神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

宮下橋

2017-06-17 06:28:56 | 支流編(善福寺川5)

 八幡橋の次が宮下橋で、大宮八幡前から松ノ木台地を縦断、阿佐ヶ谷の権現道へと至る古道に架かっていました。 → 「和田村絵図」→ 「東京近傍図」にあるだけでなく、「江戸名所図会」にも善福寺川関係の橋としては唯一描かれています。もっとも「図会」の当時、宮下橋と呼ばれていたかは疑問で、明治初年の「東京府志料」にある「板橋 和田村ニアリ一ハ八幡下橋一ハ駒崎橋長各四間幅五尺」のうち、八幡下(はちまんした)橋がそれです。 

 

Omiyazue1

    ・ 「江戸名所図会 / 大宮八幡宮」  「当社広前の老松ハ矯々として雲を払ひ数百歳の相を標せり。白石先生も此松を賞して、奥羽をはじめ房総豆相東海一路畿内濃尾の諸州にも未かゝる長松の多きを見ずと・・・・」

0309a

    ・ 宮下橋  左手に行くと松ノ木台地を縦断し、天水田圃と並行していた松ノ木八幡通り、右手はすぐ→上り坂になっていて、大宮八幡宮の一之鳥居前に出ます。 

0309b

    ・  大宮八幡宮  その二之鳥居前です。秋の大祭(9月15~19日)の期間で、植木市の立つ春の大祭(5月3~5日)と共に、参拝客で大いに賑わいます。 

 <大宮八幡>  「縁起に云、当社は人王七十代後冷泉院の御宇天喜年中奥州の夷賊蜂起せし時、鎮守府将軍源頼義勅を蒙り、奥州に向かひ給はんとて当所を過ぎ給ふ時、空中に奇雲たなびき、さながら白幡の如くなりければ、将軍奇異の思をなし、是宇佐八幡の影向せるならんとて、則当社を勧請し給ふ」(「新編武蔵風土記稿」) この創建伝承については、成宗村の小名、白幡や尾崎の地名由来とからんで、何度も触れたところです。社伝では康平6年(1063年)に源頼義によって京都の石清水八幡を勧請して創建、その後、源義家や頼朝など源氏の棟梁の信仰を受け、大いに栄えたといいますが、永禄4年(1561年)に上杉、北条の戦に巻き込まれ、記録を焼失したため詳細は伝わっていません。

 

ジャンル:
ウェブログ
この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 和田堀公園2 | トップ | 左岸の用水 »