神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

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本郷村

2018-02-13 06:32:49 | 神田川4

 「本郷村は、郡の東豊島郡の界にあり、郷庄の唱を失ふ、当村の開闢詳ならされども、村内に成願寺あるをもてみれば、古き村なることは疑ひなし、或は又中野村より分郷せしといへど、これも詳なることを伝へず、されど其村の名主卯右衛門が所持の文書に、中野郷五ヶ村などあれば、其村々の名は失ひたれどさもあるべきにや、広さは東西十八町、南北七町余、江戸日本橋より行程二里半、西は当村の新田及び雑色、和田の二村に接し、北は中野村につゞき、南は豊島郡幡ヶ谷村、東も同郡同村并に角筈村に及べり、地形は平にして水田は中央にあり、畑地はそのめぐりにつらなれり、土性はすべて野土、・・・・」(「新編武蔵風土記稿」) 

 

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    ・ 「東京近傍図 / 内藤新宿」(参謀本部測量局 明治13年測量)の一部を加工したもので、本来の縮尺は1/20000、パソコン上では1/12000ほどです。オレンジ線は区境で中野区が大半を占め、同細線は中野町当時の町、大字境です。 

 本郷の地名はある郷で最初に開拓され、本村となったところとされるのが一般で、文京区の本郷は湯島郷の本村と考えられています。当村の場合は、平安時代の「和名類聚抄」に見える多摩郡海田(あまた)郷、あるいは中世になって成立したとされ、引用文中にもあった中野郷がその候補となります。そのうち、中野郷は南北朝から戦国にかけての文献に見られ、熊野那智大社の文書、いわゆる「米良(めら)文書」のうち貞治元年(1362年)の願文に、「武蔵国多東郡中野郷大宮住僧・・・・」とあるのが最初です。大宮は和田村の大宮八幡のことでしょうから、中野郷は現在の中野区の範囲を越えており、また、新宿区に属する角筈、柏木を中野郷とする文書もあります。

 

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    ・ 氷川神社  「氷川社 除地、八百二十坪、村の北の方にあり、村の鎮守なり、・・・・福寿院持」(「新編武蔵風土記稿」)「近傍図」の中央やや北側、神田川の左岸段丘上です。 

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    ・ 成願寺  「成願寺 除地、五百六十坪、村の東の方にあり、多宝山と号す、禅宗曹洞派にて相州大住郡田原村香雲寺の末、御朱印五石を附せらる」(「新編武蔵風土記稿」)