神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

井の頭池5

2017-09-05 06:38:45 | 神田川1

 「神田上水水元井之頭より目白下附渕まで絵図」には、井の頭池から神田上水が流れ出すところに石橋が架かり、その脇にも立て札が描かれています。これは弁天堂周辺のとは異なり、上水の保全を目的とした公的な立て札(高札)でした。「上水記」(寛政3年 1791年)は、天明8年(1789年)時点での神田川、玉川両上水の高札リストを載せていますが、うち「井之頭池上水口北方高札」の文言は、「定 此池之内並上水道におゐて、魚鳥を取、水をあひ、ちり芥捨輩あらば、曲事たるへき者也」となっています。なお、神田上水関係では他に、淀橋、小滝橋、田島橋、面影橋の際と大洗堰上流の水神前、そして、大洗堰入口に立っていました。

 

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    ・ 「神田上水絵図2」  「上水記」に収録された「絵図」中、神田上水が流れ出す水門周辺をイラスト化したもので、前回UPのと連続しており、左下の溝様の個所は「玉川助水路から堀」です。 

 こうした高札の管理も持場村の仕事でした、ただ、この個所は無礼村の持場を現わすオレンジ線の手前に位置し、どこが管理していたかはよく分かりません。ちなみに、井の頭池の草刈りは両岸の吉祥寺、無礼両村の担当で、やはり普請方の見分も行われました、一方、水門や柵の普請、修繕は江戸市中の水道組合が負担していたようです。なお、「絵図」のもう一つの注目は、石橋先で右岸に分岐している水路です。無礼村(牟礼村)の田用水かと思われますが、その旨の記載がないため断定できません。

 

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    ・ 水門とひょうたん橋  現在の井の頭池の最下端にも水門があります。ます。ただ、その先にはもう一つ小さな池(ひょうたん池)があり、水門から神田川が直接流れ出す構造ではありません。 

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    ・ 神田川  ひょうたん池の先にかかる水門橋から流れ出る神田川です。一日に最大千トンの水が流出しているそうですが、千川上水の処理水、7千トンを放出している → 善福寺川に比べると、水量も水勢もだいぶ劣ります。