブジェ」として「設置」したのだろうか・・

いずれにしても時を刻んだ「錆びた物」は静かだが、その歴史を思うと巨大な力を感じる。彼はこの浜の守り神となったのかもしれない。畏敬の念が湧く。

 

浜の奥に、地図には川の印はないが明らかに水が流れた跡がある。今は浜で海と隔てられているが、大水が出た時には川となり、海に流れ出たに違いない。地形からしても、ここに川ができてもおかしくない。 そんな枯れ沢を上ってみる。

きっと水があるはずと探し、探し出して納得する。別の枯れ沢も探索する。

きれいに手入れされた杉林。しかし、この杉は今後活用されるのだろうか。枝打ちされた幹ではあったが、最近は人が来た形跡がない。このまま朽ちていくのだろうか。海の資源、山の資源、財産はあっても活用されないのでは無いと同然だ。

冬枯れの林の中に人目を引く鮮やかな色があった。

 

 何の実でしょうね

 どの木についていたのかな

 ここにも、あそこにも

 

 

 

 

 

後で知ったのだが ムラサキシキブ のようだ。この木は公園の植え込みなどで見るが、3メートルもの高さになる木とは、初めて知った。そういえば実が落ちていた上はそんな高さの木だった。

 

浜にはいろいろな物が流れ着く。その多くはゴミと呼ばれる物だが時にはこんな物もある。

中国から流れ着いた、これも漂着ゴミと言えばゴミ。こんなゴミはこれまでにもたくさん見て来た。しかしこれはこれまでに拾った物とはちょっと違っている。今までの物は(日本語にすると)「浙江省臨海市桃渚漁具庁」と読める物だった。しかし今回の物は 「浙江省台州市海羊漁具塑料庁」と読める(おそらくだが)。これはお初にお目にかかる。

台州市、調べると長い歴史のある街のようだ。人口は500万人を超すとのこと。どんな街なのだろう。最短で来ても1600キロもある。浮きはその港を出て、どの海で船から離れたのだろう。どれだけの距離と時間を流れて私の手に来たのだろう。まだ見たことのない遥かな街が私の手の中で広がって行く。

カヤックで海に出て、ちょっと陸を歩くと海の事だけでなくその海に続く山と、山に生きる動物、植物、里の伝説、文化、信仰、そして遥かな異国の便りも知ることができる。 海に続く陸であれば、その陸も又海の一部。 海に浮かばずして海を知る。そんなカヤックをしてきた。これからもそうでありたい。

 

何だかんだと探索し、ランチ会場の浜を借り、コーヒータイムを過ごしてやっと腰を上げる。

 

 浮標さん、また来ますね

 その時まで
 そこで待っていてくださいね

 

 

 

 

 

 

入り江と言えないほどに小さな窪み。ここには太平洋の猛々しさを感じる物は微塵もない。どこかの寺の築山を思わせる静けさ。もしかすると、あの岩影に、大きな錦鯉が泳いでいるかもしれない、そんなこともありそうな水辺だ。

錦の港に近づくと、町の匂いがしてくる。漁船や荷上場や家や並んだヤシの木や公園や赤い橋や大きな防波堤や・・

そして秘密の隠れ場も。

波消しブロックの隙間の奥に不思議な空間があった。カヤックを50艇は置けそうな、船溜まりのような水域がある。回りは見上げる防波堤と崖。陸から降りる道はない。海から来るにしても入口は幅1メートルあるかどうか。カヤック以外は通れないだろう。海賊が武器や財宝を隠しておくにはもってこいの場所だ。 

敢えて計算してこの空間を設計施工したのか、それとも端からブロックを積んだらこの隙間が残ってしまったのか。いずれにしても知る人ぞ知るの秘密の隠れ家だ。こんな所を「パワースポット」と言うのかもしれない。不思議な鋭気を授かった気持になり、また漕ぎ出す。

堤防の先の崖の上に小さな鳥居が見える。弁天様だろうか。 こんな所からではありますが、と言って旅の無事を祈る。

 

磯があり、浜があり、岩があり、岩礁があり、そしてこんな洞門がある。

 

 洞門は数多くあるけれど

 こんなに整った形は珍しい

 どんな門だろう

 

 

 

 

 

波も穏やかだし、どんな門だろうと行きたかったのだが、何かの調査船? もしかして撮影?  邪魔しても注目を浴びても良くないと、今回はこの洞門は遠くから眺めることにした。次に来た時にはきっと、くぐろう。

 

その洞門を後にして、後はまっすぐ帰るだけ。 朝、眩しく前を照らしていた太陽は、向きを変え、また眩しく前を照らす。

 

師走の海を、二日続けて穏やかに漕げたのは本当に運の良いことだった。熊野の海の神のご慈悲があったのだろう。

        神様、ありがとうございました

        次に来る時にもご慈悲を賜りください

 

海と、海の神様とに感謝して、おっと、前を漕ぐ人にも感謝して、KW-NSI 漕ぎは無事終わった。 

 

しかし、

 

湾には(浦や入り江もだが)狭まった所があり、その2カ所を結んだ中が「湾」と言うのだろうと思っている。それにしても錦湾は一番狭まっている所を結んだのでは、湾と言うには他の湾と比べるとずいぶん小さい。 では、どことどこを結んで湾と言っているのだろう。

湾漕ぎをする者としては、国地が湾と言ったとしても、そこをハッキリ、キッチリ締めたいと思うのだが。       
           
           

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